ブロマンス(Bromance)という言葉をごぞんじでしょうか?
今年に入ってちらほら日本のメディアでも見かけるようになりました。米語辞書にこのbromanceが新語として追加されたニュースが8月に報じられて、ネット上でも話題になっていましたよね。
ロイターの記事:米辞書に150語が新たに追加、「ツイート」や「ブロマンス」
この記事では「ブロマンス」の定義を「男性同士の性的ではない親密な関係」と簡単に要約して説明しています。bromanceという言葉自体は90年代なかば頃に欧米のスポーツ・ジャーナリズムの世界で生まれたらしい。brother(兄弟)とromance(恋愛)を合わせた造語で、同性(主に男性)のチームメイトなど選手同士が長い時間を共に過ごし、深い信頼関係でむすばれる状態を指していた。
それが、00年代に入ってから、アメリカのエンタテイメントの世界で、従来のバディ・ムービーに近い新たなジャンルの呼称として使われるようになり、一般に広まりました。
ブロマンス映画の代表的な作品としてよくとりあげられるのが、2009年のラブコメ『40男のバージンロード』。
主人公が結婚を前に同性(つまり男)の親友がいないことにハタと気づき、友達探しを始める。そして自分とは正反対の魅力をもつ青年と出会い意気投合。ところが“男の付き合い”のほうにハマりすぎてしまい、婚約者とうまくいかなくなる、という物語です。他にも、当ブログでとりあげたことのある2005年の『ウエディング・クラッシャーズ』もブロマンス映画の一種と言っていいかもしれない。
わたしが「ブロマンス」という言葉に最初に出会ったのは、マーク・シンプソンのブログでした。マーク・シンプソンはイギリスで活躍するゲイのジャーナリスト/コラムニスト/評論家で、「メトロセクシャル」等の新語をつくった人としても知られている。
彼が書いたIn Defense of Jerry Lewis(ジェリー・ルイスを擁護します)と Lewis and Martin's 50's Love Makes Today's Bromance Look Like Bromide(ルイス&マーティンの50年代の愛にくらべりゃ現代のブロマンスなんてつまらない)の2本の記事を、2009年末頃にたまたま読んだんです。この頃は、ちょうどわたしはマーティン&ルイス(底抜けコンビ)にハマりかけておりまして、彼らのネタを求めてひたすらネット上をさまよっていて、偶然この記事にめぐりあいました。
マーティン&ルイス関連記事はこちらからどうぞ。
マーティン&ルイス略歴はこちらの記事参照:マーティン&ルイス→貴明&憲武
2008年に、ジェリー・ルイスがテレビの生放送中にゲイの差別語をうっかり口にしかけるという事件があり、同性愛者の市民団体が彼に強く抗議していました。明らかにジェリー・ルイスファンであるマーク・シンプソンは、その抗議に抗議してこれらの記事を書いたようです。
「私が同性愛者になった原因を要約すればこの2語に尽きる:ジェリー、ルイス」
とまで書いている。
しかし、やみくもなジェリー・ルイス擁護につっぱしるわけではなく、マーティン&ルイスを回顧しつつブロマンスというジャンルへの彼なりの違和感を表明した、とてもおもしろい記事なんです。
シンプソンによると、ブロマンスは男同士の絆を描いてはいるが、同性愛的な暗示(むろん肉体的な接触をも含めた暗示)に欠ける。大学出のぼんぼんたちが男同士の絆という伝統的なジャンルそのものをただもてあそんでいるような気がしてつまらん、と言う(翻訳がまちがっていなければ、だいたいこんな意味だろうと思います)。
それにくらべて、マーティン&ルイスが1950年代に映画やテレビで見せたのは、もっと生々しく、観てるこっちがこそばゆくなるほど(ticklish)のアツアツぶり、「オンスクリーン・ラブ・アフェア」だった、とシンプソンは言います。
”50年代に家庭にあったあのちっちゃいブラウン管の中で、ふたり(マーティンとルイス)は頭をくっつけあい、互いの目をじっと見つめ、鼻先をふれあわせ、時にはキスをしたり互いのうなじを舐めたりして、スキャンダラスな歓喜に湧く観客に悲鳴をあげさせた。マーティン&ルイスは同性間の愛を研究するのにもってこいの題材だ。しかもふたりは大衆に大ウケしていた---黄色い悲鳴をあげる女性ファンや、少なからぬ男性ファンに、文字通り追っかけられていたのだ・・・”
Their heads so close together in those tiny 50s cathode ray tubes, gazing into each other’s eyes, rubbing noses, occasionally stealing kisses from one another or licking each other’s necks to shrieks of scandalized pleasure from the audience. They were a prime-time study in same-sex love. And were adored for it – literally chased down the street by crowds of screaming young women and not a few men...
