呑んべぇ爺さん

呑んべぇ爺さん「音岳」の記録とつぶやき

ジャガット→シャンゲ[ジープ] →ブルブル→ベッシシャハール[バス]→ カトマンズ

2009年05月29日 | マナスル
 いよいよ、今日はカトマンズに帰れる日です。ジャガットを7時半に出発します。この辺りまでバス道を造成しょうとしているようで、掘削された広い道が途切れ途切れに現れます。しかし、工事中の所は通れませんので、踏み外すとまっ逆さまに転落するような踏み跡を何度も通過しなければなりません。「ヤク・アタック」のマウンテンバイクの選手たちは、よくこんな所を通れたなと感心します。  8時半過ぎに、1台のジープが待機 . . . 本文を読む

ティリチェ → ダラパニ → タル → チャムジェ → ジャガット(ロッジ泊)

2009年05月28日 | マナスル
 今日は、最初にアンナプルナ街道の分岐点の「ダラパニ(1960m)」に向かって7時半に出発します。ドゥードゥ・コーラ沿いにぐんぐん下って、ダ ラパニの町が見え始めた頃立派な岩壁が左岸に聳え立っていました。  ダラパニではお茶休憩をした後、マナン方面と逆のベッシシャハール方面へマルシャンディ 川沿いに下ります。アンナプルナ街道に入って目に付くのが家々がカラフルな事です。さすが人気の街道だけあって人目 . . . 本文を読む

ビムタン → スルキ→ ティリチェ(ロッジ泊)

2009年05月27日 | マナスル
 出発前に、ビムタンの人々はロキシーを振舞い、カタ(スカーフ)を首にかけてくれ、生花のレイを作って我々にマナスル登頂のお祝いをしてくれました。それに対して感謝の気持ちを表すためにチップを置きます。  この村はラルキャ・ラを通過する人に対して歓迎の意を表すのが習慣のようですが、生花のレイ までして頂けたのは登頂できたからのようです。8時半にビムタンを出発してドゥードゥ・コーラ右岸沿いに下ります。   . . . 本文を読む

ゲストハウス → 避難小屋 → ラルキャ・ラ → ビムタン(ロッジ泊)

2009年05月26日 | マナスル
 朝、小屋の外は一面の銀世界になっており、小雪が続いています。6時過ぎに小雪の中でゲストハウスを出発します。最初は谷道を進みます。行けども行けども目先が変わらない同じような谷道を通ります。  次第に風も強くなって来ます。それまで、折りたたみ傘で登りましたが、尾根筋に出ると途端に、時々耐風姿勢を取らなければならない程の猛吹雪になります。  私は、腰下はパンツ1枚なので吹雪で濡れた膝を中心に凍えそうに . . . 本文を読む

サマ → サムドゥ → ゲストハウス(テント泊)

2009年05月25日 | マナスル
 帰途は、ラルケ・コーラに沿って登り、ラルキャ・ラ(峠)を越えてドゥードゥ・コーラに沿って下り、アンナプルナ街道との合流点のダラパニからマル シャ ンディの河に沿って下って、マナスル山郡を1周して帰えう長い旅となります。  いよいよ、今 日から帰りのキャラバンの始まりです。ラルケ・コーラに沿って5135mのラルキャ・ラ(峠)を越えるのですが、今日は「ゲストハウス」というすばらしい 名前の付いた所ま . . . 本文を読む

サマ(ロッジ泊)

2009年05月24日 | マナスル
 今日は帰りのポーター手配などの準備の日です。大ピナクル方面は、雲に隠れています。14時前に、サマ村の近くに宿泊しているKK隊の全員が訪れてくれ、一緒にパダムが作ってくれたトゥクパを食べたり、お茶を飲んだりで歓談しました。  Tさん本人に聞く所によるとC3に下る時、滑落したそうで、何かに引っかかって偶然止まったそうです。その時は幻想を見ていたようで滑落の恐怖は覚えていないということでした。遭難一歩 . . . 本文を読む

BC → サマ(ロッジ泊)

2009年05月23日 | マナスル
 朝5:00の外気温は0℃で、最後のBCにも拘らず、未だにこれでもかと雪が昨夜から降り続きます。朝8時過ぎに、40日も居を構えたBCを降雪中に離れます。  最初の尾根を下り始めると中途半端な積雪なので、スリップしそうな厭な所が続きました。その中でサマ村からの我々の荷物を降ろしてくれるポーターが次々と上がってくるのに出会います。その中には、もう見知った人も居ます。挨拶をしながら下ります。  下るに連 . . . 本文を読む

