ポートモレスビーからソゲリ高校へ帰る途中、都市部(とはいっても比較の問題)を抜けたところから道が分岐する。このあたりの道路は、カエルの大群が発生する時期がある。夜、ソゲリへと帰る途中、道路の上にたむろしているカエルを踏みつけざるを得なかった。下手に止まると、ラスカルにやられる。ソゲリへは右の道を行くのだが、左へ行くと、ボマナというところに刑務所と警察学校がある。
この刑務所はよく脱走事件があったようだが、特に身の危険は感じなかった。
一方、警察学校の方へは青年海外協力隊員が数名派遣されていて、合気道、写真、自動車整備、コンピュータなどの分野で指導していた。警察学校の中に宿舎があり、その一角に日本からの青年海外協力隊員が住んでいたわけである。ポートモレスビーからの帰り道、ときどき寄っていた。
入り口には当然検問があるが、一度も止められて、身分を照会されたこともなく、すんなりゲートを開けてくれたものだ。いわゆる顔パスである。日本人同士、「ワントク」ということだったのだろう。
ソゲリには理髪店などはなかった。ポートモレスビーにはあったかもしれないが、見かけたような記憶もない。散髪は知り合いの日本人にしてもらっていたのだが、そのうちの一人に、自動車整備の隊員がいたのである。素人ながら、なかなかの腕で、ずいぶん世話になった。警察学校が床屋だったわけである。
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はじめてのピジン語―パプアニューギニアのことば
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約30年ぶりに記憶がよみがえりました。
今思うと不便であっとことが思い出せず良き思いでだけです。