もし今の時代にこんなことをするコンビ芸人がいたら、アメリカではたちまちゲイだとからかわれたり、糾弾されたり、色眼鏡で見られたり、逆に過剰にもちあげられたりして、ただあるがままに支持されることはないでしょう。
実際、現代のアメリカ社会は、良くも悪くも同性愛的言動にたいしてあまりにも敏感すぎて、逆に息苦しい面もあるような気がする(個人的なレベルではなくあくまで社会の風潮として)。セサミストリートのバート&アーニーでさえ「ゲイカップルだ」と噂されて、制作側が「ふたりはただの親友です」とわざわざコメントを出すんだから、おもしろいというかなんというか。
それはともかく、マーティン&ルイスへの熱い擁護はもちろん、ブロマンスと呼ばれるジャンルへのマーク・シンプソンの違和感には非常に共感できます。わたし自身はヘテロの立場なので、シンプソンの視点とまったく同じかどうかはわかりませんが。
昔から、バディ映画というジャンルがとても好きでよく観てきました。刑事ものからコメディ、シリアスドラマまで。シャーロック・ホームズも大好き(これはホームズとワトソンのバディものですから)。しかしブロマンス映画やブロマンス的コンセプトには、いまひとつ魅力を感じられない。
たとえば、ブロマンス映画で男友達同士がやたら「愛してるよ」と言い合うのがイヤ。それを特に照れもせず堂々と言ってのけるのがイヤ。「愛してる」なんて言いながら、互いに自分のヘテロ的人生をきっちり友情と分けて幸福になってゆく流れがなんかイヤ。
マーティン&ルイスは、どんなにアツアツでも、あらたまって「愛してる」なんて言い合うことはありませんでした。なぜなら、ふたりが愛し合っていることはあまりにもわかりきったことで、観客にとっても「見ればわかる」ようなものであり、わざわざ言葉で確認するなんてのは愚の骨頂、野暮のきわみだったからです。
しかも、ディーンとジェリーは文字通り「ふたりでひとつ」な存在であって、まさに一心同体であり、運命共同体である。その事実こそがマーティン&ルイスの「ウリ」でした(だからこそ、彼らの解散は彼ら自身だけでなくファンである大衆の側にも深いトラウマを残してしまったのですが・・・)。
そして、そのようなコンビのありかたというのは、じつはアメリカの伝統的なバディ映画そのものの「ウリ」でもある。1930年代のローレル&ハーディ(極楽コンビ)にその起源をみるバディ映画の伝統を、マーティン&ルイスはきわめて強烈なかたちで受け継いでいた---というのがわたしの見方です。
言葉で伝えたりはしないけれど、「おまえなしでは生きていけない」。
その存在論的な切実さこそがバディものの伝統であり、ブロマンスに決定的に欠けていることです。
マーク・シンプソンはこうも書いています。
”私生活での性的志向がどうだったのであれ、史上もっとも成功したコンビとしてのルイスとマーティンの最高のネタというのは、このふたりがカップル(恋人同士)であるという暗黙の了解から生み出されていたのだ”
Whatever the nature of his off-screen sexuality, Lewis’ comedy partnership with Martin, the most successful of all time, along with most of their best gags, was based around the matter-of-fact, unspoken assumption that they were a couple.
これって、「ルイスとマーティン」を「とんねるず」におきかえてもそのまんま通用すると、思いませんか・・・?
およそ25年ほど前のとんねるずとの対談のなかで、糸井重里氏が「とんねるずは仲が良いのがウリだね」と評したのはまったく慧眼でした。そして、ただ単に仲が良い、つまりブロマンス的なありかたじゃなく、互いなしでは存在しえないほどの「アツアツ」ぶり、コンビとしての一心同体ぶり、といったバディ的なありようこそ、日本のエンタテイメントにおいてとんねるずを特異な存在にした最大の要因だったのです。
あいや、ちょうど時間となりました。
今回のテーマはちょっと手強い!なので、2回か3回か(何回になるかわかりまへん)にわけて書いていきたいと思います。
よろしくおつきあいのほどおねがいいたしまする~
マーティン&ルイス トリビュート
マーク・シンプソン言う所のマーティン&ルイスの魅力をがっつりとらえたナイスな編集。
Video Tribute - Maybe - Dean Martin and Jerry Lewis
マーティン&ルイスの人気ぶりがうかがえるニュース映像(1954)
Dean Martin Jerry Lewis Janet Leigh "Living it Up" Atlantic City 1954 newsreel
今、ネットや本とかでとんねるず史を自分なりに調べていて、お聞きしたいことがあるのですが、「二酸化マンガンクラブ」というラジオ番組の放送時期をご存知ですか?
wikipediaにも載っていなくて。オールナイトの少し前辺りなのかな。
はじめましてでいきなり質問ですみません。
コメントありがとうございます。
とんねるず史を調べてらっしゃるとはすてきですね!
