明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



そろそろ作りたい人物がいなくなってきたことは既に書いていたが、今回の圓朝で試した手法は、こういっては調子に乗り過ぎだが、私としては大リーグボール3号を投げた気分でいる。もっとも、たった3球目にして、苦手な条件があることが露呈した。背景に様々な光が存在するのに、主役である人物だけ陰影がない、では無理がある。落とし所で冷や汗をかいた。しかし、フェイスブック上ではすべて上手くいった『鏑木清方作三遊亭円朝図へのオマージュ』よりいいね、をはるかに多くいただいたのは意外であった。 昔、どんな奏法だったか、新たなギター奏法を始めたミュージシャンがいて、音楽通を気取る友人が、あの奏法は技術上、弾けない、あるいは苦手な曲がある、なんていっていたのを思い出した。大リーグボールでも強風に弱いとか色々あった。 作りたい人物がいなくなってきたこの時期に、というのが偶然だったのかどうか、18歳以来の母との同居のストレスからの逃避で制作への集中力が高まってしまった、など色々あろう。それはともかく。この手法はたまたま圓朝というモチーフと、発想のきっかけが浮世絵や日本画だったことにより、立体を日本画調にする手法だと思われがちだが、身も蓋もなく写ってしまう写真の不自由さを取り除こうとしたもので、それまで写真では無理、と断念していたモチーフにも取り組めるかもしれない。となると、今後、今まで作って来た人物に別なアプローチで再チャレンジ、というのはどうか。 いつか可能な方法があるなら手がけてみたい、と思っていた『寒山拾得図』であるが、可能性が出て来た気もするが、まだ投げたばかりで荷が重い。そもそも私の最晩年に、そんな制作が実現したら、と思っていたテーマである。 私の3号は、“左腕の肘と手首の間の屈筋と伸筋肉が切れ”る心配はない。せいぜい気負わずにやっていくことにする。

HP

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