デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

猪俣猛のカーネギーへの道

2017-05-28 09:26:28 | Weblog
 「この日客席には二千三百人入っていた。キャパシティーが二千八百だから、ほとんど空席は目立たないといった状態だった。最初の曲ワン・オクロック・ジャンプが終わるや、その客席から割れんばかりの拍手が起こり歓声が上がった。カーネギー・ホールという大舞台で、沢山のアメリカ人を前にして最初の曲からこれほど熱の入った反応が起こるとは、実のところ思っていなかったので、私は思わず『やったァ』と叫んだ」

 猪俣猛が1994年にジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズを率いて憧れのステージに立ったときの感動である。著書「カーネギーへの道」(南雲堂刊)から引いた。ベニー・グッドマン楽団の「Sing Sing Sing」を聴いてドラマーに憧れた人だ。「The Famous 1938 Carnegie Hall Jazz Concert」とクレジットされたレコードで、ソロはジーン・クルーパーである。ウエスト・ライナーズをはじめサウンド・リミテッド、ザ・サード、フォースというバンドを結成して日本ジャズ界を牽引した猪俣の最大の功績は、ジャズとロックの融合でジャズを身近にしたことだろう。60年代のジャズ喫茶で珈琲を零すとジャズ・ロックからジャズに入った人にかかった。

 数あるレコードから「ライナー・ノート」を選んだ。今でこそ「和ジャズ」と呼ばれ注目されている邦人ジャズだが、60年代はほとんど録音の機会が与えられなかった。その時代にオーディオ・メーカーが立ち上げたのがタクトである。69年のSJ誌レコード・オブ・ザ・イヤーはほぼこのレーベルで埋まるほど当時から評価が高かった。伏見哲夫をはじめ鈴木重男、三森一郎、今田勝という精鋭の音は日本のジャズシーンを変える何かを持っていたし、ウエスト・ライナーズというバンドの熱量はアメリカのそれに近い。「Afro Blue」に「Cantaloupe Island」、「Freddie Freeloader」という選曲をみてもその意欲がうかがえる。

 カーネギー・ホールといえば道案内にまつわる有名なジョークがあるという。この近くでカーネギーへの道を尋ねられたら、「練習して、練習して、さらに練習してください」と答えるというものだ。これが元ネタでジャズクラブの近くで訊かれたら「腕を磨け」と言うのがミュージシャンの模範解答になっている。真面目な顔で最初に答えたのはルービンシュタインとか。神童と言われたピアニストでも練習は欠かせない。
コメント (8)
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