とんねるず主義+

クラシック喜劇研究家/バディ映画愛好家/ライターの いいをじゅんこのブログ 

パロディの神様(2)

2006年12月05日 16時20分09秒 | とんねるずコント研究



とんねるずの「パロディ芸」とは、何か?

それを考えるために、1980年7月12日にタイムスリップしてみよう。
この日、貴明&憲武が第一週にチャレンジした「お笑いスター誕生!!」が放送された。
この一週目のネタについては、「おかげです」でとんねるずが再現した「バック・トゥ・ザ・お笑いスター誕生」の採録として、以前記事にした。

ネタを見直してみて、非常に興味深いのは、すべてものまねである、ということだ。タカさんの新沼謙二、アントニオ猪木、星一徹。ノリさんの具志堅用高、和田アキ子。そして最後は11PMのテーマのものまね(?)で締めている。

前回も述べたように、パロディのもっともシンプルな形が「ものまね」である。後年「おかげです」でさまざまなパロディを展開し追求したとんねるずが、そのキャリアをものまねでスタートしたということは、非常に示唆的である。

さらに出場2週目になると、すでに単なるものまねの羅列から一歩進んで、「巨人の星」や「バットマン」のパロディコント(らしきもの)を「演じて」いる形跡がうかがえる(→お笑いスター誕生!!の世界を漂う参照)。さらに3週目、4週目も歌番組やドラマのパロディとものまねを融合させたネタだったようだ(*1)。

アマチュア時代の貴明&憲武が、自分たちで考えたネタは、すでにパロディだったのである。もちろん、ちゃんとしたコントなど作ったことのないふたりにとって、もっとも作りやすいのがパロディだった、と言うことはできるだろう。しかし、それだけだろうか?ふたりがはじめから得意とし、また好きでもあった分野が、まさにパロディだったのではないだろうか?

もちろん、とんねるずの原点が「ものまね」だったからと言って、彼らがそのままものまね道に走ることは当然、なかった。初期に見せたものまねは、お世辞にも「似ている」とは言えなかった。また、同時期に「お笑いスター誕生」に出場していたコロッケのように、徹底した顔面・声帯模写のデフォルメ芸(プラス確かな歌唱力)で勝負するほど、貴明&憲武はものまねに入れこんでいたわけでもなかっただろう。

当時の彼らのものまねは、いってみれば、在学中によくやった帝京高校理事長(とお付きの人)のものまねの延長にすぎなかったのだ。にもかかわらず貴明&憲武が4週目までストレートで勝ち抜くことができたのはなぜか?それについては次回以降で後述する。


さて、とんねるずは、原点としてのものまねを捨てることなく、キャリアを重ねながら発展させていった。ご存じの通り、タカさんノリさん、それぞれにレパートリーはたくさんある。タカさんなら、田村正和、田中邦衛、石田弘EP、別所毅彦などなど、右に出るものがいないほどにうまいネタを確立している。

一方ノリさんはといえば、とにかくものまねできる人の数がおそろしく多い。今年5月のソロライブ「NORITAKE GUIDE III」では、「おかげです」でのノリさんの名物コーナー「ひとりものまね王座決定戦」・「ひとりものまね紅白歌合戦」を編集したビデオがえんえんと流れた。まさに怒濤のような人数である。そのどれもが、お笑いスタ誕当時とは比較にならないほどクオリティが高いのが驚異的だ。

単に似せるだけでは飽き足らず、デフォルメや一芸乗せることをノリさんが決して忘れないのは、親交のある清水アキラやコロッケらから学んだテクニックなのかもしれない。筆者はタカさんのものまねが大好きではあるが、追求度の深さにおいては、やはりノリさんに軍配があがると言わざるをえないのではないか。そもそも、ものまね番組をパロディする、つまり、もともとパロディであるものをさらにパロディするという試みからして、画期的である。

ここに、「おかげです」のパロディコントのひとつの特徴をあげることができると思う。ノリさんの「ものまね」への飽くなき追求が、とんねるずのパロディに微妙な「本物らしさ」を与えるのだ。

例をあげればキリがないが、とりあえず無作為にひとつあげてみる。たとえば田村正和・小泉今日子主演のドラマ「パパとなっちゃん」のパロディコント「パパとなっちゃん2」。もちろん「本物」の小泉今日子をゲストにむかえたコントだ。

田村正和を演じるのはもちろんタカさん。ノリさんは田村正和の義母役の白川由美を演じていた。マサカズの妙に長い間(ま)にツッコミをいれるのがノリさんの主な役割なのだが、ふと見せる表情や話し方は、ドラマでの白川由美にあまりにもそっくりだった。ノリさんがいかに対象をよく観察し、そのクセを真似るのに巧みであるか、が、はっきりわかるコントであった。

このような「巧さ」があることで、パロディは一瞬オリジナルにかぎりなく近づく。その瞬間、パロディは、それが本来的にもつ批評精神やいかがわしさから脱し、オリジナルだけが持ちうるある種の「品格」を勝ちとることができる。とんねるずのパロディが他と一線を画すのは、まさにその「品格」においてなのだ。


では、タカさんがとんねるずのパロディにもたらしたものとは何だろう?
それについては、次回に・・・。ちゃんちゃん。


(*1 奇妙なのは、5週目で落選し、「とんねるず」と改名して再チャレンジして以降は、本格的なオリジナルコントをほぼ一貫して演じていることだ。つまり、とんねるずとしてプロデビューした当初は、「パロディ(ものまね)」を封印していた節がうかがえる。この点については、具体的な資料があつまれば再考してみたい。)





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