色々あって、8000mの目標をチョー・オユー&シシャパンマからマナスル(8163m)に急遽変更して、本日帰国(帰宅)できました。
何とか登頂が出来て、昨年秋のメラピークからアコンカグア・マナスルと運良く3連続登頂できました。(どうしてこんなにうまく行ったのだろう)と自分でも不思議です。
記録は追って、HPとこのブログに記載して行きたいなと思っています。今回も、家で歓迎のうまいものと酒をたらふくやったので、まずしっかり寝るのみです。
日程を整理すると、以下の通りでした。
3.19 成田(TG677便:17時15分発) → バンコック(22:15着←時差=日本-1:00)(ホテル泊)
3.20 バンコック(TG319便:10時35分発)→ カトマンズ(12:50着←時差=日本-3:15)(ホテル泊)
3.21 カトマンズ(ホテル泊)
3.22 カトマンズ[バス] → トリスリ[バス] → ドンチェ(ホテル泊)
3.23 ドンチェ → ガッテ・コーラ → デウラリ → ディムサ → シン・ゴンパ(ロッジ泊)
3.24 シン・ゴンパ → チョランパティ → ラウレビナ(ロッジ泊)
3.25 ラウレビナ → ゴサイン・クンド(ロッジ泊)
3.26 ゴサイン・クンド → スルヤピーク → ゴサイン・クンド(ロッジ泊)
3.27 ゴサイン・クンド→ラウレビナ→チョランパティ→シン・ゴンパ→デウラリ(ロッジ泊)
3.28 デウラリ → ドンチェ[バス] → カトマンズ(ホテル泊)
3.29~4.02 カトマンズ(ホテル泊)
4.03 カトマンズ → アルガート(ロッジ泊)
4.04 アルガート→ アルケット→ ソティ・コーラ →ラプ・ベシ(テント泊)
4.05 ラプ・ベシ→ マチャ・コーラ → コーラ・ベシ → タト・パニ(ロッジ泊)
4.06 タト・パニ → ヤル・コーラ → ジャガット → ガッテ・コーラ → フィリム(ロッジ泊)
4.07 フィリム→ ダン(ロッジ泊)
4.08 ダン → ガップ→ ナムルー(ロッジ泊)
4.09 ナムルー → ロー → シャラ → サマ(ロッジ泊)
4.10~4.12 サマ(ロッジ泊)
4.13 サマ → BC(テント泊:以下BC滞在中は略)
4.14~4.17 BC
4.18 BC → ナイケ・コル → BC
4.19 BC
4.20 BC → C1
4.21 C1→ C2 → BC
4.22~4.23 BC
4.24 BC → C1
4.25 C1 → C2
4.26 C2 → C3 → BC
4.27~4.29 BC
4.30 BC → C1
5.01 C1 → C2
5.02 C2 → C3
5.03 C3 → BC
5.04~5.15 BC(15日:1次隊出発)
5.16 BC → C1 (2次隊出発)
5.17 C1 → C2
5.18 C2 → C3
5.19 C3 → C4(1次隊:登頂)
5.20 C4 → マナスル登頂 → C4
5.21 C4 → BC
5.22 BC
5.23 BC → サマ(ロッジ泊)
5.24 サマ(ロッジ泊)
5.25 サマ → サムドゥ → ゲストハウス(テント泊)
5.26 ゲストハウス → 避難小屋 → ラルキャ・ラ → ビムタン(ロッジ泊)
5.27 ビムタン → スルキ → ティリジェ(ロッジ泊)
5.28 ティリチェ → ダラ・パニ → タル → チャムジェ → ジャガット(ロッジ泊)
5.29 ジャガット → シャンゲ[ジープ] →ブルブル →ベッシ・シャハール[バス] → カトマンズ
5.30~6.03 カトマンズ
6.04 カトマンズ → バンコック(機中泊)
6.05 バンコック → 成田
【マナスル山麓のサマ村からのマナスル方面(マナスル手前のピナクルなどに雪煙([強風])2009.4.11 8:10】
こんなに長い登山旅とは知らなかったので、心配いたしましたが、お元気でお帰りの事、良かったです。 今はゆっくりと休息され、徐々にお聞かせ下さい。
確かに、こんなに長いと、最後はうんざりしてしまいました。
8000mの目標の「チョー・オユー&シシャパンマ」は中国政府のチベット政策で4月上旬に入ってもチベットへの入国ビザが下りそうもないので、ネパール国内の山の「マナスル」に変更しました。
(2009年3月10日がダライ・ラマ14世が亡命するきっかけとなったチベット動乱から50年にあたり、外国人の入国管理が厳しくなり、国境警備当局も「チベットの安定を維持するため、チベット(と外国との)国境沿いの入国地点や主要道路の警備強化を目的に軍部隊を配置したそうです。)
マナスルのベースキャンプに着くまでに、高度順応のために、カトマンズから最も近い山でランタン地域の「ゴサインクンド(聖地)」の近くのスルヤピーク(5145m)に3月28日まで1週間かけて行ってから、マナスルへのキャラバンに入り、キャラバンも4月3日から10日かけて13日にBCに辿り着きました。
BCからの高度順化や天気待ちで40日間もBC~C3に居て、降雪や悪天候が続いたため外国隊は次々断念して撤退して行きました。野口健さんも断念して下って行きました。
登頂後も、ラルキャ・ラ(峠)を越えてマナスル山郡を1周して来ましたので、長い旅となりました。
(時間がかかるとは思いますが、少しづつでも様子を書き記して行きたいと思っています)
山歩きから離れて30年、それ以降は毎年家族と行く夏の山岳レゾート旅行でした。ケーブルやバスでいける、カナデイアンロッキ、ユングフラウ、なども含まれています。
62歳を過ぎて、今年は息子、娘が結婚し、一層自由な身となり、又新田次郎さん原作、木村大作さんの剣岳点の記の映画に触発さて挑戦させていただきました。
あいにくの天候でしたが、さすが登頂をあきらめる決断されるなど、三輪さんのリーダの識見に触れ、HPを拝見し過酷な訓練で年に290日ほど山に行っておられる真摯な姿を知りました。特に薬師から雲の平、槍などの記事や写真印象に深く残りました。1日置いて、もう剣岳に上っておられる、体力、精神力、こだわりには敬服しています。
今NHKの田部井淳子さんの番組も参考に自分の足腰が動ける間に安全な山に登ってみたく思っています。
又機会があれば参加させていただきたく思います。宜しくお願いします
その内、コメントを消去させて頂きます。よろしくお願い致します。