今日の言葉

2008年05月08日 | Weblog
日扇聖人の教え歌
【言の葉と 身の不行儀を たしなめば それで世間の 常の人なり】

言葉と、行動に気をつけて初めて、普通の人です。
常識というものは、世の中の流れとともに変わっていきますが、その時代の人としての常識とは、いわばルールのようなものです。
その時代、その場の状況で言っていいことと悪いこと、して良いことと、してはならないことは誰でも、分かっているのではないでしょうか。
家庭には家庭の暗黙のル―ルがあり、学校にも会社にも、世間にもルールがあります。犯罪となるわけではありませんが、あんまりと言えばあんまりだということが結構あるのではないでしょうか。
若いときは、女性は美しさで少々のことがあっても見逃してもらえることが多いようです。また、男性も行き過ぎがあっても、若気の至りとかで、まあしょうがないかと思われます。少しくらい、勢いがある方が、むしろ好感を持たれます。
しかし、年齢とともに「そのくらいは大目に見てほしい」という甘えは許されなくなります。それなのに、若いときの記憶で、このくらい言っても大丈夫、このくらいのことをやっても許してもらえるという考えがつきまとい失敗します。
美人であった人ほど、また、好感を持たれた人ほど甘えが抜けませんから注意しなくてはならないと思います。
まぁ、あんまり偉そうな事は言えませんが、人を傷つけることに無神経では人間性を疑われますよね。
ただ、社会的な問題については、正しいものは正しいとはっきり主張しなくては正義が埋没してしまいます。ですから、大勢の人を思って言いにくいことをあえて言うことも時に必要です。
また、相手のことを本当に思って言う言葉は、たとえきつくても、それはやさしい言葉・・軟語というものであると日蓮聖人は言っておられます。しかし、普段から無神経な態度、言葉を使っている人が、急に自分のことを思って何か、きついことを言ってくれているとは誰も思いません。ですから、日常の会話や、やりとりは大事です。
とにかく、私たちは自分はどんなことを言っても許してもらえると思う甘えは禁物だと常に自分に言い聞かせた方が良いのではないでしょうか。
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