とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「猪木兄弟の結婚式」その4(1/15・2/10追加)

2006年01月12日 18時23分54秒 | とんねるずコント研究
芸人が、質の高いコントを演じられるのは、何才までなのだろうか。

芸の形態が「漫才」や「落語」であれば、それを演じるための年齢の上限はずっと高いだろう。いや上限などないかもしれない。しゃべりの勢いやテンポが多少おとろえたとしても、それもひとつの味となり、芸の一部となって、熟成させていくことも可能だからだ。

しかし、ことコントとなると、話はちがってくる。

日本においては、コントとは伝統的にドタバタ喜劇、スラップスティックなどと同義であったと思う。もちろん、現代のコントは、以前も指摘したように、非常に多様化している。しかし、たとえば漫談や一人コントなどがもたらす笑いと、ドタバタコントが生む笑いの間には、やはり何か目に見えない境界線のようなものが依然としてあるだろう。

言ってみれば、前者はwit(機知)に属する笑いであり、理性を介して生まれる笑いである。一方後者は、身体的な活動としての笑いである。演者がその身体を躍動させることによって生まれる笑いは、観客の側にも、身体的な笑いを強要する(*1)。前者が「微笑」をもたらすものだとすれば、後者は文字通り「腹がよじれる」ような笑いをもたらすものである。

人間は、いかに文明が発達しようとも、この「腹がよじれる」ような笑いを求めるものだとわたしは思う。そしてまた、そのような類の笑いを提供することを喜びとする芸人も、かならず存在する。

昭和の喜劇王・エノケンは、まさにそのような芸人であったらしい。『日本の喜劇人』(*2)には、エノケンこと榎本健一が生涯「体技」(*3)を追求した芸人であったことが書かれている。

「初めて会ったとき、エノケンは、
『まだ五十八だから、充分に動けますよ』
と私に言った。
ふつうなら、
『もう五十八だから、ドタバタでもあるまい』
というところである」


著者の小林信彦氏は、エノケンに続く「体技」型の芸人としてフランキー堺、植木等、萩本欽一らが出たが、ある程度までくると皆一様に体技的な芸をやめてしまった、と、多少の批判をにおわせつつ書いている。そして、ひとりエノケンのみが「体技を芸にまでみが」いた「天才」だった、と述べている。

わたしはエノケンの芸をまだ見たことがない。したがってここでは、小林氏の文章を信じて論じるしかないのだが、おそらく信じていいだろう。すくなくとも、体技を積極的に肯定しようとする氏の立場を、わたしは支持している(*4)。


<とんねるずの「体技」>
『猪木兄弟の結婚式』は、「とんねるずのコント」ビデオ収録中でもっとも「体技的」な作品である。
他のコントは、もっと年をとってからとんねるずが再演することもできなくはない。が、『猪木兄弟』はおそらく不可能だろう。演じる上限は45才くらいではないか。

その理由は、まず演者が裸にならねばならないこと。『馬場兄弟』も裸で演じるが、やりようによっては裸でなくてもよい気がする。だが『猪木兄弟』は、どうしてもリングで戦う状態で演じる必要がある。そして『馬場兄弟』と違って、この作品がスピード感や次々にしかける技が「ウリ」であることだ。

ビデオを観ていても、ふたりは激しく技をかけあっている。実際に「入って」しまうこともしばしばだ。猪木兄がスピーチをしている時に、弟がキメる延髄蹴りなどはかなり激しいもので、これが毎日くりかえされるので、タカさんは蹴りが入るところに青あざができていたという。

推測だが、とんねるず自身の中でも、『猪木兄弟』を演じるのはこのVol.10の2000年(この時ふたりは38才)が最後、という認識をもっていたかもしれない。

この『猪木兄弟』を観るたびに、筆者は考える。
とんねるずとは果たして「体技」型の芸人なんだろうか?もしそうであるとすれば、この先の彼らの笑いとはどうなっていくのだろうか?・・・と。

なぜなら、芸人の「体技」が本当におもしろくあるためには、いやおうなく「若さ」が要求されるからだ。逆に言えば、若くあることが、体技をおもしろく見せられる条件であり特権なのだ。年老いてまだドタバタを本気で演じても、そこには哀愁やノスタルジーはあっても、純粋な「笑い」はないだろう。残酷だが、それが現実である。若さを失ってもなおドタバタを演じ続けるためには、エノケンのように「体技」をとことんまで追求しようとする強い意志と才能が必要である。

