明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



いずれ作ろうと考えている禅師は、やはり国宝の頂相が残されている。ところが今回も蘭渓道隆同様(その頂相が事実を伝えているとするなら)彫像はまるで別人である。やれやれというしかない。漫画原作のドラマの主人公がいっていた。真実は人の数だけある。一休像のように頂相と頂相彫刻が明らかに同一人物を前に作ったような例は珍しいのかもしれない。よって再び、斜め45度の肖像画のみを元に制作することになる。結果、数百年礼拝の対象になって来た立体像に対して私如きが異を唱えることになってしまうが、元にするのが、そもそも寺の所有する開山の頂相ということで、もう気にならない。私にも渡世上の譲れない筋というものがある。



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