電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその20

2006-11-13 15:05:29 | Weblog
キャンペーンが終わってから、新聞原稿、TVスポット、そして駅貼り、電車の中吊りの手配と、仕事終わりまですべてを終え、お正月休みに入りました。個人的には宣伝はうまくいっていると思ってました。
1989年1月5日、仕事始めは気持ちよくスタートできると、確信していました。ところが・・・・・大きな出来事が1月7日に起こったのでした。昭和天皇が崩御された、つまりお亡くなりになられたのでした。国の大事であるので、テレビは一斉に通常の番組を止め、昭和天皇の崩御番組にすべてが変更され、もちろんTVCMも流れません。町もすべてが喪に服すために休みとなりました。ちょうどこの1月7日から『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』のTVスポットが流れることになっていたので、結局、このTVスポットは幻のものとなってしまいました。
そして、広告展開で盛り上がりをみせないままに初日を迎えました。私は新宿東急に立会いに行きましたが、思ったほどの客足ではなく、1回目から満席になることはありませんでした。
自分にとってこの映画に惚れて、この映画のためにがんばったつもりだったのですが、それが数字に結びつかなかったことが大きなショックでした。興行は結局3週間で打ち切りとなりました。
しかし、劇場では失敗しましたが、その後のビジネス展開や個人的な部分では大きな成功となっていたのでした。

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその19

2006-11-12 18:11:44 | Weblog
結局、レスリーと話をしたのは、スタジオアルタでの食事と帰る日の昼食だけでした。ほとんど部屋で休んでいたレスリーも、帰る日の昼食は我々スタッフ皆と一緒に食事をしたのでした。それもホテルのレストランでした。ここでも彼は自分から話をするような感じではなかったのですが、私が彼にプレスに名前入りでサインをお願いしたら、快く書いてくれました。実はこの時、レスリーと何を話したのかは記憶に残っていません。(なんでだろ~)彼の香港行きの便は夕方だったので、のんびりして最後はロビーでスタッフ全員と記念写真を撮って、彼は成田に向かいました。
ところでジョイはというと、まだ残っていました。土曜日の深夜に「オールナイトフジ」への生出演という、これまたマネージャーのウィリーに文句言われそうな仕事を入れていたからです。まだこの当時、フジテレビは新宿区の河田町(駅で言うと都営新宿線曙橋)にあり、夜、10時にホテルを出発しました。実はテレビ局に着く前にもうひとつ、「週刊SPA」の今週の顔というコーナーの写真撮影をテレビ局下の商店街で撮影するという仕事もいれており、さすがのウィリーも私に「5分で終えてくれ。」とタクシーの中で言っておりました。困ったなあと思いつつ、すでに現場で待機している編集者とカメラマンに、「すいません、5分で」とお願いし、私は腕時計とにらめっこ。で、撮影は3分ぐらいで撮り終わり、本当に5分で終わってしまったのでウィリーもびっくりして、なぜか私のことを褒めてくれていたのでした。彼曰く「本当に5分で終わるとは思わなかった。」と。
真夜中のテレビの生出演は上手くいき、すべて問題なく終わりました。ただ、このキャンペーンで見たジョイ・ウォンは、取材中も「買い物行きたい」を連発していて、これには結構参りました。
いろいろ大変な宣伝キャンペーンでしたが、すべてつつがなく終わりました。そして公開日も1月15日ということになり、広告展開に入りました。しかし、年が明け、私たちにとって大きな不運が待っているとは、この時知る由もなかったのでした。

宮~ラブ・イン・パレス

2006-11-11 22:08:56 | Weblog
木曜日の深夜、『氷の微笑2』のテレビ紹介の映像チェックで遅くまで起きていたところ、チャンネルをテレビ東京にしていると、いつもは映画が放送されていたのに、その枠で韓国ドラマが始まっていました。韓国ものはあまり手を出さず、せいぜいぺ・ドゥナにはまっている私ですが、何気なくそのドラマを観ていたら、朝方4時にもかかわらず最後まで観てしまいました。「宮~ラブ・イン・パレス」という題名のそのドラマは、家が自己破産寸前の高校生の少女が、韓国皇室の皇太子と結婚することになってしまうという、コミックみたいな青春ドラマです。で、そのヒロインの女子高校生を演じているのがユン・ウネという、もともとBaby VOXという歌って踊れる女性グループの出身(韓国のモー娘?)の女の子で、女優となって大人気を得たドラマだったというのを、ドラマ観ながらネット検索して知りました。で、私的にひっかかったのは、ユン・ウネがそのドラマでどうみても、長澤まさみとダブって見えたというか、けっこう顔とか似ているのです。目のたれ具合とか、また演じている役柄もそうなのかもしれませんが、かなりかわいコちゃん系で、どうもこの先、このドラマを毎週みてしまいそうで怖い(笑)。制服のスカートの下にジャージをはいているという設定もツボです。宮~ラブ・イン・パレスHP
最近、深夜は、TBSで「流星花園」も放送されはじめましたし、なにかしながら観るにはちょうどいいので、これまた夜更かしが続きそうですごく悩んでおります。
両作とも学生が主人公の青春ラブドラマなので、若い子たちが観れる時間帯で放送してくれれば、もっとアジア系のファンが増えてくれるんではないかなと思えるほど、登場する若手俳優たちは魅力的であります。もちろん皆さんはご存知ですしね。

