電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

チャイニーズ・ゴースト・ストーリーその14

2006-11-03 17:55:16 | Weblog
久々に話を書くので、すっかり前回までのことを忘れてしまいました。というところで、再開です。
前回、スタイリストについて書きましたが、もうひとつキャンペーンで苦労したのが通訳の問題でした。これはある人から香港人の留学生を紹介してもらって、男性、女性の留学生の子にお願いしました。今では考えられませんが、当時は本当に広東語の通訳といえる人は日本人にいませんでした。
さて、いよいよ来日です。私はジョイ・ウォンのアテンド、部下の女性スタッフがレスリー・チャンのアテンドということで、成田空港に向いました。今では来日情報が発表されていてファンが何百人も待つ、なんてことになってますが、昔は来日があってもファンからの問合せにはいっさい答えていませんでした。でも、どこで調べたのか、空港のロビーに行くとファンが待ち構えていました。しかし、この当時の香港スターは悲しいかな、いたとしても10人もいません。なので、ファンがサインをねだっても、こちらは仕事上の立場で断るのですが、スターのほうは人数が少ないせいか、割と気楽にサインをするような時代でした。
私はジョイ・ウォンとマネージャーの「減った、ラーメン食べたい」と言い出したので、空港を出たところにあるドライブインに入り、しばし食事タイムとなったのでした。この食事タイムが、あとで私に最悪の出来事が起こったのです。あまりおなかの減っていなかった私は、食べない代わりにオレンジジュースを飲んだのでした。ところが、再出発したものの、幕張あたりからすごい大渋滞に巻き込まれ、車が全然動かなくなりました。そのうち私は気分が悪くなってきたのです。実は柑橘類は車酔いを誘発することがあり、それをすっかり忘れていた私は吐き気をもよおしてしまったのです。我慢しても全然車は動かず、また外にも出ることが出来ません。もう限界が来てしまったとき、私がした行動は・・・・・・
スケジュールを入れていたA4封筒の中に吐いてしまったのでした。びっくりしていたのは後ろに座っている二人です。ウイリーが私に「大丈夫か?」と何度も聞いて心配しています。私もこんなことになったのは今も昔もこれが最初で最後の出来事でしたが、でも吐いちゃったので、車内でエクスキューズしてホテルに着くのを待ちました。結局、高速は込みすぎてて、普通の道路で行こうと途中で道を代え、日比谷の帝国ホテルに着いたのは、なんと空港出てから3時間後という、長い道のりだったのでした。