呑んべぇ爺さん

呑んべぇ爺さん「音岳」の記録とつぶやき

C4 → マナスル登頂成功 → C4

2009年05月20日 | マナスル

 昨夜は寝ている間に睡眠用酸素が無くなって苦しくて目覚めてボンベを取替えたりしました。午前1時に起きて出発食のカップカレーヌードルを作り、腹に流し 込みます。テントの中で靴を履いて準備しますが、強風が吹き荒れていて真っ暗な中をヘッドランプで出発できる状況ではありません。

 まんじりともせず待つ中 で靴の中が次第に冷えてきて、軽い凍傷の左足指3本が痛みます。夜が明けるまでペットボトルの湯たんぽで足指を暖めながら不安な気持ちで待ちます。夜が明けると次第に風が弱まって来ました。6時頃には何とか出発できるようになりました。外気温は-18℃です。

 三つ指さんは前に同一行動すべきだと言っていた事を忘れたのかカミ・シンゲと先に酸素の装着をしなくて良い分早く出発できるので、6時過ぎにさっさと出発して行きました。私は靴を履いたり・酸素ボンベを取替えたりで、もたついて結局6時半過ぎにダワと出発しました。

 先行している外国人パーティが3組居ました。青氷のプラトーに登ると彼等は止まったり、写真を撮ったりしています。先を急ぐと、プラトーから登り始めている三つ指さんが小さく見えました。出発が約30分の差があるので、いくら三つ指さんが無酸素といえ大分差がついてまいました。プラトーからの登りを登り切ったら 再びプラトー状態の所に出ます。三つ指さんが次第に近付いてきました。

 しかし、直ぐにガスがかかり始め、遠くの方向が見えなくなってきました。次第に雪模様になり、風も強くなってきます。視界が効かない吹雪の中を登りますが、アイゼンが効きにくくて緊張感が増してきます。その内、三つ指さんに追いつき、前を登ります。

 すると、カミ・シンゲが振り返って、これから進んでも3~4時間かかるし天気が悪いので引き返そうと言います。三つ指さんは英語が判らないのでこの事を伝えても判断する反応はありません。私の意志で、行ける所まで登ろうと主張して、登りを再開しました。

 30分ほど登って、もうこれ以上登るのは無理かと敗退が頭にチラツキ始めた頃、小休止していると急に風が収まり、ガスも雪も切れて山頂が見えてきました。この感激は忘れられません。

 最後の登りは斜度がきつくてもカミ・シンゲは自分の力を誇示するかのように斜面を直登します。右のほうを登った方が楽で安全なのになと思いながらも伝えられず、ハの字で必死に付いて行きます。冬富士を登った時の様な極限の緊張感に達しています。

 そこを切り抜けてやや傾斜が緩くなると、先に行っていたカミ・シ ンゲがピークで待っているのが見えます。山頂基部に着くと最後はロープをセットしてくれていました。こんな所よりさっきの急斜面の方をどうかしてほしかったなと思いながら、踏跡もつけてあったのでロープにカラビナもセットもせず登り切りました。

 最後は三つ指さんに譲り、13時17分にネパール旗を立てた山頂に登頂できました。期待していた眺望は、山々が雲海の上に頭だけの出しているだけの満足いくものではありませんでした。

 時間が遅いからとダワにせかされ、山頂は狭いので満足に写真も取れません。三つ指さんは、自分の登頂写真を撮り終えると、その場で行動食を食べ始めて、動こう としません。私も登頂写真を撮りたいので場所を譲って欲しいので「交代をお願いします」と言っても反応はありません。

 もう少しはっきり「私も写真を撮りたいので、その場所から下がって場所を空けて下さい」と具体的に言わないと理解してもらえませんでした。そのように三つ指さんに色々話しかけても、状況に対応した反応はありませんでした。

 下りは私も三つ指さんもバテバテで足が前に進みません。ポケットに入れてあった行動食は時々食べてはいるのですが、テルモスの湯も飲んでいる余裕は殆どありません。下りにシャリバテが出てきます。三つ指さんは何度かへたり込んでこっくりします。

 雪質は登りより少し柔らかくなっており、アイゼンもしっかりささり、緊張感は 登りより少なくて楽に下れます。途中、酸素マスクはもう要らないかなと外すと、疲れが一気に出て、下るスピードがガクンと落ちるので、C4に着くまで着けました。

 誰にも会わず、17時前にようやくC4のテントに着いた時は、周囲のテントは全て撤収されていて私達の2張りだけが残っていました。風が少しあり ましたが、天気は持ってくれています。何とか明日まで持って欲しいと願いながらテントに入ります。     

 テントに戻って、酸素マスクを外しますが問題ないので以降使用を止めました。疲れ切ってるので兎に角早く横になりたいのですがマットを敷くと夕食の準備スペースがテントの中央に確保できません。私はテルモスに残っている湯と行動食を食べるだけで良いから早く寝たいと思います。

 夕食を作って食べる積りはないのでマットを敷いて横になっても良いかと三つ指さんに聞くと、夕食を作るからダメだと横にならせて頂けません。結局、三つ指さんも1時間以上の長い時間をかけて緩慢な動作で温かい飲み物を作り、お茶を独り飲むだけで終わりました。

 その間、ザックにうつ伏せに寄りかかって休んでいましたが真っ直ぐに寝られないので苦しい姿勢が続きました。何時までたっても食事を作り始める気配がありませんので、再び「横になっても良いか」と確認して初めて、三つ指さんは夕食を作らずに寝るとの事でマットを敷く許可が出ました。長い1日が終わりました。

【アタックに先発する他国パーティ】

【何故か先行していた内の1パーティはアイスバーン化したプラトーでたむろして、こちらの写真を撮ったりしている】

【三つ指さんは緩やかな斜面のプラトー先からの登りにかかっている】

【今日唯一現れた固定ロープ】

【1段目のプラトーを登り切ったが天候悪化、先の2点が三つ指さん達】

【天候が更に悪化するが、少し追い付いてきた】

【天候が回復し始める】

【天候が回復して山頂が見え始める】

【最奥がピーク】

【私と三つ指さん】

【ダワ(右)と山頂で】

【登って来た方向】

【東方面は雲海で何も見えない】

【下り始めで大ピナクルがちょこっと見えたのでズームアップ】

【左の方に下る】

【振り返る。三つ指さんが休んでいる】

【ノースピーク(右)とC4付近の突起が見える】

【西方も何も見えない】

【C4のテントは我々の2張りだけが残っていた】



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