とっぷりとあたり一面に降り積もった雪化粧を見ると心が穏やかになります。
なぜだろうかと過去を振り返り記憶の糸をたどってみても、これといった要因が見当たりません。
静かでしんしんと降り積もる雪の静かさや、景色を白一色に染める潔さに、
体の深部に刻み込まれた僕のDNAが、おのずと反応しているのでしょうか。
何しろ、落ち着きはらい、沁みるような幸福感を覚えます。
何も見えなくなるくらい降り続けている様もいい。
子供のころはよくそんな場面に出くわした。
学校の帰り道、目の前が見えなくなるくらいに雪が降り続けた。
〝犬は喜び庭駆け回る~♪〟 まさに、心が躍りました。
雪の中でさんざん遊んで家に帰ると、温かい炬燵とストーブがあり、
熱いホットミルクを作ってもらった。
外はまだやむことを知らないように、雪が降り続き、
明日はきっと腰まで積もるかななどとなぜか楽しみに感じました。
〝家族団欒〟という言葉がありますが、そのような雰囲気が嬉しかったのでしょう。
と言ってもお家には、祖父母と兄妹しかいなかったのですが。
嫌な現実も忘れさせてくれるからでしょうか。
真っ白な中にいると、パラレルな不思議な異世界にいるような錯覚に見舞われます。
静かで真っ白な、しかも自分しか感じられない感覚。
部屋にとじこもり、僕は何をしていたのだろう。
人恋しさもなおさらに募ったはずです。
C子やH子との思いでもあった。たくさんあったはずです。
サークルBOXのだるまストーブでコークスをたくさん燃やし、
部屋はもう汗をかくくらい温かく、カリカリと何かを記している。
夜の遅くまで創作活動をし、外に出るとバイクで帰れないほどの積雪。
朝までそこで過ごしたこともありました。
真っ白な大地に真っ青に晴れ渡った翌日の空は気持ちのいい反面、
とても切なく哀しくさせます。
なぜか知りませんが、あまりに深い空の青は、僕をそうさせます。
寂寥感
そんな言葉がぴったり。
また明日、大雪になってくれればいい。いつもそう思っていました。
今日は名古屋に行ってきます。
外はいい天気ですね。とても寒そうです。
なぜだろうかと過去を振り返り記憶の糸をたどってみても、これといった要因が見当たりません。
静かでしんしんと降り積もる雪の静かさや、景色を白一色に染める潔さに、
体の深部に刻み込まれた僕のDNAが、おのずと反応しているのでしょうか。
何しろ、落ち着きはらい、沁みるような幸福感を覚えます。
何も見えなくなるくらい降り続けている様もいい。
子供のころはよくそんな場面に出くわした。
学校の帰り道、目の前が見えなくなるくらいに雪が降り続けた。
〝犬は喜び庭駆け回る~♪〟 まさに、心が躍りました。
雪の中でさんざん遊んで家に帰ると、温かい炬燵とストーブがあり、
熱いホットミルクを作ってもらった。
外はまだやむことを知らないように、雪が降り続き、
明日はきっと腰まで積もるかななどとなぜか楽しみに感じました。
〝家族団欒〟という言葉がありますが、そのような雰囲気が嬉しかったのでしょう。
と言ってもお家には、祖父母と兄妹しかいなかったのですが。
嫌な現実も忘れさせてくれるからでしょうか。
真っ白な中にいると、パラレルな不思議な異世界にいるような錯覚に見舞われます。
静かで真っ白な、しかも自分しか感じられない感覚。
部屋にとじこもり、僕は何をしていたのだろう。
人恋しさもなおさらに募ったはずです。
C子やH子との思いでもあった。たくさんあったはずです。
サークルBOXのだるまストーブでコークスをたくさん燃やし、
部屋はもう汗をかくくらい温かく、カリカリと何かを記している。
夜の遅くまで創作活動をし、外に出るとバイクで帰れないほどの積雪。
朝までそこで過ごしたこともありました。
真っ白な大地に真っ青に晴れ渡った翌日の空は気持ちのいい反面、
とても切なく哀しくさせます。
なぜか知りませんが、あまりに深い空の青は、僕をそうさせます。
寂寥感
そんな言葉がぴったり。
また明日、大雪になってくれればいい。いつもそう思っていました。
今日は名古屋に行ってきます。
外はいい天気ですね。とても寒そうです。
ご無沙汰しておりました。
写真を見たときに、雪に馴染みがない私にとっては
テレビや写真集で見るような、別世界に感じられ
“普段の暮らしのさま”というリアル感が
よく分かりません。
だけど、一度だけ蔵王に行ったときに
鳥肌が立つような銀世界を体感したことがあります。
dragon21さんにとって、雪化粧は
心が落ち着く場所なんですね。
きっと、心の原点なんでしょうね。
素敵な写真をありがとうございます。
私は・・・
中でも、最初の写真がいちばん好きです。
From名古屋からです。新幹線からです。というかもう着きますね。
雪は僕にとって特別です。
僕はふとして“雪の精”かも。
雪が妙に懐かしい。