絶滅したナウマンゾウのはなしー太古の昔 ゾウの楽園だった
日本列島(27)―最終回ー :中本博皓
結びにかえて-絶滅原因再論-
本稿の結びとして、少々長話になりますが、横道に逸れて「大量絶滅」と言う言葉から書き出したいと思います。専門家の先生方の論文に素人なりに触れて見ますと、驚かされることばかりなのです。
中でもカルフォルニア大学の地質学者で惑星科学を講じているWalter Alvarez(1940ー)は、彼の父でノーベル物理学賞を受賞したルイス・ウォルター・アルヴァレスらとともに、1980年サンエンスト言う学術誌に直径10000mもある巨大隕石が地球に衝突したことで、中生代の地球上の恐竜などの生物の大量絶滅をもたらす原因になった、と衝撃的な論文を発表しました。
『絶滅古生物学』(岩波書店)など多くの研究で知られる平野弘道(1945-2014)によると、その衝撃の大きさは、恐らく1859年のダーウィンの『種の起源』に匹敵するほどの大きさだと指摘されています。
大量絶滅に言及した文献は大変多いのですが、ここ数年ではエリザベス・コルバート女史の『6度目の大絶滅』(鍛原多恵子訳・NHK出版)を挙げることができます。E.・コルバートは、フランスの博物学者であり古生物学者でもあったジョルジュ・キュヴィエ(Georges Curvier:1769-1832)が絶滅概念がフランスで生まれたが、キュヴィエもこの概念の誕生には少なからず関わったとしています。また、「種は絶滅する!」ものとも指摘し、早くから「絶滅」問題に取り組んでいたキュヴィエの偉大さに言及しています。
本稿では、ナウマンゾウについて彼らが更新世の末になぜ絶滅したのか、その原因を少しばかりですが以下で言及して、本稿を終えることにします。
1)間氷期には気温が上昇し、高温化で海水面が上昇する海進現象で、ナウマンゾウなど大型の植食(草食)動物にとっては、生息域内の草原や広葉林が狭められ、新しい餌場を求めて、生息域の内陸化が進んだと考えられます。それが内陸でのナウマンゾウの化石の発見に繋がっているようです。
野生ゾウの一日の移動域は相当広く、聞くところでは200㎢にも及ぶのだそうです。高温期の海進現象で海没死を免れ、北上していたナウマンゾウの一群が、彼らの知恵で津軽の海を越えて、北の大地にまで生息域を広げていたようです。その手段が陸橋であったか、結氷した氷橋であったかは断定できません。一方、リス氷期における海水準の低下で、北方の海峡が陸地化していたことを考えれば、ナウマンゾウのアジア大陸-サハリン-北海道ルート説も浮上し、忠類生息論に繋がる可能性も否定できないと思います。
津軽海峡陸橋論にしましても、氷橋論にしましても、専門家(地質学、古生物学)の先生方の間では、意見は分かれ、諸説芬々といいますか、議論百出でして、最終氷期についていえば、津軽陸橋に否定的な見方があるのも事実です。
それでも素人のわたしは津軽海峡を越えて、後期更新世の十勝の原生自然を悠然と旅していたであろうナウマンゾウの群れを夢にでもみたい想いに駆られます。しかし考えておかなくてはならないことは、これは一つの見方に過ぎませんが、ナウマンゾウが氷期にできた陸橋なり、氷橋なりを渡って北海道に上陸したということは、その反面で、間氷期に日本列島に生息していたであろう多くの種のいくつかは絶滅した可能性があるということです。そのくり返しの中で、ナウマンゾウもまた、後期更新世の末には絶滅種となって、原因不明のまま消え去ってしまいました。
2)ナウマンゾウなど大型獣の絶滅の原因には、自然環境の物理的ストレスや人類との出会いなど生物的ストレスが考えられます。生物的なストレスには、直接に与えられる影響だけでなく、ウイルスから昆虫までさまざまなストレスが原因で、種の絶滅を招く可能性もあると思います。
後期更新世末期に、絶滅したナウマンゾウ、何が原因だったか、人類の関与(過剰狩猟)に求めたい気持ちは分かりますが、決めつけてしまうわけにはいかないのではないかと思います。まさかと思うかも知れませんが、昆虫大発生が大型獣の種を絶滅させる原因となることだって考えられます。
素人目に過ぎないのですが、化石包含層序やその地質を綿密に調べることが、絶滅原因を探る上では大切であり、古生物学上も重要な研究の領域の一つに挙げられていると思います。
