デューク・アドリブ帖

超絶変態ジャズマニア『デューク・M』の独断と偏見と毒舌のアドリブ帖です。縦横無尽、天衣無縫、支離滅裂な展開です。

バードランドから子守唄が聴こえる

2009-01-18 07:49:40 | Weblog
 そこにはよくマイルスが出ていた。ディジーとマックス・ローチも。司会はピー・ウィー・マーケットという小柄な男だった・・・コラムニストのピート・ハミルが、自伝的エッセイ「マンハッタンを歩く」でバードランドを回想している。バードランド周辺のマフィア系が経営するジャズ・クラブや、ブルックリン橋、バッテリー・パーク、タイムズ・スクエア等、生粋のニューヨーカーならではの生き生きとした筆致は、どことから流れてくる心地いいジャズの風をうけながらマンハッタンを散歩している気分にさせる名著だ。

 49年にオープンした名門ジャズ・クラブ、バードランドのライブはクリフォード・ブラウンが参加したメッセンジャーズやコルトレーンのアルバムで聴けるが、おそらくジャズ語としか思えない言い回しでマーケットに紹介されたプレイヤーは、毎晩あのような熱気の籠ったステージを繰り広げていたのだろう。そのジャズの聖地ともいえるクラブに曲を捧げたのは盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングだった。作曲した52年以降、エンディング・テーマとして幾度となく演奏された「バードランドの子守唄」は、白熱するプレイとそのステージに酔うお客、そして興奮冷めやらぬ閉店後の雰囲気を見事なまでに旋律に託している。

 この名曲だけをこのアルバムのために録音された12曲を収録したのがRCAの「Lullaby
of Birdland」だ。トップのディック・コリンズをはじめチャーリー・バーネット、クインシー・ジョーンズのビッグバンド、トニー・スコットやジョー・ニューマンのコンボ、そしてピート・ジョリーとバーバラ・キャロルのピアノトリオ、様々な編成でバードランドの雰囲気を楽しめる。ビッグバンドやアップテンポの演奏は白熱のステージを目の当たりする迫力があり、小編成やバラードはその燃え尽きたライブの余韻を残す。それぞれ趣向の凝らしたアレンジはバードランドで演奏した夜に思いを馳せたものであり、どのヴァージョンもテーマ部を崩さないのはシアリングが肌で感じたクラブの空気に敬意を払ったものだろう。

 ハミルはこの書で、「クラブは1965年まで営業したが、すでにニューヨークの合金というストーリーのなかでひとつの役柄を演じ終えていた」と記している。1965年はビートルズがエリザベス2世からMBE勲章が授与されロックが世界を席捲した年である。バードランドが閉店しジャズもかつての栄華を失ったのは確かだが、バードランドというチャーリー・パーカーのニックネーム「バード」にちなんだ名前と、そこから生まれた子守唄は永遠にジャズ史に残るに違いない。
コメント (14)
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