とんねるずは、若くしてデビューし、頂点にかけのぼった。「おかげです」が火曜ワイドスペシャルで放送された86年、彼らはわずか24、5才という年齢であった。その後10年にわたって彼らが「おかげです」で見せてきたコントは、まぎれもなく「体技」的なものだった。

石橋貴明と木梨憲武が、その大きな体をテレビ画面の中で思いきり躍動させ、メイクやコスプレをし、時には乱闘し、時には水をかぶって・・・。それでいて彼らは決して下品にはならない。テレビにおいて、彼らはいわゆるイロモノ的ではなく、常に誇りと気品に満ちた「体技」の笑いを生み出してきたのだ。これは若い彼らが確立した、独特の「芸」だと言えるとわたしは思う。
とんねるずの体技は、最高におもしろい(*5)。

一方「とんねるずのコント」を見る限り、苗場でのコントは、必ずしも体技的なものばかりではない。より演劇に近いものも多く、ここに彼らのひとつの可能性もあるだろう。ただ、とんねるずは、舞台人ではない。彼らは、良くも悪くもテレビタレントである。彼らの活躍の場は、あくまでテレビなのだ。そしてテレビで長年にわたってふたりが大衆に見せてきたのは、「体技」なのである。したがって、彼らは、いやおうなく「体技」の可能性(あるいは不可能性)を追求することを宿命づけられた芸人なのだ。

今後はたしてとんねるずは、日本の笑いの歴史の上で、エノケン以来初めて「体技」を最後まで芸として貫き通す芸人となれるのだろうか?

おそらく、40才代も半ばにさしかかった今が、彼らにとって過渡期なのだろう。
「体技」型の芸人が誰しもぶつかる岐路に、ふたりは立っているのかもしれない。
あらゆる可能性を探りながら、彼らはみずからの行く道を模索しているにちがいない。

もちろん、芸人とて人間だ。生きていかねばならない。過去、多くのすばらしいタレントたちが、ある時点で体技を「卒業」していったことは、批判されるべきことでは決してない。そうすることで、日本のエンタテイメント界は、名俳優や名司会者などを新たに得ることができたのだから。それもまた、大いに意義あることである。

ただ、「体技」による笑いの追求が、そのような道に劣るものではないはずだ。むしろ、それは高いレベルの自己鍛練と、探究心と、勇気と、知性を必要とするものだろう。もしも、そのイバラの道に、われらがとんねるずが果敢に挑んでいってくれたなら・・・『猪木兄弟の結婚式』を見ながら、身勝手なワンフーが抱く、これは夢想である。



(*1 筆者は落語はまったく不勉強だが、桂枝雀は、静的な芸能であるはずの落語を動的にし、また客にも動的な笑いを提供した例外的な例ではないだろうか?彼の落語には、腹がよじれるほど笑わせられたものだ。)

(*2 『日本の喜劇人』 新潮文庫)

(*3 「世の中には、すべったり、転んだり、舞台から転げ落ちてみせること、それ自体を喜びとする人がいる。私のいう体技である」『日本の喜劇人』49頁)

(*4 この見方に対し、演技者の側からの反論もある。小沢昭一氏は、山藤章二氏の対談集『笑いの構造』(講談社)で次のように語っている。「…エノケンさんは"弁"の駄目な人なんですよね、"弁"の。それにリアリズムのにがてな人だから、バイプレーヤーも『ヴァイオリン弾き』の線も行けなかったわけですよね。だから仕方なしにとったのが最後まで滑った転んだの線だったんだと思うんですよ。勿論シリアスくそくらえのエノケンさんの偉大さというものは十分認めなきゃいけないんだけども」)2/10追加

(*5 「話を体技に限定すれば、いま、もっとも鮮やかに動けるのは<とんねるず>の木梨憲武である。…(中略)…こうした形での<とんねるず>は必ずしも正当に評価されていない。木梨憲武の体技はいま絶好のみものである。」『コラムにご用心』小林信彦 筑摩書房 1992)1/15追記



お、わ、り、ダーッ!!!





最新の画像もっと見る

コメントを投稿