BC40日目

2009年05月22日 | マナスル
【サマから登頂までのGPS軌跡(C4~山頂は手書き)】  BC最後の日も、昨晩から降り続いた小雪は止まずに朝からほぼ一日中雪です。今日は、午前中は休養ですが、午後はカトマンズに直行させる荷物をパッキングします。カトマンズ直行の荷物は、サマまでやって来た道をポーターを雇って、本隊とは別方向に引き返します。  我々本隊は、マナスル山群を一周するルートを取りますので、サマ村から荷物と180度の逆方向 . . . 本文を読む

C4 → BC

2009年05月21日 | マナスル
 一晩寝ると疲れはかなり楽になりました。空は晴れていますが、少し風があります。6時頃から起きだして、ジフィーズの朝食を簡単に済ませて8時半頃から撤収を始めます。今朝はC4から山頂も見えています。C4を出発できるようになったのは10時でした。今日は何としてもBCに到着する必要があります。 下り始めは快調です。下りは三つ指さんは早くて、次第に遠ざかって行きます。雪質が登りより少し柔らかくなっており、ア . . . 本文を読む

C4 → マナスル登頂成功 → C4

2009年05月20日 | マナスル
 昨夜は寝ている間に睡眠用酸素が無くなって苦しくて目覚めてボンベを取替えたりしました。午前1時に起きて出発食のカップカレーヌードルを作り、腹に流し 込みます。テントの中で靴を履いて準備しますが、強風が吹き荒れていて真っ暗な中をヘッドランプで出発できる状況ではありません。  まんじりともせず待つ中 で靴の中が次第に冷えてきて、軽い凍傷の左足指3本が痛みます。夜が明けるまでペットボトルの湯たんぽで足指 . . . 本文を読む

C3 → C4(1次隊:登頂)

2009年05月19日 | マナスル
 朝5:00の外気温は-18℃で今朝も快晴です。7時半に隊長の指示でもある酸素ボンベを着けてC3を出発しました。ところがマスクを着けると苦しくて仕 方ありません。何度も止まってマスクを装着し直したりしますが、マスクを外した方が楽なのです。どう考えても、酸素がまともに来ていないような気がしま す。  ダワにおかしい所をみてもらっても埒が明きません。結局50mも進まない間に酸素を吸うのを断念しました。 . . . 本文を読む

C2 → C3(3回目)

2009年05月18日 | マナスル
 朝5:00の外気温は-16℃で今朝も快晴ですが、昨日と同じパターンです。昨夜来の強風が吹きましたが、明るくなる4時半頃から止みました。ノースコル方面を見上げると朝方なのに大ピナクルとノースコルに雪煙が上がっていないのを久し振りに見ました。天気予報が当たったかなとうれしく思います。  7時半に出発すると、直ぐにノースコルに雪煙が上がっているのが見えます。トランシーバ交信では、1次隊も風は強い中を出 . . . 本文を読む

C1 → C2(4回目)

2009年05月17日 | マナスル
 朝5:00の外気温は-12℃で快晴ですが、C1より下は雲海です。昨夜から時々きつい風が吹いてテントを揺さぶり、雪崩の音も聞えて心配でしたが、明け方から風も弱まりホッとしました。  7時過ぎにC1を出発して、登り出して直ぐの雪崩地帯のトラバース地点ではセラックの崩壊による雪崩の跡が生々しく、トレースを覆っています。緊張の中で危険地帯を通過します。クレバス帯の急登では固定ロープも殆ど雪に埋まっていま . . . 本文を読む

BC → C1(4回目)

2009年05月16日 | マナスル
 朝5:10の外気温は-6℃で、テント内-3℃でした。夜中に少し積雪があり、明け方の5時頃はC1~C2方面に薄い雲がかかっており、どうなる かなと気がかりだったですが、6時過ぎにはかかっていた雲が消えました。しかし、大ピナクルやノースコル方面には雪煙が上がっています。アタック時の天候 が何とか持って欲しいと願いながらの出発です。でも、何とかなるだろうと楽観的です。  我々2次隊はBCを7時過ぎに出 . . . 本文を読む

BC33日目(1次隊出発)

2009年05月15日 | マナスル
 朝4:40の外気温は-12℃で、テント内は-7℃でした。今朝も快晴です。1次隊の隊長・古老さん・ブログさん、ギャルゼンは朝8時前に出発します。その前にテント堀隊のカミ、ビーバース、プルプ、カミ・シンゲ、ダワの5人は先発しました。この内カミ・シンゲとダワは明日の2次隊のためにC1のテント堀が終わるとBCに帰ってくるのです。  朝食時に、KK隊のH隊長が食堂テントに来所されました。私にも情報があると . . . 本文を読む