ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

主は来ませり…

2008-12-20 22:05:00 | 
『主はきませりぃ~♪ 主はきませぇりぃ~♪ 主は~ 主は~ きませり 』


という賛美歌をかつて教わり、その厳かなメロディーに魅了される瞬間もなくはありませんでした。
教えてくれたのはC子でした。敬虔なクリスチャンの生まれで、家族はみな信心深く、
彼女も子供のころから、イエス様の教えを叩き込まれていたらしいのですが、
そう教える割に、C子は極めて現実主義者で、ご都合主義的でもありました。
しかし三つ子の魂百までとはよく言ったもの、数ある僕の不徳の場面では、
僕にとくとくとそういった教えを説くのでした。


僕は、文化の違いに驚き、特に反論をするでもなく神妙にその説に従うばかり。
彼女のいう〝主〟に手を合わせたりもしました。


主などいません。わかっています。
そうはいっても主を置いた方が社会の秩序を維持するのに都合がいいのです。
何か人知を超えたものが常に自分を見ているのだと思うことにより、
人間は悪事を控えます。そればかりか善行に勤しむことすらするかも知れません。
個人的に神に信心することは、何も悪いことではないと思います。

だからいようがいまいが、主はいることにしておいた方がいいのです。


けれども、マジに信ずる人たちが増えて、いろんな弊害も生じてきました。
徒党を組み、対立し、戦争(宗教戦争)さえ起こします。
冗談ではなくなります。


主は(主はどなたでもいいけれど)、個人の心の中にあるだけでいいのだと思います。

主は誰のところににも来ない。自分の所に来るのだと…


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心穏やかになる雪化粧

2008-12-20 09:12:29 | 
とっぷりとあたり一面に降り積もった雪化粧を見ると心が穏やかになります。
なぜだろうかと過去を振り返り記憶の糸をたどってみても、これといった要因が見当たりません。

静かでしんしんと降り積もる雪の静かさや、景色を白一色に染める潔さに、
体の深部に刻み込まれた僕のDNAが、おのずと反応しているのでしょうか。
何しろ、落ち着きはらい、沁みるような幸福感を覚えます。






何も見えなくなるくらい降り続けている様もいい。
子供のころはよくそんな場面に出くわした。
学校の帰り道、目の前が見えなくなるくらいに雪が降り続けた。
〝犬は喜び庭駆け回る~♪〟 まさに、心が躍りました。





雪の中でさんざん遊んで家に帰ると、温かい炬燵とストーブがあり、
熱いホットミルクを作ってもらった。
外はまだやむことを知らないように、雪が降り続き、
明日はきっと腰まで積もるかななどとなぜか楽しみに感じました。







〝家族団欒〟という言葉がありますが、そのような雰囲気が嬉しかったのでしょう。
と言ってもお家には、祖父母と兄妹しかいなかったのですが。

嫌な現実も忘れさせてくれるからでしょうか。
真っ白な中にいると、パラレルな不思議な異世界にいるような錯覚に見舞われます。
静かで真っ白な、しかも自分しか感じられない感覚。
部屋にとじこもり、僕は何をしていたのだろう。
人恋しさもなおさらに募ったはずです。






C子やH子との思いでもあった。たくさんあったはずです。
サークルBOXのだるまストーブでコークスをたくさん燃やし、
部屋はもう汗をかくくらい温かく、カリカリと何かを記している。
夜の遅くまで創作活動をし、外に出るとバイクで帰れないほどの積雪。
朝までそこで過ごしたこともありました。







真っ白な大地に真っ青に晴れ渡った翌日の空は気持ちのいい反面、
とても切なく哀しくさせます。
なぜか知りませんが、あまりに深い空の青は、僕をそうさせます。

     寂寥感

そんな言葉がぴったり。
また明日、大雪になってくれればいい。いつもそう思っていました。


今日は名古屋に行ってきます。
外はいい天気ですね。とても寒そうです。




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