明11日公開のアジア作品

2006-11-10 19:19:28 | Weblog
明日11日(土)公開のアジア作品です。

『ウィンター・ソング』中国=香港作品
監督:ピーター・チャン 出演:金城武、ジョウ・シュン
最近はプロデュース業にいそしんでいた名匠ピーター・チャン久々の新作。10年ぶりに再会した男女の愛の物語を描いた、ミュージカル仕立てのラブストーリー。香港映画ファンにとっては待ちに待った作品がやっと公開。
東京:有楽町スバル座ほか全国ロードショー

『サッド・ムービー』韓国作品
監督:クォン・ジョングァン 出演:チョン・ウソン、チャ・テヒョン
8人の男女の“別れの物語”を描いた感動ドラマ。『私の頭の中の消しゴム』のチョン・ウソン、『箪笥』のイム・スジョン『僕の、世界の中心は、君だ。』のチャ・テヒョン等々、韓国スターにぎやかな顔ぶれが揃っている。
東京:有楽座ほか全国ロードショー

明日は秋期待のアジア作品の登場です。
で、私めは、フリーマンで宣伝を請け負っておりました『氷の微笑2』の初日で、銀座シネパトスに朝から行っております。“危険に溺れる女、誘惑に溺れる男、ゲームは再び始まった!”このコピーを目にしたり耳にしたりしている方もいらっしゃると思いますが、作はby私めが作ったコピーでございます。

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその18

2006-11-09 23:48:17 | Weblog
翌日は、たしか金曜だったと思います。その日はフジテレビの「笑っていいとも」に出演することになっていました。といっても、コーナーでの出演ではなくて、番組最後のほうの告知の時間なので、番組の進行が長くなれば、最後の時間が短くなります。12時すぎに新宿のスタジオアルタへうちのスタッフがジョイとレスリーを連れてきましたが、私は11時30分には先のりをして、当日のディレクターに挨拶と説明を聞き、そして司会のタモリさんのところへ挨拶に行きました。ちょうどこの頃、私はテレビ朝日「タモリ倶楽部」の映画宣伝マン大会の常連出演者で、タモリさんも私の顔を覚えていてくれていたので、「最後の方、ゲスト二人出るのでよろしくお願いします。」とお願いの挨拶をしたのでした。
さて、番組も進み、いよいよ二人が出る時になりました。大きなポスターを持って二人が登場。ま、客席は二人のことをよく知らないので反応は微妙でしたが、でも、これがこのキャンペーンでの最初のテレビ出演で、「人気番組だよ」、と伝えてあったので、二人とも機嫌よく出演を終えることができました。
この後、ホテルに戻るまで時間があるので、ジョイは買い物に行き、レスリーと私と通訳の若者はご飯をたべようということとなり、そのままアルタの七階だったか、レストラン街でうろうろしながら、結局、レスリーがラーメンにしようと言ってくれたので、ラーメン屋に入りました。私の目の前にレスリー、二人を挟んだ私の右側に通訳が座っています。ラーメンがくるまで、この時やっとレスリーと世間話をすることができました。レスリーは、「この近所で買い物できるところは?」と聞くので、私が「この先にある丸井か伊勢丹かなあ」とか、そんな話をしつつ、話は日本の歌手のことになりました。もちろんそれはレスリーが吉川晃司の「モニカ」で人気を得たと聞いていたので、そんな質問になったのですが、「日本で好きな歌手は?」という話で「山口百恵」という名を聞いた時はかなり話が盛り上がりました。レスリーとラーメンをすすりながらその時間を過ごし、買い物に行きたそうなレスリーを諭して、そのままホテルに戻り、残りの取材をこなしたのでした。