地球温暖化が進む中で、海面の水位が上昇し、海抜の低いツバルなど南の島嶼諸国では、沿岸浸食現象が著しく、島が沈んでしまうのではないか、いま島民は深刻な問題に直面しています。
温暖化の影響はそれだけではありません。いま、ケニヤなどアフリカ大陸では、サバクトビバッタという昆虫の大群が飛来し、砂漠化に輪をかける事態を起こしています。サバクトビバッタの恐ろしいところは、草であれ、樹木であれすべての植物を食い尽くしてしまうことです。ほっておけば地球上のいくつもの種が、植物相だけでなく動物相までも絶滅の危機に追いやられてしまいます。そのため、膨大な量の薬剤散布をくり返し、農作物の絶滅を救っているのが現状です。ところが、大量の殺虫剤散布が人類をはじめ多くの生物に無害だとは思えないのです。
それだけではありません。21世紀のいま、地球上の人類を震撼させている問題、それが新型コロナウイルスでしょう。一つ間違えば人類という種の絶滅すらもたらしかねないのです。
人類は、自ら「種」の絶滅の危機と常に向き合い、闘いながら生きていかなければならない状況にあります。それもまた、地球温暖化という現世の気候変動によるストレスの一つだということを忘れてはならないと思います。
3)ナウマンゾウにしても、マンモスゾウにしても、絶滅した決定的な原因は分かっていませんが、古気候や古(自然)環境の激しい変動といった物理的要因と深く関わっていたのではないかと思います。もちろん、人類との出会いが絶滅につながるストレスであったことも否定はしませんが、一つの種の絶滅が他の種の絶滅を誘発することが危惧されるのです。たとえば、ナウマンゾウが絶滅したことで、ナウマンゾウの排泄物によって命を繋いでいた小動物相や昆虫相が絶滅し、また植物の植生が変わることで絶滅した生物もいるでしょう。
ナウマンゾウの絶滅原因については、第4章でも言及しましたが、いろいろな原因が考えられます。最近では、最終氷期の最厳寒期の凡そ3万年前、ナウマンゾウの生息環境に大きなダメージを与えるほどの古気候の変動が生じたのではないか、という見方もあります。
確かにそれも一理あると思います。後期更新世の末、間氷期に入り急激な気温の上昇による海水準の上昇、大洪水や急激な海進現象が起こり、草原や低木樹林などの餌場を失い、生息域が狭められたことなど、自然環境の激変の影響といったストレスもナウマンゾウを絶滅に追いやった原因の一つになったように思われます。
4)また、人口増加に伴う過剰狩猟の影響を指摘する専門家も多いようです。旧石器時代の石槍やナイフ形の石器など進歩した狩猟具を有していたことは遺跡の出土品の調査で明らかです。しかし、草食獣であってもゾウのような大型獣の狩猟では、狩猟する側にも大きなリスクが伴ったと思いますので、日本列島に渡来し住み着いた旧石器時代人であっても絶滅に追いやるる大量殺戮的狩猟を行っていたとは考え難いのです。
ただ、過剰狩猟説は、ナウマンゾウの絶滅の原因を考える上で、われわれには思いつき易い原因説の一つではありますが、わたしは、過剰狩猟による絶滅説を裏付けるには、何かもう一つ材料が足りないように思んです。
ナウマンゾウの絶滅をもたらした原因として、最終氷期末の最寒冷期から間氷期初期に起こったであろう地殻変動も含めた古環境の異常変動の影響が大きなストレスとなったことも考えられます。たとえば、2万9000年前~2万6000年前の姶良(あいら:現鹿児島県姶良市)カルデラの巨大噴火は、日本列島を西から東へと本州一帯がテフラで覆われてしまった、と伝えられていますし、姶良巨大噴火に関する研究報告は、枚挙に暇がないほどです。
また、約3万年前~1万3000年前の古富士噴火、新富士噴火、そして浅間連峰噴火など。いくつもの大噴火が続き、テフラの広域降下で、草原などの餌場が失われ、それが草食系大型動物を餓死させたり、絶滅に導く原因の一つになったのではないかと思います。
前にも述べましたが、温暖化による海水準の異常な上昇で大洪水や海進が続くことで、ナウマンゾウは餌場を失い、水没死や海没死で絶滅を速めた可能性も考えられます。しかしそれだけではなく、ナウマンゾウなど大型獣のケースでは、もうひとつ何か、別な生物的(微生物も含めて)なストレスが重なって絶滅させたのではないかなど、極めて独りよがりな推測をしています。
