とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

「タクシードライバー」その3

2006年03月11日 01時09分07秒 | とんねるずコント研究
<乗客A>
コント「タクシードライバー」では、運転手・吉田がきわめて具体的に造型されていることを「その1」で指摘した。そのことによって、吉田の小市民的なキャラクターがはっきりし、観客は吉田に共感し感情移入する。

では、もうひとりの登場人物である「乗客」はどうだろうか。このキャラクターの意味とは何か?

まず、コントの中で、この乗客について、具体的な情報はまったく示されない。唯一わかることといえば、目黒・油面の住民である、ということだけだ。コント中では運転手・吉田の環境や状況だけが話され、客がどこからの帰りだとか何の仕事をしているかとかいう話は一切出てこない。

彼の匿名性は、その服装にも表れている。一応スーツにワイシャツ姿ではあるものの、ノータイだ。バッグ類も持たず、手ぶらである。普通のサラリーマンには見えない。かといって自由業のようでもない。こわい組織に属する人の可能性もあるが、やはりはっきりしたことはいえない。

彼の服装は、いわば故意にそのアイデンティティを隠そうとする作り手の意図があらわれているといえるかもしれない。中森明菜の「少女A」ではないが、正体不明の存在、特別じゃないどこにでもいる「乗客A」なのだという印象を、観客に与えている。

ところで、このコントについて「タカさんが善人の乗客を演じていた」という批評をたまに見かけることがある。吉田がもうすぐ個人タクシーの資格をとることができると知って、客が缶コーヒーをおごったり、一方通行に気をつけるようアドバイスしたりする行動をとることから、「善人」という感想が出たのだろう。

しかし、はたしてそうだろうか。この乗客は、本当に善人なのだろうか。

たしかに、吉田の事情をいったん知ってからは、おせっかいなほどに彼は吉田の世話を焼こうとする。また、「油面ばばあ」と呼ばれる老女が、深夜に徘徊しているのを助けて、タクシーに同乗させたりもする。ある面では、この乗客は過剰なほどの善意をもちあわせていると言える。

しかし---何かがずれているのだ。

たとえば、コントの冒頭、吉田が客を乗せることを渋ると、彼は即座に近代化センターに通報しようとする。吉田があわててドアを開けると、「あ、やっぱり近代化センターに連絡されると困っちゃうんだ」と笑って言う。

もちろん乗客が苦情を通報するのは、当然の権利だと言えば言えるのかもしれない。が、彼のあまりにもためらいのない行動は、ややもすれば吉田に対する脅迫とも解釈できてしまう。脅迫という言葉は強すぎるかもしれないが、少なくともわたしには、感覚的に彼のこの行動が理解できないのだ。

さらに、タクシーの前をあぶなっかしく走る自転車にむかって、乗客は「歩道走れ、バカ野郎!」と罵声をあびせ、吉田が「逆に訴えられても困りますから」と、あわてて客をなだめる場面。もちろん、吉田への善意から出た態度であることは、よくわかる。わかるが、いきなり怒鳴りつける必要があったのか?ここにも、彼の善意と裏腹の、無神経で極端な側面があらわれているとは言えないだろうか。

決定的なのは、吉田が人を轢き殺した後の乗客の対応である。ここでもまた彼は、何の迷いもあわてることもなく、冷静にひき逃げを指示する。死体を見て、一瞬吐きそうになるものの、その後は落ち着いてビニールシートで遺体を包み、タクシーのトランクに隠す。しかも、被害者が履いていた靴が残っていたことにまで気づき、取りに戻るという冷静さだ。

この行動も、吉田を守ろうとする"善意"から来ているのには違いない。客にとっての"善意"の基準からみれば、ここではひき逃げするのがベストだったのだ。たとえそれがあとになって、もっと深い罪を吉田に背負わせることになったとしても。

乗客の一連の態度には、彼の歪んだ倫理と、刹那的な性格がよくあらわれている。何が悪で、何が本当の善なのか、判断する能力を彼は持ち合わせていない。その場をしのげば、あとは何とかなる、という幼稚で安易な価値判断しかできないのだ。そしてそれは、表向きはいかにも"善意"の仮面をかぶって立ち表れてくるのである(もちろんそれは、彼自身が自分の行動を善意だと信じ切っているからなのだが)。

それがくせ者である。微妙に歪んだ彼の"善意"は、じわじわと吉田を追い詰める。いや、追い詰めようとする意識などみじんもない彼の"無邪気"さは、首を真綿でゆっくりと締めつけるように、吉田を狂気の淵に追い込んでいってしまうのだ。このような人物に出会ってしまったことが、平凡な初老の運転手・吉田の、そもそもの悲劇だったのだ。

タカさんは、このような乗客のあり方を深く理解した、すばらしい芝居をしている。なにげない表情、ちょっとした一言に、乗客の歪みのニュアンスがあらわれている。他のコント同様、演技は非常にこまかい。「油面ばばあ」が撲殺されたのを見て呆然とする表情。さらに、自分の顔に飛び散った返り血をぬぐうという、リアルなしぐさまでして見せている。

しかし、である。この乗客は、けっして特別な存在なのではない。現代の都市生活者はみな、多かれ少なかれ彼のような一面を持っているし、またそうでなければ都会で生きていくことはできない。もちろんわたしも、その一員だ。
だからこそ、彼は「乗客A」なのだ。



その4へ出発!





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