明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



中空に浮ぶ牡丹灯籠にはお露とお米の霊がまとわりついているべきであろう。うっかりしていた。 ジャズはかつて常に前を向いていた。しかし、これ以上私は付いて行けない、前のスタイルの方が良かったのに、と思った。もっともレコードではそうだが、ライブでは昔のスタイルで演奏することもあるものかもしれない。 私に大リーグボール1号があるとしたら、片手に人形を国定忠次の刀のように捧げ持ち、片手にカメラで街を行った『名月赤城山撮法』だろう。ところが隔月で4年続いた都営地下鉄のフリーペーパー。創刊一号の乱歩は有り物を使ったが、2号の向田邦子である。現在の都営地下鉄沿線の風景に物故者を配する、というコンセプトであった。私の“赤城山撮法”で、あえて向田の生前なかった六本木ヒルズを遠景に撮影した。ところが3号の特集を聞いて仰天。『チャップリンと日本橋を歩く』である。しかも日本橋とチャップリンの縁といえば、日本橋の天麩羅屋でエビ天を何十本も食べた。それだけである。さらにその天麩羅屋がまだあるならまだしも、財産トラブルがあったとかですでになくなっていた。これはとても無理。事前に作った人形を持って現場でただ撮ったところで面白くもおかしくもない。1号は創刊早々打ち砕かれ、以後1度も投げていない。そこで背景を最初に撮っておいて、それにあわせて人物を造形するようになった。おかげでトンチ力は鍛えられ、多少のお題には動じなくなったが、『坂本龍馬と大手町を歩く』などにも冷や汗をかいた。苦肉の投法であったが、私の中であえていうならこれが2号だったろう。3号はというと、投げ出し始めるともう1号も2号も投げる気が起きないでいる。



HP

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