アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

680 生きてるだけで丸儲け! ㉚ 鳳啓介 京唄子  「大口?」

2020-03-06 08:51:08 | 日記

㉚ 鳳啓介・京唄子

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漫才コンビに「コンビ名」がない時代は、売れた後(解散した後)もそれぞれが自分の名前で活躍できた。現在はそもそもが個々人の個性で売りだす。浜田や松本も「ダウンタウン」の領域を脱している。さらに、HGレーザーラモンなどは、コンビがなにかも分からない。

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鳳啓介だが、大鳥圭介という幕末の幕府軍で活躍した人物にダブるのは筆者だけか。

漫才や芝居の脚本が彼の本業だ。「ポテチん」や、「忘れようとしても思い出せない。」という高度なギャグで売っていた。定番の漫才は、数々のボケで怒った京唄子が、鳳啓介の頭をはたいて後ろ向きにして背広の背中をめくり上げたらワイシャツの背中がなく背中が丸見えになっていて大爆笑を取っていた。

さらに京唄子の、大口(おおきな口)が最大の売り物だった。この時代ボケと突っ込みがはっきりしていた。啓介のボケに唄子が突っ込む。正直、漫才の精度はそう高くなかったが、啓介の斬新な脚本が生きていたように思う。このコンビも離婚後、活動を続けていた。「唄子・啓介のおもろい夫婦」は、超人気番組だった。筆者は、蝶々・雄二の「夫婦バンザイ」の二番煎じという印象はぬぐえないが、筆者の実母はこの番組を楽しみにしていた。確か、おもしろい夫婦のエピソードだけでなく苦労話や人情噺で涙を誘っていたのを覚えている。京唄子の涙もろさが売り物だったように記憶する。

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その後の、京唄子の「唄子劇団」の活躍は、このシリーズのテーマではないが、大きな口と大きな帽子がトレードマークだった。顔の造作がすべて大きかったので小顔に見せる技だったと思料する。晩年の芸能界での存在感は、ミヤコ蝶々に匹敵する。特に「渡る世間は鬼ばかり」は余りに有名だ。因みに、唄子は上沼恵美子の話術を評価していて、自分の番組に積極的に売り込んだらしい。

このように昔の芸人は離婚と結婚を繰り返し、それも芸の肥やしにしてビッグになって行ったのである。京唄子などは、鳳啓介の実弟と再婚している。しかもすぐ離婚している。そもそも啓介も最初の結婚相手ではない。現在のように「文春」で不倫・不倫と大騒ぎなどクダラナイと言いたい。ミヤコ蝶々~京唄子~上沼恵美子という存在感の変遷を見ると次は、ハイヒールリンゴが登場してくるか。

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