アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

973回 あちゃこの京都日誌  新シリーズ「新天皇国紀」㉘

2023-02-15 09:45:46 | 日記

その4 ここまでの着眼点

  • 摂関家からの権力の奪還

この世をば…藤原道長の「望月の歌」新解釈から見える政権の試練 ...

外祖父とは、天皇の母の実家の父の事で、藤原氏の戦略は自らの娘を積極的に天皇家に送り込むことである。現代でも、お母さんの実家のじいちゃんが一番可愛がってくれるのである。当然、全部の皇子が天皇になるとは限らないし、必ず男子をもうけるとも限らない。従って、複数の娘を多岐にわたって皇室に送り込み婚姻関係を結んでいく。数打てば当たる戦法だ。しかし、藤原氏はそんな甘くはない。自分の娘の子(当然男系男子)を皇位につける為には、積極的に政治闘争を仕掛け、時には陰謀も辞さない。多くの場合政敵を無実の罪に陥れた。要は、汚い手を使って来たのだ。ただ、後三条天皇の母は藤原道長の孫だが、父は後朱雀天皇なので、外祖父に藤原氏はいない。さらに、後三条天皇の中宮や后に道長・頼通に繋がる有力な藤原氏もいなかった。しかも、母の禎子内親王は道長と不仲であった。禎子がもし男子であれば、天皇になって道長の外祖父の地位を得られたので、禎子誕生時、道長は非常に落胆したと伝わる。現代でも、母がその実家と仲が悪ければ、本人はその実家と疎遠になるのは当たり前だ。母から何かにつけて実家の悪口も聞かされていれば尚更だ。当然、道長とその子頼通を好きになることはない。後三条天皇の意思ではなかったものの、結果として摂関家との関係に一区切りつける役割を担うことになった。しかも、禎子内親王は長生きし、曾孫の貞仁親王(白河天皇)即位を、藤原氏の子であることで反対している。むしろ、この女性の存在が摂関家の全盛にピリオドを打ったとも言える。


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