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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



自分を焦らしているつもりはないが、大覚禅師の撮影を前に、次に再撮予定の無学祖元の色の塗り直しをやっておくことにした。無学祖元は大覚禅師の後に来日し、同じく鎌倉は円覚寺の開山となる。円覚寺の山号、瑞鹿山は、無学祖元の法話を聞こうと白鹿が集まって来たことから付けられた。前作では作った白鹿を使ったが、現世の光を与えるとなれば、上野動物園の鹿を撮りに行くつもりだが、鹿の角は3月ごろ、生え変わるために落ちてしまうことを急に思い出した。 ここ数年行ったことも見たこともない中国の深山風景さえ作ってきたので、存在しない物は撮れないという、写真最大の欠点を久しぶりに思い出した。イメージのためならどんな奇手でも使う所存ではある。ドストエフスキーを作った時、意外と透けてまばらなアゴ髭は粘土では表現できない。ロシアの文豪のアゴに、我が陰毛を合成しようかと一瞬考えた。問題といえば、実行した場合、黙ったまま墓まで持って行く自信がない。

 

 

 



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