天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 

わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても あはむとぞ思う

手続き論の教育不足

2014年02月05日 | 橋下徹
2月4日橋下徹@t_ishinより抜粋

僕の市長辞職、出直し選挙についての報道等を見ると、日本においては、手続き・プロセス論の教育が全くなされていない弊害をつくづく感じる。日本は実体論の議論ばかり。しかし価値観の多様化した(国際)社会においては、価値観の正当性をいくら主張したって意味がない。

自分が正しいと思っている価値観でも、相手にとっては正しくないという事態がどんどん生じる。この価値観の実体論にこだわっているのが日本のメディア。自分の価値観が絶対的に正しいと信じ込んでいる。違う。どの価値観が正しいかは分からない。だから公正なプロセスでどれを採用するか決定しよう。

これが手続き・プロセス論。手続き・プロセス論では、価値観の対立議論はしない。どう物事を進めていくか。ここに焦点を当てる。その時の基準はフェアかアンフェアか。僕の慰安婦問題を巡る発言もそうだ。保守論客のように、日本の過去の行為を日本的な価値観で正当化しても世界には通用しない。

世界に主張していくにはフェアかアンフェか、ここに絞って主張すべき。慰安婦問題についての世界の対応は、完全にアンフェアだ。この主張をすると自己正当化していると誤解をされるが、これは日本人が手続き論を学んでいないから。アンフェアとは、実体を正当化しているわけではない。

殺人は悪であり場合によっては死刑だ。しかし殺人犯に対してもフェアな手続きで刑罰を科さなければならない。手続き的なフェアさを求めても、それで実体的に正になるわけではない。

ゆえに、慰安婦問題についての世界各国における日本の評価は「アンフェア」であるが、だからといって日本の実体「を正」だと言っているわけではない。最近の産経新聞や読売新聞の記事にあるように、これまで日本はややこしい問題には主張しない、触れないという姿勢だった。

相手が騒ぐ問題は黙っておく。これが日本の外交方針。まあ官僚的な発想だけど、政治家もそれに乗っかった。それが原因で世界各国において慰安婦問題について日本はアンフェアに評価を受ける。言うべきことは言わなければならない。やっとそういう雰囲気になってきたことは歓迎だ。

元へ。手続き論の教育不足だが、市長選挙をやっても議会の構成が変わらないから状況は変わらないという批判が最も多い。こういう人は手続きを分かっていない。大阪都構想については、実現に向けてこれまで何十段の階段があった。それを一つ一つ登ってきた。

そして都構想実現までいよいよ残りの階段は3段となった。①設計図をまとめること②議会の議決を得ること③住民投票で過半数を得ること。この3段、乗り越えるには困難な階段だが、これまで登ってきた階段も登るには大変は困難を伴った。無理だ無理だと言われながら4年かけて登ってきた。

残り3段の階段のうち、議会の構成が変わらないと登れない階段は、2段目だ。目の前の階段、すなわち都構想の設計図を完成させるためには議会の構成を変える必要なない。法定協議会で反対の意思を表明された以上、民主主義の観点から、選挙で民意を問うというものだ。

目の前の階段を乗り越えるためには、市長選挙で民意を受ければ良い。だから市長選挙をやる。それだけだ。そして次の2段目の階段を登るときには、確かに議会の態度が変わるか、議会の構成が変わるかしなければならない。しかしその2段目の階段は今年の8月に訪れる。

2段目の階段の登り方は、2段目の階段にぶつかった時に考えれば良い。今は1段目の階段を上がることに全力を尽くす。それは市長選挙で再選されたことで乗り越えられる。市長選挙をやっても意味がないと言っている人たちは、手続き論を学んだことがない人たち。

市長選挙によって1段目の階段は登れる。確かに2段目の階段を登れるかは分からない。しかし2段目の階段を登れるかどうか分からないからといって、1段目の階段を登ることを止めるのか。市長選挙で1段目の階段を登れるなら登る。2段目のことはその時に考えれば良い。これが手続き論的思考だ。

議会の議決を得るのは2段目の階段。その時にどう登るか考えますよ。今は一案に絞って都構想の設計図をまとめるという1段目の階段。市長選挙で登ります RT @yuki_k1: 仮に協定書の内容が決められたとして議会の議決を得る必要がある。これも選挙で代替するのは無理。