フィリピン ネグロス島親会場オープン

2011年06月04日 | Weblog

 

日にちが経ってしまいましたが、遅ればせながらご報告です。

マニラから飛行機で約1時間。船なら24時間もかかりますが、ネグロス島という島があります。

昔、小中学校で習ったのは、ルソン島とミンダナオ島。でも、そのほかに7,100余りの島々フィリピンにはあります。

ジャネット・黒柳さんの出身がネグロス。

その中でも一番賑やかなバコロド市に、70人あまりのご信者ができ、ついに遠妙寺の親会場(別院)ができました。

さいわい、土地をご有志(寄付)くださった方が東京・遠妙寺に二人。

家付きでしたので、ジャネットさん、テディーさんたちが中心になって急遽、修理してくださいました。

去る5月20日(金)からわが遠妙寺の教務長、河野彰国講師が11日間にわたってご奉公。

マニラでの御講、お助行から始まり、ネグロス島でのお助行、20数軒を終えて5月29日(日)にオープン。

開所式、入信式、そして初の御講をつとめました。

名前が難しいですね。

とりあえず、The Buddhist Communication Center Of HBS Onmyoji としておきます。

親会場というのは、開導日扇聖人がお寺と言わずに、ご信者の皆さんが集まるところという意味で名付けられたものです。

Meeting Center というのもあるでしょうが、これから考えます。要するに遠妙寺ネグロス親会場。

狭いところに、83名もの参詣者があり、子どもも大人も喜んで、入信の誓いをたてて、御講にお参りしました。

クーラーもない、扇風機もなく、32度から35度くらいの温度のようです。でも当日は、過ごしやすかったとのこと。

貧乏な人ばかりだけれど、貧困ではなかったというのが昔の日本です。日本を訪れた外国人が言っていたとお茶の水女子大の藤原先生の本に書いてありました。

フィリピンは貧乏な人が多く、貧困ですが、心豊かな人が多いという印象です。

御本尊を奉安に教務さんが参りますと、竹編み細工のお厨子(仏さまが入られる入れ物。まぁ御戒壇、仏壇みたいなもの)をちゃんと自分で作って心待ちにしているのです。

日本には、あまりそんな人はいないですね。そういうものは用意できなくても、周囲を片付けて、綺麗な敷物をしいたり、壁に綺麗な布を貼り付けて御本尊をお迎えしようと待っているのです。

そして、日本語も漢字も、インドの言葉ももちろんわかりませんが、一所懸命に南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と御題目をお唱えします。

それで、驚くような御利益をほんとに頂いてしまいます。

まぁ、そのうち、お披露目の開筵式などもさせてもらわなくては。となりの島が有名なセブ島。

そっちに行く人は多いのですが、ネグロス島を訪れる人は少ないのです。

でも、水が綺麗で最近は、ダイバーはネグロスを目指すとのことです。

ネグロス島には、昔、太平洋戦争で大勢の何万人という日本人とフィリピン人の人びとが亡くなっています。

その中には、不軽寺の建部御導師、乗泉寺の碓井御講師等の方もいます。慰霊碑は日本人により、昔、建てられていますが、慰霊に訪れる人はありません。

このたび、初めて現地において、そういう方々の御回向が上行所伝の御題目によって行われた意義はたいへんに大きいと思います。

遠妙寺のご奉公もインターナショナルになりました。

テキサスにもご信者がいるし、サントニオにも。サンフランシスコにもご弘通の種があります。

一天四海皆帰妙法を、単なる理想におわらしてはなりません。

 

 

コメント (3)
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