地球上では、いくつもの野生種の絶滅が危惧されています。それらの種を絶滅から守る闘いは、現世を生きる人間の課題であります。そしていま、新たな科学的知見の創出が求められる所以でもあるのです。
(文献)
(1)高橋啓一・北川博通・添田雄二・小田寛貴「北海道、忠類産ナウマンゾウの再検討」日本古生物学会編『化石』84、2008、74-80頁。
(2)高橋啓一・出穂雅実・佐藤博之「北海道忠類ナウマンゾウ産出地点の再調査報告」『化石研究会会誌』第42巻、特別号(4)、2010・3、1-79頁。
(3)高橋啓一「10. ナウマンゾウ産状の再検討」『化石研究会会誌』特別号(4)、2010、 66-70頁。
(5-1)北川博通・高橋啓一「ナウマンゾウの第2、第3大臼歯の形態的特徴とそれに基づく臼歯標本の再検討の例」『化石研究会会誌』第43巻(1)、2010、30ー39頁。
(5-2) 出穂雅実他2名「調査研究の経緯と経過」『化石研究会会誌』特別号(4)2010.35-8頁。
(6)高橋啓一「マンモスとナウマンゾウは北海道で出会ったか」第30回(通算137回)化石研究会・学術大会講演抄録、2012・6。
(7) 高橋啓一・添田雄二・出穂雅実・大石 徹「〔特集・講演録〕北海道のゾウ化石とその研究の到達点」『化石研究会会誌』第45巻(2)、2013、44-55頁。
(8) 添田雄二、 高橋啓一、小田寛貴「環境と動植物相.北広島市音江別川流域から産出した象類臼歯化石の¹⁴C年代測定結果」北海道開拓記念館『北方地域の人と環境の関係史 : 2010-12年度調査報告』、2013年。
(9)阿部彩子・斎藤冬樹・川村賢二「人類が経験した最大の気候変動、10万年周期の氷期-間氷期サイクルのメカニズムを解明」東京大学海洋開発研究機構、「概要」(日本語版)、2013年8月。
(10)里口康文「6.忠類ナウマンゾウ発掘地点の堆積環境とその変化」『化石研究会会誌』特別号(4)、2010・3、46-49頁。
(11) 五十嵐八枝子「忠類ナウマンゾウ化石産出露頭の花粉化石から見た十勝地域の古環境変遷」『化石研究会会誌』特別号(4)、2010・3、55-59頁。
(12)亀井節夫・樽野博幸・小林巌雄「北海道広尾郡忠類村産ナウマン象について(予報)」『ナウマン象化石発掘調査報告書』・北海道開拓記念館報告(第1号)、1971。
(13)亀井節夫「忠類産のナウマンゾウPalaeoloxodon naumanni(MAKIYAMA)」『地団研専報/22十勝平野』・地学団体研究会、1978、345-355頁、図版あり。
(14)大泰司 紀之「旧石器遺跡の位置と狩猟獣の季節移動ルートに関する考察『第四紀研究』(29(3)・1990)、287-289頁。
(15) 化石研究会編『化石から生命の謎を解く 恐竜から分子まで』朝日新聞社出版、2011年。
(16)大塚柳太郎『ヒトはこうして増えてきた―20万年の人口変遷史―』新潮社、2015年。
(17) ディヴィッド・M・ラウプ(渡辺政隆訳)『大絶滅 遺伝子が悪いのか運が悪いのか?』平川出版、1996年。
(18) 川村穂高「縄文時代の環境、その1―縄文人の生活と気候変動―」『地質ニュース』、2009年7月、11-20頁。
(19) 川村穂高「過去における地球規模の気候変動」『環境技術』Vol.40、No.4、2011年4月。
(20) 春成秀爾「更新世末期の大形獣の絶滅と人類」『国立民族博物館研究報告』(第90集)、2001年。
(21) 中村千秋『アフリカで象と暮らす』文藝春秋(文春新書)、2002年。
(22) 中村千秋『アフリカゾウから地球への伝言』冨山インターナショナル、2016年.
(23)小原秀雄『ゾウの歩んできた道』岩波書店(ジュニア新書)、2002年。
(24)冨田幸光(文)、伊藤丙雄・岡本康子(イラスト)『絶滅哺乳類図鑑』丸善株式会社、平成14年。
(25) 冨田幸光(編集・執筆)、国立科学博物館・読売新聞社主催『特別展 絶滅した大哺乳類たち』読売新聞社、1995年。
(26) 宇都宮聡・川崎悟司『日本の絶滅古生物図鑑』築地書館、2013年。
(27)北隆館『(学生版)日本古生物図鑑』(株)会社北隆館、1982年。
(28)平野弘道『地球を丸ごと考える 繰り返す大量絶滅』岩波書店、1993。
ーおわりー