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその17

2006-11-08 22:27:24 | Weblog
キャンペーンはトラブルもなく進んでいましたが、レスリーは相変わらず、取材の合間の空き時間は部屋で休息をとっていました。それからサインをたくさん頼んでいたので、合間はそれを書いていたのでしょう。一方、ジョイのほうですが、インタビューよりも買い物に行きたいらしく、映画誌「スクリーン」の取材は、竹下通りで買い物をしながら撮影するという、両方できる形で編集者にお願いしたのでした。この取材のときは私は現場に行かなかったのですが、後で通訳さんから聞いたのは、ジョイが気に入った革ジャンを値切るために2枚買ったと教えてくれたのでした。
一方、ホテルでは、レスリーが朝日新聞や他の雑誌の取材を受けておりました。その中でもリラックスしていたのが、ジョイと同じ「スクリーン」の撮影でした。当時は帝国ホテルに宿泊していると、撮影はかならず日比谷公園の噴水前で行っていました。その時のレスリーの写真は、スクリーンが彼の若い頃の写真を使用する際にかならず使われるのですが、はたから見ていても本当にリラックスしていました。その撮影が終わった後に、我々が向けたカメラに対してもポーズをとってくれたのですが、今もその写真を見るとスターの顔でない、地の彼の表情が出ているのでした。これは今でも私の宝物写真です。


摂氏32゜

2006-11-07 23:13:45 | Weblog
相変わらず観ていないDVDが増えておりますが、最近、秋葉原で欲しかったDVDをゲットしました。『摂氏32゜』という作品です。監督はパトリック・レオン、製作はジョニー・トー、主演はラウ・チンワン、ン・シンリンです。今から10年前にビデオで観た時に、すごく印象に残っていた作品だったのですが、DVD時代になってやっと中国版をゲットしたのでした。
いきなり銃撃戦で始まっているという意外性のあるオープニングは、さすがジョニー・トー印です。そこから時間は過去に戻ります。なぜ銃撃戦になっているのか・・・・
自分の過去を全て捨て去られた女殺し屋(ン・シンリン)。彼女は命令のままに仕事をこなしています。そんな彼女にとって唯一のやすらぎは、部屋の窓の向こうに見えるラーメン屋。そこで働いている男(ラウ・チンワン)を彼女は見つめています。ぜんぜんハンサムではないが心優しき男に惹かれて行く彼女は、やがて男と親しくなり、人間的な心をとりもどそうとします。そこに韓国の大ボスを殺害する指令がおり、仕事を遂行するために、変装して韓国に赴きます。仕事はうまくいったかにみえるのですが、大ボスの右腕に目撃され、執拗に追われます。そして、ついに見つかり、愛すべき男を巻き込み、オープニングの銃撃戦にもどるのです。
たぶん、香港映画に韓国俳優やロケとして韓国が登場するのはめずらしい作品といえますが、そこがジョニー・トーのめざといところといえる部分ではないでしょうか。
以前は、なんとかこの作品を日本でも日の目をみさせたいと思っていましたが、今は権利を持っている会社がアメリカになってしまったために、新作映画なみの買えない金額になってしまっている状況なのが残念です。

アジアの風『父子』記事

2006-11-06 19:26:35 | Weblog
書き込みのコメントの中に『父子』のティーチインの模様が知りたいというのがあり、どこかに出ていないかなあと探していたら、先日『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』の初日取材に来ていたインターネット新聞の方のところのHPに映画祭のコーナーがアップされており、かなり詳しく出ておりましたので、行けなかった方はここを見ていただければと思います。第19回東京国際映画祭@JANJAN

取材に来ていただいた記者の方が香港映画大好きで、「いつもブログ読んでます」と言われてびっくりした私でした。さすが、インターネット新聞の記者だ、と感心するばかりでした。


チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその16

2006-11-05 17:21:15 | Weblog
ホテルでジョイ・ウォンたちに簡単な説明をした後、私は彼らの夕食に同伴することになりました。ウィリーが来日しているということは、そうです、ジャッキー・チェンと関わりの深い日本の面子が集まって、六本木の某・海老蟹の有名なお店で夕食会となりました。
今でも覚えていますが、私の席のちょうど真向かいがジョイとウィリーの席でした。ずっと観察していると、何するにしても「ワン・ツーシェン、ワン・ツーシェン」と彼女の名前を呼んではちやほやしていました。彼女はジャッキー&ウィリー・プロモーションに入りたてだったので、ウィリーはジョイを甘やかしていたのだと思いますが、その後、彼女がわがままになったのも、理由の一つにこれがあったのではないかと思います。このちやほやな対応は、キャンペーンの取材でも相当苦労することになったのです。
さて、レスリーはというと、その日は買い物に行って、そのまま部屋に戻って休んでいたと後で聞きました。
翌日からは、朝から取材、そして午後からは記者会見です。このキャンペーンのために俳優陣たちと来ていたフイルムワークショップのテレンス・チャンとヘレン・チャンは、俳優たちと揉め事が起きないようにすごくフォローをしてくれました。
レスリーもジョイも朝から調子もよく、機嫌よく取材を受けていました。簡単にお昼を済ませると、いよいよ記者会見です。どのくらい取材がくるかどきどきしていましたが、だいたい60人ぐらいのマスコミが来ていて、なんとかほっとしました。
今では100とか200とか、なんか数だけ多くて記者会見の意味自体がナンなのか、わからないものになっていますが、当時は本当に静かでちゃんとした記者会見が多かったのでした。それに今は花束贈呈もタレント連れてきたりしていますが、当時はスタッフが渡していました。しかしながらこの時は、前にコンタクトしてきたレスリーのファンにお願いして、花束贈呈を頼んだのでした。
記者会見も無事終わり、午後の取材に突入しました。

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその15

2006-11-04 12:08:10 | Weblog
ホテルに着いて、チェック・インをした後、部屋に向ったジョイ・ウォン一行ですが、部屋に着くなりマネージャーのウィリーがいきなりスイートルームにあるブランデーをグラスに注ぐと、私に「これを飲みなさい」と勧めました。いわゆる気付け薬みたいなものです。酒には弱い私ですが、彼の好意を無にするわけにはいかないので、それを飲み干しました。でも、不思議なことに気分が落ち着いたのも確かでした。
ところでレスリーはどうなっていたかというと、成田空港からの話に戻りますが、彼の車はそのままホテルに直行していたのでした。で、我々は着いた後にジョイたちが落ち着いてから打ち合わせをする予定だったのですが、いつの間にか出かけてしまっていたのでした。聞いたところでは、彼はウィリーからお金を借りて買い物に行ったとのことだったのでした。「え~」我々スタッフ一同、それを聞いて「しょうがないなあ~」と苦笑いをしていたのでした。
ところで、この二人の貸借の出来事は、レスリーが亡くなった時に強く思い出したことでした。それは、レスリーの映画における最後のマネージメントをしたのがウィリーだったからです。たった1年間のことだったようですが、私はジャッキー・チェンの日本のスタッフからレスリー訃報の一報を聞いた時、ウィリーが泣き崩れてしまったと聞いたのでした。このキャンペーンでのお金を貸したという出来事は、最後の二人の関係に繋がっていたんだと、私は感慨深く思ったのでした。

え~昨日の14で、通訳は2人としておりましたが、実は3人でした。ツイ・ハークの来日の時に通訳してくれた男の子の方がどうしても全部に関われないということで、その子の知り合いの女の子に手伝ってもらい、この二人がレスリーの通訳、そしてジョイ・ウォンの通訳は普通語(北京語)の年配の女性にお願いしたのでした。

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその14

2006-11-03 17:55:16 | Weblog
久々に話を書くので、すっかり前回までのことを忘れてしまいました。というところで、再開です。
前回、スタイリストについて書きましたが、もうひとつキャンペーンで苦労したのが通訳の問題でした。これはある人から香港人の留学生を紹介してもらって、男性、女性の留学生の子にお願いしました。今では考えられませんが、当時は本当に広東語の通訳といえる人は日本人にいませんでした。
さて、いよいよ来日です。私はジョイ・ウォンのアテンド、部下の女性スタッフがレスリー・チャンのアテンドということで、成田空港に向いました。今では来日情報が発表されていてファンが何百人も待つ、なんてことになってますが、昔は来日があってもファンからの問合せにはいっさい答えていませんでした。でも、どこで調べたのか、空港のロビーに行くとファンが待ち構えていました。しかし、この当時の香港スターは悲しいかな、いたとしても10人もいません。なので、ファンがサインをねだっても、こちらは仕事上の立場で断るのですが、スターのほうは人数が少ないせいか、割と気楽にサインをするような時代でした。
私はジョイ・ウォンとマネージャーの「減った、ラーメン食べたい」と言い出したので、空港を出たところにあるドライブインに入り、しばし食事タイムとなったのでした。この食事タイムが、あとで私に最悪の出来事が起こったのです。あまりおなかの減っていなかった私は、食べない代わりにオレンジジュースを飲んだのでした。ところが、再出発したものの、幕張あたりからすごい大渋滞に巻き込まれ、車が全然動かなくなりました。そのうち私は気分が悪くなってきたのです。実は柑橘類は車酔いを誘発することがあり、それをすっかり忘れていた私は吐き気をもよおしてしまったのです。我慢しても全然車は動かず、また外にも出ることが出来ません。もう限界が来てしまったとき、私がした行動は・・・・・・
スケジュールを入れていたA4封筒の中に吐いてしまったのでした。びっくりしていたのは後ろに座っている二人です。ウイリーが私に「大丈夫か?」と何度も聞いて心配しています。私もこんなことになったのは今も昔もこれが最初で最後の出来事でしたが、でも吐いちゃったので、車内でエクスキューズしてホテルに着くのを待ちました。結局、高速は込みすぎてて、普通の道路で行こうと途中で道を代え、日比谷の帝国ホテルに着いたのは、なんと空港出てから3時間後という、長い道のりだったのでした。

