半僧坊は雷鳴轟く荒天の中、元王朝末期の中国から帰国する禅師を無事博多まで導く。考えてみると一種のヒーローではある。3メートルもあるし、火伏せ海難除けの霊力もある。この歳になってヒーローを作ることになるとは思わなかった。 雷鳴轟くは、私が勝手にいってるだけであるが、浜松方広寺のユーチューブの法話によると半僧坊登場の場面で帆柱の上に、という和尚様の一言を私は聴き逃さなかった。当初船のへ先に立ち、東シナ海を博多に向けて船を導いてる場面を考えていたのだが、帆柱のてっぺんであれば、石塚式ピクトリアリズムの大の苦手とする水、 まして大荒れの海などに触れないで済む。中国の深山風景を手のひら大の石ころで作れる石塚式だが、陰影がなければ反射、輝きは描けず、最難関が水である。もっとも明治大正の日本画の大家が、禅画などで人間の顔を描くと下手くそ、というのはけっこうありがちなことである。