確かにヒト一人、それも将来のある若者が自ら命を絶ったことは、あまりにも重い。
しかし、この維新を名乗る首長の行動というものが、ある意味「体罰」にも似た「いじめ」にも
見えて仕方が無いのです。それも「陰湿」な。。。
「体罰」については、ここで申し上げるつもりもございませんが「今と昔」とでは先生も生徒も
育った時代や環境の違いによる「質」や「性格」も違うことは確か。
以前、一度だけ母校の教壇に立った折も、自身の高校生の時と比べると何かが違って感じたのも確か。
(5年程前の虚ろ立つ。。。)
講義の後、教員室で先生方と「建築教科」について色々と、雑談をしていても「威厳」というものは
正直、感じることが出来なかった。
後日談として当時、色々と先生方に注文や要望を言ったせいか「某設計事務所の〇〇さん(土花吉)は
厳しい意見を言う怖いヒト」という風評にも似た噂が、高校(工業高校)の建築科教員の話しとして
人を通じて耳にしたことがある。(5年近く経った今でも耳に入ることがある)
当時、建築を学ぶ生徒のためを思い先生に意見したことが「厳しい」とか「怖い」と感じとられて
しまう現実。
それも生徒にではなく先生に。。。
教育とは「教え育てるもの」とは言うけれど、生徒によって逆に教えられることもある。
今回も在校生が記者会見まで行い、泣きながら意見を述べていたようですが
維新を名乗る首長が聞く耳を持たぬとも先生方は聞く耳を持ち、生徒と同じ立場で物事を
考えて頂きたいものです。一緒に悩み苦しみ。。。
出てくるのは首長や教育委員会の顔だけで、先生の顔が一切出てこないことに不思議さを
感じるのは私でけでしょうか・・・。
教育委員会にしても、事なかれ主義で暗に「まあまあ、たまたま表に出たのがこの高校で他校でも似たり寄ったりですよ…」と言っている様に聞こえます。
市長は敢えて喧嘩を売っている節も感じられるので、真摯にかって、本当の有るべき教育論に昇華して欲しいものです。
仕事柄関わる医師も、教育者も権利だけ主張し、義務を全うしない輩がやたらと目につきます。
日本の低迷の一因なのではないでしょうかね?
確かに私の時代も「しょ~もない先生」も居ました。(って言うかほんとんどがそうだったかも)
でも、素晴らしい先生もたまに居ました。
その、「たまに居ていただいた先生」とは定年後の今でも
年賀状のやりとりをし、私達夫婦の結婚式にも来ていただき、
もう30数年お付き合い頂いています。
そんな、目上の者に対し尊敬の念を抱き「師と仰ぎ」える
先生が自分の目の前に現れるか否か
生徒たちにも運、不運があるのかも知れません。
本来、学びの舎での運の話は禁物ですが・・・。