明3・4日公開のアジア作品

2006-11-02 20:27:48 | Weblog
文化の日の連休です。
3日の祝日1本だけのアジア作品公開です。

『ユア・マイ・サンシャイン』韓国映画
監督:パク・チンピョ 出演:チョン・ドヨン、ファン・ジョンミン
農村でこれまで恋もしたことのないような素朴な青年が、コーヒーショップで働く女性に一目惚れする。彼女は人には言えない暗い過去を持っているのだが、青年の熱意に負けて愛し会うようになる。だが、彼女の過去がばれ、青年に迷惑をかけたくない彼女は姿を消す。月日が流れ、彼女は見つかるがHIVに冒されていた。韓国の新聞に載っていた話をもとに作られたはかないラブストーリー。
実はこの作品の宣伝依頼があったのですが、同時期に公開される作品の宣伝作品があったために、受けることができませんでした。内の事務所もここのところアジア映画の宣伝にとんと縁がなくなっております。

東京:日比谷のシャンテシネほかにてロードショー

で、明日はFREEMANが宣伝を手がけた『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』が東京都写真美術館で公開されます。ポーランドの天才画家と呼ばれたニキフォルの晩年の姿を描いた作品ですが、この主人公の男性役を86歳のおばあちゃん女優が演じています。また、ロビーでニキフォルの原画展も開催されていますので、絵画に興味のある方はぜひ映画を観て本物の絵を観てほしいと思います。

さて、中断していた『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』編、再開いたしますので、こうご期待(どこまで書いたか忘れてしまっていますが)

おばさんのポストモダン生活

2006-11-01 23:02:56 | Weblog
今回の映画祭で『父子』以外にもう一本鑑賞した作品は、アン・ホイ監督の『おばさんのポストモダン生活』で、渋谷のシアターコクーンの2階席の後ろで鑑賞しました。
上海を舞台にしたこの作品、ひとりぐらしの初老のおばさんが、彼女のもとに登場するいろんな人々と関わりを描いた内容です。冒頭は脚を骨折した妹の息子がアメリカからやって来たところから始まります。アメリカ育ちの少年は現代っ子ですが、おばさんはといえばうるさくてケチで、常識のルールを守らない人間が嫌いな女性です。なので、好き勝手する少年に手を焼きますが、少年がある事件を起こして大騒動になってしまい、少年は親元に帰されます。その次は、食堂で顔から血を流している女の身の上を聞いたばっかりにへんなことに巻き込まれ、そのうえ公園で出会ったちょっとかっこいい男にほのかな恋を抱くのですが、この男に関わったことがきっかけで、老後の資金を一瞬にして失います。このあやしげなかっこいい男を演じているのがチョウ・ユンファです。久々にこうゆういいかげんな感じの男を演じる發仔が、これがまたぴったりなキャラを演じていて、くすくす笑ってしまいます。結局、おばさんにいろんなことが起こって、彼女に娘がいることもわかってくるのですが、(この娘役をヴィッキー・チャオが演じています)前半の笑いの部分から後半は見ていて気持ちが暗くなる展開になっていきます。
出だしは笑いもあってそれなりに楽しい作品なのですが、途中、何を描きたいのかわかりずらくなっていきます。アン・ホイ監督は上海を舞台にした作品をこれまでにも作っていますが、『上海の休日』のような少年との一貫したストーリーであったら、もう少し感動なりを呼んだのかもしれませんが、おばさんがいつの間にかおばあさんになってしまっている姿には、かなり気持ちが滅入ってしまいました。
ところで、劇中、おばさんとユンファ扮する伊達男が、京劇の「覇王別姫」を歌って踊るシーンは秀逸(笑)でした。