とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

グッドフェローズ

2007年03月06日 14時24分11秒 | 世界的電影
『グッドフェローズ』
(Goodfellas マ-ティン・スコセッシ監督 1990 アメリカ)


これぞ、スコセッシ(でもオスカーはなし)。

<あらすじ>
1950年代ブルックリン。13才のヘンリー・ヒル(レイ・リオッタ)はギャングに憧れていた。ポール・シセロ傘下のファミリーに加わり、若くして伝説のギャングと呼ばれたジミー・コンウェイ(ロバート・デ・ニーロ)を崇拝した。ファミリーの若頭に成長したヘンリーは、カレン(ロレイン・ブラッコ)と結婚。ジミーの盟友トミー(ジョー・ペシ)とも親交を深め、すべてが順調だった。ある晩、他のファミリーに属するギャングとバーで口論になったトミーが相手を殺してしまう。ジミーとヘンリーが死体を隠し、元通りの生活に戻ったが、べつの暴行事件のためふたりは収監されてしまう。家族の生活をささえるため、ヘンリーは刑務所の中で麻薬のディ-ラ-をはじめる・・・


ニューヨークに実在したギャングを基にした映画。
『ディパ-テッド』の作品賞受賞をさんざん批判しましたが、それがきっかけで逆にマ-ティン・スコセッシへの関心がわいてきました。

「ギャング映画」というジャンルにいままであまり興味がなく、スコセッシ作品もきちんとは観てきませんでした(もちろんスコセッシは『アリスの恋』などギャング映画以外の名作も撮ってはいますが)。映画よりも、テレビやドキュメンタリーでインタビューに答えるスコセッシを見る頻度のほうが高かったかも(笑)。

で、とりあえずすぐレンタルできた『グッドフェローズ』を観てみたのですが・・・

まいった。

まいりました。

先にオスカー関係について書いておくと、例によってスコセッシはノミネートのみで受賞なし。1990年の作品賞は『ダンス・ウィズ・ウルブス』、監督賞はケビン・コスナーでした。

・・・なんでやねん!!!

なんで『グッドフェローズ』では受賞しないで、『ディパ-テッド』で受賞なのよ!?
なんでケビン・コスナーに負けるのよ。
せめて監督賞だけでもあげるべきだったんじゃないの?

『ディパ-テッド』とは逆の意味で、またしてもアカデミー賞の摩訶不思議を痛感してしまった・・・。

それくらい、すばらしい作品です、『グッドフェローズ』。
スコセッシの演出力が頂点に達した作品かもしれません。

なにがすごいって、この映画がギャング映画であると同時にコメディであることです。

ギャングたちの生活を、とにかくリアルに描いている。彼らは、ストリートで銃をぶっぱなしたり、仲間と殺し合いをしたりはしない。要所で暴力シーンは出てくるものの、その比重はとても少ない。なぜなら、暴力や殺人はギャングのリアルライフではなくて、観客がもとめる映画的誇張にすぎないからです。


映画はヘンリーのナレーションをはさみながら進んでいくんですが、「映画やテレビドラマとはちがって実際は・・・」というセリフが何度も出てくる。基本的には、ギャングの仕事は盗みや密売をベースにしたビジネスで、もちろん一般人よりずっとリッチではあっても、バカみたいに大きな家に住んでいるわけでもない。ごく普通の人々と同じように、親もあれば兄弟もある。刑務所に入るまでは、ヘンリーは麻薬にふれたことすらなかった(なんというパラドックス!)。

トミーの極度に暴力的な性格とジミーの圧力、1970年代以降の麻薬ビジネス拡大とともに、ヘンリーは古き良きギャングから堕落していくのです。

しかし、その過程すらも、スコセッシは決してドラマティックに誇張して語りはしない。ごく普通のドラマの手法で、そう、まるでホームドラマのようなナレーションによって明るく語っていきます。

