アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

105アチャコの京都日誌 再びの京都 大仙百舌鳥古墳群世界遺産へ

2017-07-31 08:32:46 | 日記

百舌鳥古市古墳群

世界遺産の登録に向けて、推薦することとなった。

誠にありがたく、ぜひ応援したい。

私はいくつかの点で非常に縁が深い。

まず、仁徳天皇陵は小学校から中学卒業まで9年間毎日、その正面を通って通学していた。

前方後円墳の直線の前方直線の道を欠かさず通った。

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ちょうど写真の右から左に歩いたが、この道、秋分春分の日の太陽の軌道に沿っている。

まさしく正しく東西を示している。

よく見ると堀が三重になっている。2重までは当時、管理がずさんで冒険出来た。

しかし、いかだで3重を渡り中心の島に行った奴は、二度と戻らなかったと言う。

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実は、残念ながら16代仁徳天皇はその存在はまだ確定していない。

26代継体天皇がその存在の確かな天皇の最初である。

我々は、仁徳さんと親しく呼んでいるが、父は全国八幡神の主神、応神天皇だ。その母が、神功皇后となる。

素晴らしい血筋だが、後継争いでひと騒動あった。

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世界遺産宇治上神社本殿

 

兄の、菟道稚郎子が後継者と決まっていたが、その就任にあたり自ら固辞したと言う。

結局、兄は自殺した。その菟道稚郎子を奉る「宇治上神社」はすでに世界遺産である。

また、皇后の磐乃媛命の墓は、奈良の私の自宅前にある。通称ヒシアゲ古墳と呼んでいる。

非情に嫉妬深い方で、仁徳天皇の浮気に激怒し遠くこの地にさまよって亡くなったと聞く。

このように、大阪堺~京都宇治~奈良と、私の生活線上に並ぶ。とても縁を感じる。

Hishiage.JPG

ヒシアゲ古墳は、朝の散歩コースだ。

京都関係の話ではないが、仲哀天皇~神功皇后~応神天皇~仁徳天皇~履中天皇

この間の経緯はとても面白い。

応神天皇の後継の経緯も、本当は相当な争いであったと推察する。

是非ふるさと百舌鳥を世界遺産に・・・・。

尚、仁徳陵の西北に多くのラブホテルがあったと記憶しているが、世界遺産となれば景観に差しさわりにならないか?

確か「葵」というホテルが大きな看板をあげていた。子供のころ、何をするところか?妄想したものだ。

私は今でも「葵」という文字を見るだけで、妄想してしまう。

スケベ―!!

 

 


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