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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日『私の思いに気がついてくれる人が、どこかにいるに違いないと考えながら作ることも、私のモチベーション維持の、重要な要素である』と書いたが、逆にいえば、『こんなことも判ってないんだと気づく人が、どこかにいるに違いないと考える。』ということでもある。  背景の撮影場所は、すでに決めてある。それは人物に関わりのある歴史的建造物なのだが、別の場所から移築、再現されたものである。ところが中途半端なことに、かなり目立つ部分が再現されていないのである。古写真を見ると明かに違う。この建物の画像をネットで検索すると、外観を引きで撮っている画像ばかりである。美しい庭とともに、建物の全体像を撮って画になる場所なのであろう。しかし私はすでに形が違うことを知ってしまっている。デジカメ片手に探索する、一般人と同じようにしていていいのであろうか。考えられるのは2つである。1)再現されていない部分を入れずに撮影する。2)画像を加工し再現する。である。元型との違いは、よほどの人でないと知らないだろうが、私はそのどこかにいる“よほどの人”が、笑っているのではないか、と気になるのである。アダージョは、街歩きのお供に、という性質のフリーペーパーである。実景を変えてしまったら、アダージョ片手に現場を訪れた人たちが首を傾げることになりかねない。(その前に、なぜ元型どおり再現しない、といいたいのだが)また、背景として使用するにあたって、許可を得る必要がある訳だが、かってに手を入れてしまって、問題が生じないとも限らない。結局、主役の人物像をおおよそ完成させて、撮影時に考えることにする。  こう書いていると、私も案外細かいことを気にするタイプのようである。もう少し痩せてもいいようなものだが、こんなことを悩みながら作ることが楽しいのだから、そうはいかないらしい。

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