それによって、観客はすべてをヘンリーの視点から見ているような気分になる。ヘンリーの心に記憶されるジミーやトミー。"普通の"ギャングたちが、まるで伝説上の人物のように見えてくる。

そんなナラティブのありかたをわきまえた、ロバート・デ・ニーロとジョー・ペシの知性あふれる演技は、ほとんど完璧に近い。特にジョー・ペシは、映画を観ている最中から「こりゃ助演男優賞ものだな」と思っていたら、本当にオスカー受賞していました。

撮影も、クローズアップを排し、客観的な視点を持続していて、『ゴッドファーザー』のような華やかさではなく、軽い寒色系のイメージ。

でも、ただ淡々と撮っているだけではない。たとえば、若きヘンリーとカレンがディナ-をとるレストランで、裏口から入ってキッチンをぬけ、フロアーへ出ていくまでの長い道のりを、ステディ・カムで追いかけるワンショット。ゴージャスとしか言いようがありません。まさに息をのむ長回しです。

ヘンリーが麻薬密売で逮捕される「1980年5月11日日曜日」(と、テロップに出るのはいかにもギャング映画らしい)の一日を追ったシークエンスが、これまたすばらしい。偵察のヘリコプターを気にしたり、武器の取引にかけずりまわったりしながら、その合間に足の悪い弟を病院から連れ帰ったり、家で料理をしたり。

さらにいろいろあって、最後の公判シーンでは、ヘンリーが証言台からすーっと下り、カメラにむかって観客に直接語りかけるという、きわめて前衛的なショットが。これにゃーびっくりしました。最後の最後まで、スコセッシの実験精神があふれています。


この映画では、「日常」と「極限状態」との奇妙な混合が、本当におもしろい。なぜならそれこそが「現実」だからです。現実とは、それがいかにドラマティックであろうとも、必ずコミカルな要素をもっている。

これは、クリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』・『硫黄島からの手紙』にも言えます。戦争という「ドラマティックな現実」の、悲惨さだけを拡大して見せるのではなく、その日常にひそむ喜劇をも、イーストウッドは描いた。それこそが、この2部作をかつて類をみない戦争映画にしたのだと、わたしは思っています。

それと同じことが、『グッドフェローズ』にも言えるのかも知れません。
スコセッシは、ギャング映画の歴史を変えた、と---オスカーの"栄誉"が、あろうと、なかろうと。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
チンケな密告屋 ヘンリーヒル (zebra)
2013-03-02 09:28:25
見ました。 友達がデニーロ好きだから 見せてみようと思ってます。内容自体は充実してよかったですよ^^

聞いたことありますが、マフィアの世界でも 麻薬のビジネスは禁じてるそうです。

ガンビーノファミリーをニューヨーク最強の組織にまでさせたカルロ・ガンビーノも"麻薬をやるやつは死ね"とまで言ったそうです。

もし、ヘンリーがガンビーノ一家の所属だったら・・・
アイルランド系で準構成員になれたとしても、ほぼ確実に消されてたと思いますよ。 元の親分だったポーリーにウソをついて麻薬やって縁切りされて 餞別にお金くれたなんて まだいいほうです。

ポーリー親分も 決してほめられた人物ではないが デニーロ演じたジミーやジョー・ペシ演じたトミーと比べれば まだまともだった・・・

「ポーリー・・彼が何したなんて知らないよ」
って かばってくれてもよかった気がします。 見ててヘンリーは一般人でも裏社会の人間にしてもチンケなハンパ者にしか思えませんでした。
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zebraさん (ファイアー)
2013-03-03 21:07:15
コメントありがとうございます!
ちょうど6年前の記事ですね。
わたしの記憶もかなりうすれてますので、コメントをいただいて
再見したくなってきました。
ヘンリーは、仰る通り、映画によく出てくるかっこいいギャングとは
ぜんぜんちがうタイプとして描かれてますよね。
ある意味、ギャング映画のパロディなのかもしれませんね。
ガンビーノなんて親分がいらっしゃったのですか。
勉強になりました!
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