明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



三島由紀夫の命日である。5月に『三島由紀夫へのオマージュ椿説男の死』を三島に捧げ、私の役目?は果たした。という気分である。これはブログにも書かなかったが、三島が神輿を担ぎながら空を見上げているカットを制作している時であったが、数年前に撮影した深川の祭りの風景を元に制作したのだったが、水かけ祭りの水の匂いに混じって、鼻の奥に三島の体臭を感じた。さらに、三島が最後に見た風景、市ヶ谷の事件現場、その窓外に、例のバルコニーの先に、青く広がる海原を配している時にも鼻の奥に再び体臭を感じた。

将門の首塚が改修工事をしているそうである。つい余計な期待をしてしまいそうである。今から三十年前くらいに、友人の好き者集めて、都内の刑場跡など探索に出掛けたことがある。私はその方面は信じていない割に好奇心と期待だけは大きい。カメラを手に出掛けた。その日は一人先客がいた。小雨降る中傘もささず、ボストンバックを抱えたまま、ワンカップを供え、一心に何事か祈っている。物見遊山の我々は睨まれてしまい、人に見られると効力がない、といわれる藁人形に釘を打っているところを見てしまったかのような気分になり、先客の”用事“が済むまで近づくことが出来なかった。男の雨に濡れて上気したのぼせたような表情は未だに覚えている。



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