明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



本日は母と奈良の長谷寺へ向かう。午前中に茨城で父方の法事があり、一度東京に帰ってから出かけることになるので、来月にすれば、というのだが、母は今日は日がいいと譲らない。  これは母方の血統だと思っていたが、とにかく出発に時間がかかる。元栓がどうした、鍵は財布は、荷物に入れたはずの物を確認して何度も出し入れし、挙句に忘れたりする。はたから見ると、実は出かけたくなくて、わざとしているのではないか、と思うくらいである。もっとも何かの折に、誰かの奥さんが出てくるのを、長い時間、玄関先で待たされたことが何度かあるから、母方の親類特有のことではないのかもしれない。 前の晩から実家に止まり、翌朝私が、あれはどうしたっけ?などといおうものなら、なんで昨日のうちに用意しておかなかった、と怒るくせに、結局、母のお馴染みの、あれがない、これがない(そのわりに、なんでこんな物が要るのか、というものはしっかり納まっている)の出掛けのドタバタのせいで電車に乗り遅れ、長谷寺までのチケットはおろか、予約をしている、昨年と同じ旅館も無駄になるところであったが、一か八かでタクシーで東京駅に向かうと、運転手も無理、といったわりに道路が空いており、発車十分前に到着した。これが母にいわせると、原因がどこにあるかはさて置いて、今日は運が良い日、ということになる。もっとも昨年の長谷寺行では、私の方向音痴のせいで、遠ざかったはずの名張に戻ってしまった、ということがあったので、あまりいうと薮蛇になる。  旅館に到着して、すぐに地鶏のすき焼きで食事。客のほとんどが、早朝の法要に参加する、ということで風呂も早々に済ませたそうで、忙しいのは判るが、早く入れとせっつかれ、慌しくて落ち着かなかった。早々に寝床の中で、せせらぎの音を聞きながら、携帯電話の説明書を読む。

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