1981年末にコスタリカでの生活を終え、スパニッシュ・オデッセイも一段落した。その後、ペルーとメキシコでも暮らすことになるのだが、スパニッシュではないところにも縁があった。パプア・ニューギニア(Papúa Nueva Guinea) とシンガポール(Singapur、マレー語とポルトガル語は Singapura) である。
結局、筆者が海外生活した国は環太平洋諸国ばかり(シンガポールは厳密にいうと環太平洋ではないかもしれないが)で、筆者はさしずめTPPマンといったところだろう。
まずは、パプア・ニューギニアへ脱線するが、やはりスパニッシュとはいくらかでも関連付けたい。
コスタリカへは青年海外協力隊員として派遣された。生活に困ることはないが、かといって、リッチな暮らしができるわけでもない。現地の標準的な給与水準並みの現地手当が支給されていたのである。だからこそ、現地の人並みの生活ができ、いろいろなことを知ることができた。
しかしながら、パプア・ニューギニア以降はJICA専門家(メキシコへは文部省派遣)で、かなりの好待遇であった。待遇はよくなったものの、協力隊員ならではの生活体験は残念ながら、できなかった。
さて、パプア・ニューギニアは派遣前語学研修は英語である。部族語が500とも700あるとも言われている。また、怪しげな英語のようなピジン語も話されているが、共通語は英語である。国歌も英語で歌われている。しかし、英語が分からない年寄りは当然歌えないだろうし、そもそも国家意識があるとも思えない。あるのは国家意識ではなく、部族意識だろう。
それに引き換え、コスタリカはさすがに近代国家である。ただ、パナマとの国境に近い、山間のでは、昔ながらの先住民が暮らしていて、年寄りはスペイン語ができなかった。コスタリカは人種的にも白人系が多数派で、言語もスペイン語(若干の例外はカリブ海側の黒人が話すジャマイカ英語)で統一されていて、国民としてのまとまりはあると思う。
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それに引き換え、コスタリカはさすがに近代国家である。ただ、パナマとの国境に近い、山間のでは、昔ながらの先住民が暮らしていて、年寄りはスペイン語ができなかった。コスタリカは人種的にも白人系が多数派で、言語もスペイン語(若干の例外はカリブ海側の黒人が話すジャマイカ英語)で統一されていて、国民としてのまとまりはあると思う。
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