アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

318 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 105代 後奈良天皇 即位式すら出来なかった??

2018-03-19 09:26:08 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

 

105代 後奈良天皇

 天皇座像(浄福寺所蔵)

後柏原天皇 母 勧修院藤子

l  在位中元号

l  大永・享禄・天文・弘治

l  生年・崩御

l  1497年1日26日~1557年9月27日

l  在位

l  1526年6月9日~1557年9月27日

l  朝廷

l  京都御所 土御門東洞院

女御

万里小路(藤原)栄子

l  皇子・皇女

l  計9名

l  先代

l  後柏原天皇

l  次代

l  正親町天皇

l  陵墓

l  深草北御陵

 

即位後、10年ほど即位式すら出来なかった。言うまでもなく財源がなかったのだ。一方、

この頃の歴史については検証が十分ではなく、我々市井の歴史マニアには難解過ぎて分からない。

しかし、後奈良在位中の年表から項目を拾うと激変の時代が見えて来る。

まず、将軍は、義晴~義輝の時代だが、1527年に「義晴入京する」と書いてあるから京都にいなかった将軍なのである。足利将軍は、権力を把握していたのは3代義満までで、その子4代義持以降、籤将軍の6代義教、銀閣寺創建の8代義政が名を知れているくらいで、それ以外では素人では名前も業績も理解されない。

 

足利義晴.jpgAshikaga Yoshiteru.jpg(左)義晴(右)義輝

年表に戻る。一向一揆の文字が度々見える。一方、1536年には天文法華の乱があり洛中から法華宗(今の日蓮宗)が追放される。1543年は鉄砲伝来、1549年はキリスト教伝来とまさに宗教的にも、軍事的にも激変の時代だとわかる。

その間、毛利元就、武田信玄、上杉謙信、斎藤道三、山中鹿之助、陶隆房、織田信秀、・・・・・。と、歴史好きにはたまらない戦国中期の英雄がどんどん出ている。年表を見るだけでワクワクする。

「写経」の画像検索結果

その中で、1540年後奈良天皇、諸国悪疫流行により「般若心教」を書写し三宝院に祈祷させる。と、書いてあった。

現在の皇太子が、昨年57歳の誕生日に、わざわざ後奈良天皇の名前を出して、その事について畏敬の念を表明している。

いつの時代でも国民の幸福を願う皇室の本質が見える。

埋葬地は、多くの天皇が眠る深草北御陵である。

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 317 アチャコの京都観光... | TOP | 319 アチャコの京都観光... »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | 日記