明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


木場のデイナイス東京の一階で打ち合わせ。それまでメールでのやり取りだけだった、七月末の展示の担当者に概要を聞く。私が昨年、直接サインをいただいたYさんも参加と聞く。 おそらくYさんも含め、ほとんどの人が首を切断していると思い込んでいた某短編小説の殺人事件は、両手両足など五つに切断、ということは首は切断されていないことになる。私は制作してしまってから気がついたわけだが、中学一年生から、ずっとそう思い込んでいたことになる。もっとも気がついていたら、あまりにグロテスクで作らなかっただろう。担当者には、そう思い込むにはYさんの挿絵の影響も?ときかれたが、それもあるかもしれないが、読めば、まず誰しもが、ニッコリ笑った可愛らしい首をイメージするに違いないのである。この小説家の作品は、穴や隙間だらけのようにも思えるが、ここが作者の仕掛けた罠であり、それをビジュアル化しようと映画化され、魅力的ではあるが、核心に触れることなく、どこか足りない作品が、今後も作り続けられることであろう。この人物の作品をビジュアル化するには、よけいなことに踏み込んではいけない。襟首摑まれ甘い罠に引き込まれそうになっても、耐えなければならないのである。  新しく携帯電話を入手した。この雑記は、都合の良いことを書いているようには、とても見えないが、あまりにも体裁の悪いことは書かない。一時はあれだけ登場した糠床は省みられることはないし、熱帯魚はすでに全滅している。携帯電話は、おそらく家のどこかにあるような気がするのだが、探すのが面倒で、そうこうして、あると便利だと気づいたというわけなのである。若い女の子から、新しい機種の使い方の説明を受けたが、もともとマスターしていたわけではないのに、見栄をはって自分でやるから大丈夫、などといったのを後悔しながら解説書を読んでいる。  明日は母とふたたび奈良の長谷寺に行くのだが、風邪をひくことがない母が、ガラガラ声になっていた。どうやら先日来の私の風邪がうつったらしい。風邪で寝こむことがなく、鼻声だった記憶もなかったのだが。

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