地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

癌との生活

2017-06-29 18:57:04 | 日記
麻央さんの件で、色々な事を思い出しました。

身近な知人で、親を癌で亡くした人が3人。
亡くなった親は3人とも男親で、その時に母親は健在でした。

それを看取った方は男が一人で、女が二人。

あくまでも、外から見ての話ですが、この3組の親子が病気を知ったときから、亡くなるまでにとった行動は違っていました。

【その男の場合】

父親の病気が判明した時、彼はサラリーマンで結婚していました。
父親の身の回りの世話は母親が居たので、彼が主にすることは車で父親を病院に連れて行くことでした。

検査・治療だけでなく、入退院を繰り返す事は多いんです。
病気が解った時点で、医者から外科的治療は無理と告げられたそうです。 そのことは父親も説明を受けました。

息子は内緒で、何処か別の医師(病院)なら、、、との思いから色々と探したそうです。
しかし、これと言ったモノは見つからず。 何の根拠もない「薬モドキ」なんかも買ったと言っていました。

結局はどうにもならず、病気が解ってから二年足らずで亡くなった。


【娘・1の場合】

彼女はシングルマザーで、子育てと仕事に追われる日々の最中に父親の病気が解った。
彼女の父親も解った時点で手術は出来ないと医師に告げられました。 父親も医師から説明を受けていた。

彼女の取った行動は上記の男の場合と違った。

父親に残された時間をどう過ごすかという点に力を注いだんです。

父親の状態の良い時に、、、、
母親と父親を伴い両親が行った新婚旅行の地に行ったり。父親の好物を食べにも何度も行った。

その期間は一年余りだった。。。


【もう一人の娘】

上記の二人と大きく違った点がありました。

いわゆる告知をしなかったんです。 
医師から母親と娘の二人に説明が有った時に、娘の意見で当人の父親には別の病気で説明することにした。

この時の娘の気持ちを聞くと、、
すぐにどうするか判断できずに、結論を先延ばしにしたらしい。
そして、自分では可能な限り情報を収集です。 何処かの大学病院とか癌の手術で有名な病院・医師を探しまくった。

その行動で知識も増え、父親が助からない事を強く感じ、、、「やはり告知は止めよう。」と決心した。

この情報の多い時代に父親が自分の病気を知る事は可能だろうと思ったが、父親は元々口数の少ない人で、嫁・娘・医師に自分の病名を予測して問う事は無かったらしい。

結果的に、病気を知ってから二年足らずで亡くなった。

その後、少し落ち着いてから父親の寝室の整理をしていると、押し入れの奥から数冊の本を発見した。
その本は父親の癌の事を詳しく書いてある本だった。

やはり父親は自分の病気を知っていた。 外科手術もしないし、医者の対処を考えればそれがどういう事かは理解していたんです。
そのことを知った娘は一日中涙が止まらなかったと、、、、。

娘は、、、病状を正しく伝え、父親のしたい事で可能なことをすべてさせてあげた方が良かったと、自分を責めていました。


これは全て、癌で亡くなった人を看取る側の話です。

癌になって助かる可能性が極端に少ない当人の気持ちは解りません。

特別なことはせずに、流れのままに経過検査とか治療の日々を送った人。

自分の運命を受け入れて(少なくとも表面上は)、残された時間を愛する嫁や娘と楽しく過ごした人。

嫁や娘が自分に気づかい病名を隠し続ける事が嬉しく、自分も知らないふりを続けた人。


どの人のとった行動が良いのかなんて意味がない

看取った方もどの方法が良かったのかなんて意味がない

人はすぐに物事の良し悪しを判断したがりますが「死」が関わった事に関しては、そういう領域の外にあります。
判断の良し悪しの領域に入れるのはあくまでも生きている間の話で「死」の前では何の意味も持たない。

とった行動がどうだったかなんて話も、生き残った人の話で亡くなった人には何の意味もない。


亡くなった人の事を思い、自分のとった行動の良し悪しを考えるな

私はこの三人にそう言い、自分にも言っています。






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