天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

非礼勿動

2014年02月25日 | Weblog
天声人語
2014年2月25日(火)付

 人の見た目はその中身を映すのか、隠すのか。難問である。内心は多少とも面構えににじむだろうと、さして根拠のない願望を抱いたまま馬齢を重ねてきた。作家石川淳(じゅん)の随筆「面貌(めんぼう)について」に、映す派向きの一文がある。〈本を読むことは美容術の秘薬であり、これは塗(ぬり)ぐすりではなく、ときには山水をもって、ときには酒をもって内服するものとされた〉▼顔は履歴書だ、40歳をすぎたら顔に責任を持て、などと昔から言いならわされてきた。中身が伴うのかどうかはともかく、寄る年波が見た目に出ることは避けがたい。年格好はごまかしにくい▼若いうちはちがう。成人か未成年か、正確に見分けのつくものではない。酒やたばこを売るコンビニで、10代らしき男性に年を聞き、暴れられた。そんな例が相次いだらしい。そこで、レジのタッチパネルを押させて年齢確認をする仕組みが登場した▼こんどは中高年に怒る人があらわれた。白髪もあればしわもある。ひとめ見ればわかるだろう。なのになぜ一律に押させるのか。逆上のあまり画面を殴って壊し、逮捕される人も出た▼この方式には議論が百出した。どう見ても大人なら店員が押せばいいという主張もあった。苦情が多かったのだろう。スーパーのイオンなどは、少年かと疑われるときだけ身分証を見せてもらうやり方に戻す▼マニュアル通りか、臨機応変の対応か。とくに不快と思わず、ぼんやりと画面を押してきた身には、この難問にコメントする資格がない。

 「とくに不快と思わず、ぼんやりと画面を押してきた身」こんな人いるのでしょうか。「議論が百出」してる問題なのに。いない人を前提にしても…

 「…身」がいたとしても、難問と思っていないのですから、コメントもしないでしょう。

 ないものを作り出しています。真っ直ぐなものがなく、自分もつくろうとせず、拠って起つところもこわしてしまっています。

 ない自分が図らずも自身をつくりだし、それさえぼんやりさせる。

 誰をターゲットにしたらいいか、悩んでいらっしゃる。コメントをもらって、ターゲットを見つけようとされているといったところでしょうか。

 この現実を受けとめるしかありません。