地方の女たち

夜の街で出会った女達と男達

女・苦労なのか不幸なのか・・

2023-01-18 13:30:00 | 日記

新年早々に少し暗い話ですが・・・・

大畑智子(48)・・仮名。

20数年前に結婚、、、見合いで一度は断った相手だったが、人を通して熱心な誘いがあり結婚することになった。

自営の亭主は仕事もそれなりに順調で、近くに住む亭主の両親にも大事にされ、幸せな日々が続いた。

 

子供が出来て、一段落してから智子も仕事をする事になったが、その事には何の不満も無く仕事も楽しい感じで、何も言う事のない平穏な生活が続いていたのだが・・・

子供が出来て数年経った頃から亭主の暴言が始まった。元々言葉遣いが良いとは言えない人だった・・

夫婦の間に何が有ったのかは分からないが、亭主の暴言は段々と酷くなり耐えるのが難しくなった。

思えば亭主の母親も言葉が悪く、当初はザックバランな人と感じていたけど、亭主の暴言が酷くなるにつれて、その母親の言葉も暴言として聞こえる様になってしまった。

智子の話では亭主の浮気とか暴力とか浪費癖などは無く、ただ言葉の暴力で奴隷か虫けらのように言われる事が最大の問題だった。

 

そんな日々でも、仕事で外に出る事が多く、亭主と接する時間が短いし、子供の事も有り離婚は考えず日々を送った。

そんな気持ちになってから15年、、、、

子供が高校を卒業して就職することになり、それを機会に家を出て一人住まいする事を考える様になった。

その時に母親の気持ちを感じ取っていた子供が

「お母さん、もう我慢せず離婚しても良いよ。なんなら家を出て私と一緒に住んでも良いよ。」と言ってくれた。

 

智子は離婚を決心して、何時言い出そうか考えている時に、自分の親に介護が必要になった。

親の介護は大変な事だが、智子にとりそれを理由にし、とりあえず実家に帰り親の介護をする事にした。

実家は子供が一人暮らししている家とも近く、親の介護は大変だが亭主と離れて暮らす開放感の方が勝っていて、介護と仕事に励み、子供も実家に来て夕食を共にしたりして、精神的に充実した日々が続いた。

 

亭主が暮らす家には服を取りに帰るのと法事程度で、実質的には別居生活になり1年ほど過ぎた頃。

介護の甲斐なく親が亡くなり、その後始末が終わった頃に、自分の身の振り方を考える時が来た。

智子が暮らす実家と亭主が暮らす家とは1時間半ほど離れていて、帰る気持ちになれない智子は電話で話をする機会が増えた。自分の仕事にも実家の方が便利と言うのも有ったし子供も近い。

 

亭主と電話でゴタゴタした話をする期間が数か月過ぎた頃に、、、、

ある時、何度も繰り返している話を亭主と電話で話をしていたのだが。

突然、亭主の言葉が変になり無音になってしまった。

何か大変な事が起こったのかと、近所に住む亭主の親に電話して様子を見てもらう事に・・・

暫くして亭主の親から電話があり、亭主が倒れて意識がなく救急車を頼んだと。

運ばれた病院に行き医師の説明で脳溢血だと知った。

意識がなかなか戻らず、かなり危険な状態になったが、何とか意識は取り戻した。

そして医師から、、、命は助かるが重い後遺症が残るだろうと。

正直なところ、智子にとり他人事のように感じて、亭主の事を心配する気持ちにはなれなかったらしい。

それどころか、この状況では離婚の話を切り出せない事に困った。

長い入院期間が終わり、リハビリと介護ができる施設に移ったのだが。

病院でもリハビリの施設でも、このコロナ禍で面会する事は無く、それは智子にとって都合が良かった。

ただ、そこの人達が「奥さん、・・・・・」と、何かの連絡事項や亭主の状態を説明してくれるたびに言う「奥さん」が、どうも気にかかる。何かこの亭主の最終的な責任者として、世話の義務を押し付けられているように感じたのだ。

智子にとり亭主の病気は関係なく離婚するつもりだったのに、離婚を口にすれば世話が必要な人を見捨てていく感じになってしまう。面会できないと言うのもあるが、亭主の親や兄弟は一度も見舞いに来ないし、、、。

 

離婚は口にせず我慢していたが、現実的には顔を見る事も無く、一番嫌だった亭主の暴言も聞く事も無いので、その事に耐える事はしなくて済む。

子供は以前から考えていた事なので、離婚の話しを言っても良いのではと言ってくれるが、、、、やはり実の父親ですから、以前の様に強く勧めると言う事は無くなり、ついに孤立する事に・・・

色々と悩み考えている間にも時間は経ち、施設の人はその後の事を色々と説明してくれるようになり、その話の中心に自分が置かれていく。リハビリと介護を永遠にやり続けてくれる施設が見当たらないと言われ、奥さんが家で世話をするのが一番だと。智子にとっては、まるで厄介者を押し付けられる感じにしか取れなくなっていた。

 

そして、、、リハビリ施設の人の「時間がかかるかも知れないけど、何処か受け入れてくれる施設を探すので、それが見つかるまでは奥さんの方でお願いします。」との意見を受け入れてしまった。

心はかなり昔から離れていても、長年一緒に人生を歩んだ人が困っている時に、それを見捨てる事は道義的にどうしてもできない。その上に、決心する後ろ盾となっていた子供の心も、以前とは違って変化している。

施設の人の「施設を探す」と言う言葉が唯一の希望で、一時の辛抱だと自分に言い聞かせた。

 

親が居なくなった実家を車いすでも生活できるように改造して、障がい者となった亭主の世話をする事に。

身体の半身が不随で、言葉も上手く発する事が出来ない。色々な介護サービスも利用しているが、亭主を一人には出来ず、誰かが「守り」をしなければならない生活に。

子供や智子の姉妹が協力はしてくれるが、亭主の家族が一切協力してくれないのにも腹が立つ。

 

智子は多くは無いが自立するだけの収入は有り、たちまち生活に困る事は無いと思っていたが。

自営の亭主が事業資金として負債が残っていた。亭主が元気であれば問題の無い負債で、倒れるまでは返済も滞りなく行われていた。離婚予定の亭主が、突然に障害者となり、借金を抱えたまま転がり込んできた。

結局はその負債を自分が借り換えて一旦支払い、返済期間を長くして、全額を自分で支払う様になってしまった。

これが健全な夫婦関係であれば受け入れるより他はないかも知れません。

しかし、、、離婚予定の亭主となると、愛情がないどころか憎しみさえある相手。

入所できる施設を探す間と言われたが、数か月も探して無かったのに、今更新しい所が見つかるとも思えない。

正確に喋る事が出来ないのに、相変わらず吐き捨てる様に暴言を吐く亭主。

 

正式な離婚に応じてくれなくても、実質的に離婚状態の別居なら、それでも我慢しようと決心していた智子。

それが、、、同居だけでなく介護もする事になってしまった。

親と違って同年代の亭主の介護ですから、智子の残りの人生は全てその事に使う事になってしまう可能性が大きい。