10年前の今日、Twitterで「いつか寒山拾得を作るつもりでいる。仕上げはオイルプリントで」と呟いたことが判明。当時は最後、主な作品をオイルプリント化して終えるものと考えていた。その後、夜の夢こそまことな私を写真上、自由を阻害しているのは陰影だ、と陰影を戦犯扱いし始め、年のふげん社〝三島由紀夫へのオマージュ男の死”展での無観客の飯沢耕太郎さんとのトークショーで、次は何を?の質問につい寒山拾得と答えてしまった。ずっと先に、というつもりだったから、ちょっと気の利いたことを?と口走った臭い。ところがふげん社が拾得が普賢菩薩の化身であるところから名付けられたことを知った。こういうのを意味ある偶然として、必ず乗ることにしている。2年後の寒山拾得展が果たして、初個展から40周年であった。