『主はきませりぃ~♪ 主はきませぇりぃ~♪ 主は~ 主は~ きませり 』
という賛美歌をかつて教わり、その厳かなメロディーに魅了される瞬間もなくはありませんでした。
教えてくれたのはC子でした。敬虔なクリスチャンの生まれで、家族はみな信心深く、
彼女も子供のころから、イエス様の教えを叩き込まれていたらしいのですが、
そう教える割に、C子は極めて現実主義者で、ご都合主義的でもありました。
しかし三つ子の魂百までとはよく言ったもの、数ある僕の不徳の場面では、
僕にとくとくとそういった教えを説くのでした。
僕は、文化の違いに驚き、特に反論をするでもなく神妙にその説に従うばかり。
彼女のいう〝主〟に手を合わせたりもしました。
主などいません。わかっています。
そうはいっても主を置いた方が社会の秩序を維持するのに都合がいいのです。
何か人知を超えたものが常に自分を見ているのだと思うことにより、
人間は悪事を控えます。そればかりか善行に勤しむことすらするかも知れません。
個人的に神に信心することは、何も悪いことではないと思います。
だからいようがいまいが、主はいることにしておいた方がいいのです。
けれども、マジに信ずる人たちが増えて、いろんな弊害も生じてきました。
徒党を組み、対立し、戦争(宗教戦争)さえ起こします。
冗談ではなくなります。
主は(主はどなたでもいいけれど)、個人の心の中にあるだけでいいのだと思います。
主は誰のところににも来ない。自分の所に来るのだと…
という賛美歌をかつて教わり、その厳かなメロディーに魅了される瞬間もなくはありませんでした。
教えてくれたのはC子でした。敬虔なクリスチャンの生まれで、家族はみな信心深く、
彼女も子供のころから、イエス様の教えを叩き込まれていたらしいのですが、
そう教える割に、C子は極めて現実主義者で、ご都合主義的でもありました。
しかし三つ子の魂百までとはよく言ったもの、数ある僕の不徳の場面では、
僕にとくとくとそういった教えを説くのでした。
僕は、文化の違いに驚き、特に反論をするでもなく神妙にその説に従うばかり。
彼女のいう〝主〟に手を合わせたりもしました。
主などいません。わかっています。
そうはいっても主を置いた方が社会の秩序を維持するのに都合がいいのです。
何か人知を超えたものが常に自分を見ているのだと思うことにより、
人間は悪事を控えます。そればかりか善行に勤しむことすらするかも知れません。
個人的に神に信心することは、何も悪いことではないと思います。
だからいようがいまいが、主はいることにしておいた方がいいのです。
けれども、マジに信ずる人たちが増えて、いろんな弊害も生じてきました。
徒党を組み、対立し、戦争(宗教戦争)さえ起こします。
冗談ではなくなります。
主は(主はどなたでもいいけれど)、個人の心の中にあるだけでいいのだと思います。
主は誰のところににも来ない。自分の所に来るのだと…