「とんねるずの二酸化マンガンクラブ」はわたしは聴いてなかったのですが、ちょっと調べてみました。
この番組は「新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな」という番組の中の10分間のミニ番組でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田照美のてるてるワイド
なので放送開始は1985年4月になるようです。
オールナイトニッポン開始が同年10月。
どうやらANNスタートの前の週まで二酸化マンガンをやっていたらしいので、
放送時期は1985年4~10月、ということになるんじゃないかと思います。
2ちゃんねるの過去スレッドで放送時期に少し言及があるのでご参考までに。
http://logsoku.com/thread/tv.2ch.net/am/1030196944/
121の発言が参考になるかと。
ただいかんせんわたしは聴いてないので、確実なお答えはできないですね~すみません。
どなたかご存知の方がおられたら、お答えいただけるとありがたいです。
2ちゃんのスレッド、すごくおもしろいなあ。
かつての常連ハガキ職人さんたちの話、マニアック過ぎて全然わかんないけど爆笑w
上のコメントでリンクした2ちゃんねる過去スレッドでの言及ですが、
これだけだと、二酸化マンガン内のコーナーをANNで受け継いだ(何でもベスト5とか)のが
10月だったという意味にもとれなくもないんですよね。
両番組の放送が重なった時期があったのかどうか、
そこのところがちょっとあやふやです。
確かANNと二酸化マンガンクラブは重なっていました。
二酸化マンガンクラブは1985年4月から1987年3月かな?
(この番組はキー局が少なかったと言うこと聞いたことあります)
ANNを聞いていても宮本亭がQRのほうは降りて欲しいみたいなニュアンスや
探りを入れているみたいな話題がたまにありました。
ファイアーさんが書かれているように、二酸化マンガンクラブ終了直後の
ANNで何でもベスト5が受け継がれ(曲も同じ)本人たちも盛り上がっていましたね。
ネタを読まれたら二酸化マンガンがプレゼントされました。
「おいにい」にその商品が載っていたような。
この番組は時間も短いですが、完全な企画、コーナーに対して
ハガキ職人が投稿するとう物凄い濃い番組でした。(世間話があまり無い)
キチンとした情報が欲しいですね。
私も情報がここまで見つからないとは思いませんでした。
『バディ物』という言葉を知ったのはホントに最近なんですよね。
あ~でもコレだな~と今さらながら痛感します。
私がとんねるずに萌える最大にして不可欠な要素こそ、この『バディ物』に当てはまってる
んです。
正反対の性格、ひとつの目的(困難)に向かう深い絆、2人でひとつ。
もちろん一人でも充分そのオーラは発揮できるだろうけど、それでもやっぱり2人並んだ時
のものすごい結束力だとか愛情だとかはハンパないですよね。
それをテレビのこちら側で見て感じることが、嬉しくてたまらない。
とんねるずの軌跡って、ある意味『バディ物』のドキュメンタリーをリアルタイムで見ている
のと同じじゃないかと思ってしまいます。
ですよね!
放送期間くらいデータとしてありそうなものですけど・・・
FUJIWARAさんは二酸化マンガンクラブも聴いてらっしゃったのですか?
10分の番組でもかなり中身が濃かったみたいですね。
ANNはテープに録音してた人がけっこういるけど、二酸化マンガンはどうなんでしょうね。
>ネタを読まれたら二酸化マンガンがプレゼント
そうらしいですね(笑)知りませんでした。
自分で過酸化水素をたして酸素を作れと。
さすがタカさんが元理科係だっただけのことはある(笑)
ご記憶から考えると2番組が一時期重複してたのは確かなような気がしますね。
ただ思うのは、リスナーからのネタハガキを読むっていう形態がどっちも同じだから、
そのへんどうだったのかな?ってことですかね~
FUJIWARAさんも同じだと思いますが、こういうの調べるの楽しいですね。
質問してくださった方をさしおいて盛り上がっとりますが(笑)
その世界に熱中して本当に深くハマっていると、
それを用語とかなんとかで分析したりしようと思いませんもの。
その方が本当は正しいと思うんです。
わたしみたいにやたら外からつっつくのは邪道ですわw
>やっぱり2人並んだ時のものすごい結束力だとか愛情だとかはハンパない
もうその通りですね。
2人でないとダメ、っていうところに惹かれるんですね。
>とんねるずの軌跡って、ある意味『バディ物』のドキュメンタリーをリアルタイムで見ているのと同じ
良い言葉ですね!本当にそうですよね。
それを目撃していられるって、すごくラッキーなことだな~と思いますね。
マーティン&ルイスは10年で燃え尽きたんですけど、
とんねるずは30年越えちまいましたからね・・・
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4904376072/imuz-22/ref=nosim/
おもしろ~い。欲しいな!
でもラテ欄じゃないから、ラジオはわからんか・・・