訂正 光格天皇は、119代
118代 後桃園天皇 まさに、 つなぎの天皇(血脈は繋げなかった悲しい天皇)
在位 1770~79年 在位9年
在位中元号 明和・安永
父 桃園天皇
女帝である叔母の、後桜町天皇の後を継いだ。父(桃園天皇)が亡くなった時、まだ幼少であった為に成長を待って即位した。12歳であった。
上皇として姉の援助を受けながらの即位であった。親子でない皇位継承は、この後の後桃園から光格で最後となる。また、天皇の甥に継がれたのは430年ぶりという極めて珍しい即位となった。
しかも、22歳で薨去し内親王しかいなかったので、まさに皇室存続の危機でもあったのだ。
その娘である内親王の欣子(よし子)を、女帝にしても問題は解決されない事から、皇位は傍系の閑院宮に継がれた。江戸初期に新井白石の進言で新設した宮家の効果がここで実った。今こそそのような皇位継承について危機感を持った議論が望まれる。
因みに、欣子内親王はその光格天皇のお后となっている。内親王の立后は極めて珍しい。なお、そのお子に男子がいたが早世し遂に桃園・後桃園の皇統は繋げなかったのである。
時代は、将軍家治・老中田沼意次の時代で、残念ながら天皇の業績は特に残っていない。
我々のような自由恋愛のSEXは許されず、(許されていないが?)周囲から強制的に単なる生殖のための行為を期待される人生を想像すると悲しくなる。
若くして亡くなった事と、叔母への遠慮も考えると切なくなる。
陵墓は、泉涌寺 月輪陵に娘欣子光格皇后と隣り合わせで眠っている。
次回は、その叔母 後桜町天皇。