電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその15

2006-11-04 12:08:10 | Weblog
ホテルに着いて、チェック・インをした後、部屋に向ったジョイ・ウォン一行ですが、部屋に着くなりマネージャーのウィリーがいきなりスイートルームにあるブランデーをグラスに注ぐと、私に「これを飲みなさい」と勧めました。いわゆる気付け薬みたいなものです。酒には弱い私ですが、彼の好意を無にするわけにはいかないので、それを飲み干しました。でも、不思議なことに気分が落ち着いたのも確かでした。
ところでレスリーはどうなっていたかというと、成田空港からの話に戻りますが、彼の車はそのままホテルに直行していたのでした。で、我々は着いた後にジョイたちが落ち着いてから打ち合わせをする予定だったのですが、いつの間にか出かけてしまっていたのでした。聞いたところでは、彼はウィリーからお金を借りて買い物に行ったとのことだったのでした。「え~」我々スタッフ一同、それを聞いて「しょうがないなあ~」と苦笑いをしていたのでした。
ところで、この二人の貸借の出来事は、レスリーが亡くなった時に強く思い出したことでした。それは、レスリーの映画における最後のマネージメントをしたのがウィリーだったからです。たった1年間のことだったようですが、私はジャッキー・チェンの日本のスタッフからレスリー訃報の一報を聞いた時、ウィリーが泣き崩れてしまったと聞いたのでした。このキャンペーンでのお金を貸したという出来事は、最後の二人の関係に繋がっていたんだと、私は感慨深く思ったのでした。

え~昨日の14で、通訳は2人としておりましたが、実は3人でした。ツイ・ハークの来日の時に通訳してくれた男の子の方がどうしても全部に関われないということで、その子の知り合いの女の子に手伝ってもらい、この二人がレスリーの通訳、そしてジョイ・ウォンの通訳は普通語(北京語)の年配の女性にお願いしたのでした。