芭蕉庵のパブリックイメージなどと私がいうと可笑しいと笑う人がいるが、芭蕉の場合は門弟達が師匠はこういう顔だ、と間違いなく描き残しているから、全国の芭蕉像があまりに好き勝手なのに呆れて、嫌味なくらいそれに従ったが、芭蕉庵に関しては、それがない。ならばそこでは確証のない解釈は抑え、パブリックイメージに準ずるべきであろう。作家を長く制作してきたが、人によって、自分の解釈を表現して面白い人と、世間の抱くイメージにあえて準じてこそ、という人がいた。 茅葺きといっても都合良く縮尺があう材料もないので、粘土にガサガサと茅葺調の跡を着けることにした。中村不折の描いた芭蕉庵は、ボロボロの廃墟のように描かれている。住んだのは十数年だつたと思うが、うち捨てられた設定なのか。確かかわず飛び込むの句が作られた句会には芭蕉庵に40人集ったという。学生時代、たまたま私の六畳のアパートに人が集まってしまい、数えたら三十人前後はいただろう。制作中の庵はそれよりも広いと思うのでその点は楽勝ではある。 学生時代、試験が迫り一夜漬けでこなすしかない。だが眠い。今日寝てしまったら、明日の私は間違いなく勉強せざるを得ない。では明日の私に任せて今日の私は寝ることにしよう。それは結果私の成績が悪くなるだけで済んだが、芭蕉庵はそうはいかない。数年前からせっかく飲めるようになったブラックコーヒー、私にはカフェインがまったく効かず眠気覚ましにならない。