明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



飯沢耕太郎さんに2015年のハスノハナ『ピクトリアリズムⅡ』2016深川江戸資料館『深川の人形作家 石塚公昭の世界』についで青木画廊の『ピクトリアリズムⅢ』について展評を書いていただいた。 写真が発明され、しばらくして写真の記録性からより表現性に、という時代になり、盛んになったのが絵画的なピクトリアリズムである。それも時代が進みリアリズムの時代になり、絵画を模倣した古臭い表現とみなされ廃れていった。近年はデジタルの反作用で古典技法を手がける作家が増えてきた。しかしかつて絵の具を使ったり、ソフトフォーカスを使ったり、印象派的ということで絵画主義と称されたが、その後絵画は多様な表現がなされるようになったし、今では絵画的ということ自体に無理がある。現在手がけている作家も、おそらく自分達がピクトリアリストだ、と自覚して制作して人は皆無に違いない。 私はオイルプリントを紹介するためにHPを立ち上げた。十年くらいはトップページに“ピクトリアリスト”と謳っていたが、オイルプリントに反応も質問も一切ないので、どうせ意味は通じないだろう、と削除した。しかし、最近制作している陰影のない作品は、何しろ作っている本人が絵にしか見えない場合があるから、ピクトリアリストの資格は十分であろう。ピクトリアリストがいなくなった今こそ名乗るのも良いかもしれない。ややこしいのは、かつてのピクトリアリズムと違って日本画調であることである。なにしろこれを始めた遠因というのが、いい加減、西洋的なるものにウンザリしていたことにある。 昨今、浮世絵の西洋絵画に与えた影響について様々言われるようになったが、浮世絵見て「陰影なんか描かなきゃ良かったんだ!」という昨年の私のような西洋画家は少なからずいたはずである。お天道様1灯の西洋と違って我が国には便所にまで神様がいる。

新HP
旧HP

石塚公昭幻想写真展-生き続ける作家たち 7月25日~9月2日

『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載8回『昭和残侠伝“唐獅子牡丹”三島由紀夫』

2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtub


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