とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「馬場兄弟の結婚式」その2

2005年12月18日 01時35分57秒 | とんねるずコント研究
<メタコントの功と罪>
「俺たちゃ忍者だ」その2において、わたしは「とんねるずはメタ的笑いにかけて日本一の芸人」だと述べた。その最も強力な証拠のひとつとなるのが、「馬場兄弟」「猪木兄弟」コントであろう。

メタ的笑い、とは何か。
と問われて、「メタとは現代思想における脱構築理論の柱であってなんたらかんたら」と論じることができるような知識は筆者にはもちろんない。なのでとりあえず例をあげると、日本文学におけるメタフィクションの先駆者は、『文学部唯野教授』などの作品に代表される筒井康隆であろう。映画では『地球は女で回ってる』『カイロの紫のバラ』のウディ・アレン、『マルコビッチの穴』の脚本家チャーリー・カウフマンなどが挙げられるだろう。*日本では、『ラヂオの時間』『ショウ・マスト・ゴー・オン~幕をおろすな~』などの三谷幸喜を忘れてはならない。

要するにフィクションを創造する過程そのものをフィクションとして提示する方法のこと、と定義できると思う。(*12/22追加)

コントの場合、完全なメタフィクションと言っていいのかどうかは疑問が残るが、方法としてメタ「的」といえるものは存在するだろう。

たとえば「みなさんのおかげです」で、ノリダーのコント中にタカさんが「今日は水尾さんの爆薬が多いから気をつけろよ!」と叫ぶとする。これはまさにメタ的なギャグである。いま自分が演じているコントそのものを作っているスタッフをネタにしているからだ。

従来のお笑いでは、これはご法度だった。楽屋落ちや、演者が互いのギャグについ笑ってしまうといった程度のことはあったであろうが、コントそのものを作る現場や過程をネタにすることはまずありえなかった。その既製概念をうちやぶったのがとんねるずである。まさにとんねるずは、お笑い界の筒井康隆なのだ。

「馬場・猪木兄弟」コントは、そんなとんねるずの「メタコント」の真骨頂だと言える。というのも、このコントでは、馬場・猪木兄弟としてだけでなく、そこに石橋貴明と木梨憲武本人が顔を出すことで笑いをとるものだからだ。それは、たまに本人が出ることでスパイスとして機能する笑いといった位置付けではなく、まさにそれこそがコントの中心なのだ。本人たちの、その日その日の状態やハプニングそのものがネタなのである。

カギは、兄弟が会話をする時、必ず技をかけあうことである。技といっても複雑なものではなく、パンチとキックだけであるが。

「馬場兄弟」での応酬の本格的な開始は、マクドナルドを去る場面である。まただまってどこかへ行こうとする兄を弟が攻撃する。その時、ノリさんはタカさんの背中を思いっっっきり平手で叩く。「パチーン!」というものすごい音がするほど、容赦なく叩いている。あまりの痛さに、しばし動けないタカさん。大喜びのお客さん。やがてタカさんはゆっくりふりむくと、客に自分の背中についた真っ赤な手形を見せる。大喜びのお客さん。噴き出すノリさん。「どこ行くんだよ」と問うノリさんを、かなしそーな顔で見つめるタカさん・・・(笑)

結婚式場に着き、記帳する兄弟。「2めーたー9」と書くノリさんの膝の裏に蹴りを入れるタカさん。替わってタカさんが「東洋の巨人」と記名する。と、背後からタカさんの二の腕に思いっきり噛み付くノリさん!!

*タカ「(あくまで馬場口調で)お前今日めちゃくちゃだな」

この「お前」は、もちろん「馬場弟」ではなく「憲武」である。

(*「猪木兄弟」でも、ノリさんにきれいな延髄蹴りをキメられ、タカ「お前今日元気だなっ!」ノリ「(ライブが)最後なんでねっ!」と言うやりとりがある。)

次に祝儀を出せと兄に言われた弟が、なぜか受付の人を16文キックで倒し、祝儀を盗んで逃げようとする。しかし、さっきの「噛み付き」の仕返しがかならず来るとわかっているノリさんは、背後の殺気を感じてビクビク。タカさんはタカさんで、不敵な笑みを浮かべながらじわじわとノリさんに近づいていく(が、さっきのノリさんほどに強くは叩かない。これは仕返しを猪木兄弟のためにとっておく作戦か、それともタカさんがやさしいからか)。

この後も、ノリさんがタカさんの攻撃をよけたり、タカさんにデコピンをキメたりと、技の応酬は続いていく。しつこく言うが、ここで大切なのは、これらの応酬が馬場兄弟としてのものではなく、貴明vs憲武のものであるということだ。そしてそれは、最高におもしろい。だからこそ、このコントは観客に強く愛されたのである。


とんねるずの登場以来、このようなメタ的笑いはすっかり定着し、誰もが当然のことのように取り入れている。しかし、われわれは忘れてはならない。この手法を確立させ、日本の笑いに革命をもたらしたのは、他のだれでもないとんねるずであった、ということを。そしてまた、この手法に完全に成功しているのは、現時点ではとんねるずだけである、ということを。

なぜ彼らだけが成功したのか。メタ的笑いを成功させるための条件とは何なのか。
ありきたりな結論かもしれないが、それは、とりもなおさず、芸人自身の"人間の魅力"にほかならない、とわたしはかんがえる。

誤解のないように言っておくが、とんねるず以外の芸人さんたちに人間的魅力がない、などと言いたいわけではもちろんない。そういうレベルの主張ではなく、芸人としてのアプローチの違いのことを言いたいのである。

とんねるずというコンビがデビューしたころ、彼らのキャッチコピー(のようなもの)は「高卒パワー」「帝京高校出身」「母子家庭」「自転車屋」といったものであった。あらためてかんがえてみれば、これらは彼らの芸とはまったく関係のない事柄ばかりである。その出自や、育ってきた環境、人生そのものを売り出しているようなものだ。「木梨作三」という父親の名前が全国的に知られているような芸人が、はたして他にいるだろうか?

つまり、彼らはみずからの人生をファンの前にさらけだすことから始めたのだ。とんねるずとは、そもそもの始まりからしてメタ的な芸人になることを運命づけられていたのかもしれない。

それは、いかにパワーのいることだろう。よほどの自信と強靱さがなければできないことだ。たしかにそれが客観的に「芸人」として正しいアプローチであったかどうか、は正直なところわからない。しかし、彼らはそのようなむずかしいアプローチを笑いにとりこんで、さらにおもしろいものを創造する力と度量の大きさを十二分にもっていた。だからこそ日本の芸能史上の大事件となりえたのである。

こういった流れはいまではあらゆる分野に波及し、われわれはメディアに顔を出すあらゆる人々に「人間的魅力=トークのうまさ、個性、社交性」をもつことを要求するようになってしまった。それがぽっと出のアイドルであれ、人間国宝であれ。いまや歌手は、音楽番組でおもしろいトークのできる人でなければ売れない。

しかし、われわれは忘れてはならない。このアプローチは、とんねるずだからできたのだ、ということを。これは彼らだけに許された、特別な、奇跡的なアプローチなのだ。それを他の人々にも強要するのは酷というものだ。

「馬場兄弟」からずいぶん遠くまで来てしまった。「馬場・猪木兄弟」におけるメタ性は、とんねるずのテレビでのコントとは違う特徴ももっているのだが、それについては「ステージコント」の項で論じたいと思う。




その3へつづきます、つきあってくれよ。





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