アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

911 新シリーズ 令和に巡る京の神社   第24番 首途八幡宮 義経の旅立ちの神社

2022-03-07 10:49:06 | 日記

第24番 首途八幡宮

 

京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1

主祭神    誉田別尊・比咩大神・息長帯姫命

ご利益 出世・旅行安全・商売繁盛

神に祈ることの中に、「昇進・昇格」など「出世」を願う人も多い。サラリーマンの出世や昇進は、努力の結果だけではない。筆者は、甘い辛いなど辛酸をなめてきた。サラリーマンに限らず努力が報われるほど世の中甘くはない。手練手管を駆使し、卑怯な手を使おうが、真っ当に生きて行こうがそれらが必ず報われるものではない。年功序列の時代なら、同期入社や前後に社長などトップのポストに就く奴が出たらならば自分にその可能性はない。トップ人事のみならず、重要ポストに自分の異動サイクルがうまくかみ合うかなど、タイミングの問題もある。さらに、自分を認める先輩・上司が出世するのもやはり偶然だ。見込みのありそうな人物にすり寄ってもその者が出世するとも限らない。突出した実力者が不祥事でこけることもある。

鳥居と参道

そのような「運」が大きく自分の人生を左右するのだから、神仏に祈るのは当然の行為であろう。

さて、源義経にその「出世」を祈るのが適正かどうかの疑問がまず浮かぶ。源平合戦の英雄ではあるが、その後の政治感覚の無さで自らは滅ぼされ、「判官びいき」という悲しい格言を世に残し、「怨霊」にもさせてもらえず、「チンギス汗伝説」など国民的同情を残すのみの彼に、我々の出世を叶える神力があろうとは思えない。かくして筆者は、サラリーマン人生を振り返り、神前にて手を合わせ、心を込めて私を出し抜いた同僚たちを恨むことにした。罰が当たっても失うものはすでにない。

提灯

当社は、上京の西陣地区にある。高級貴族の住宅跡に創建されたという本殿はやや小高い丘の上に鎮座する。細長い参道は10メーターほどの狭い直線で、幾つか鳥居をくぐり見上げると拝殿・本殿が見える。数段の石段を登って振り返っても左右にあるマンションの2階から見下ろされるほどである。義経が捲土重来を期して奥州藤原氏を頼り鞍馬山を脱出し、旅立ちをする際にここを起点にした。援助した金売吉次の邸宅跡でもあったこの場所に八幡宮を勧請し今日に至る。従って、旅行の安全を願う神社でもある。「首途」は「かどで」と読み、出発を意味する。また、別名「内野八幡宮」とも言う。内野とはこの辺りを京の「七野」(北野・紫野・平野・嵯峨野・禁野など)のうちの一つである。

本殿

記念碑

境内は狭く参道の提灯は、西陣の御店(おたな)の社名や北野上七軒のお茶屋の屋号が並ぶ。お茶屋に関りはないが、西陣の方は遠い昔、何社か筆者の取引先であったものもある。営業車でこの前の浄福寺通りを駆け抜けたことを昨日のように思い出す。まだ、出世できると思っていた無垢な時代である。