明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日、キーボードが突然暴走を始めブログに間が空いた。その間に88か9になる母のいるホームに行ってきた。電話では毎日のように話しているが、久しぶりに娑婆に連れ出し、妹が日本に帰るたび行っていた寿司屋に行く。母と同居した頃は何かと出かけては遅くまで帰ってこない、その他、迷惑をかけられたが、すっかり落ち着き、息子の目から見て、ボケてる要素は見られない。思い込み、勘違いは数々あるが、それはそう思っているならそれでいい、とこちらがあえて訂正しないせいでもある。ホームに入る前の3ヶ月の入院で、コルセットで身動きできずにいたが、それでもボケずに耐え切った。私にも一度やった「どちら様ですか?」という得意のボケたフリでずいぶん驚かせていたらしい。 ホームに入った当初こそ色々いっていたが、他の年寄りを世話したり、揉めているのを間に入ったり、と母に言わせると職員に感謝されているという。それがどうも日々充実感を感じている理由のようである。ずっとここに居たいいう。母は本来人のことばかり気にかけている世話焼きであり、妹がホームステイで海外で世話になったこともあり、本当は、留学生の面倒を見るようなことをしたかった、と聞いたことがある。もっとも職員も、母がおだてれば木に上るタイプだと心得ているようで、そのたびに野菜ジュースをくれる、と数リットル溜め込んだのを私によこす。「いらないなら断ればいいじゃないか」「だってタダなんだから」。「一日ひとつ飲みなさい。いつまでたっても親だねぇ」。なんて自分でいっている。かつて、二人で回転寿司にいったとき、私と互角に食べるので、私にもう一皿食べろ、でないと同じ数食べたとブログでいいふらすだろ、といっていた母もすっかり小食になった。それでも、一時は痩せていたが、すっかり元に戻った、リハビリはイケメンの療法士のせいでがんばっているようだが、シルバーカーはハンドルにヒジを付いてそろそろ歩く状態であった。

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展評銀座青木画廊『ピクトリアリズムⅢ』

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub


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