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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



9時過ぎに朝食を食べにT屋に行くと、良く会うタクシー運転手の小父さんが、すでに勤務も終って赤い顔をしている。私もついでにビールを。ここは夜勤明けの運転手が早朝から飲んでるし、小津安二郎が出勤前や昼休みに飲んでいたのを知ったせいか?私の罪悪感も薄れている。小父さんは私がTVチャンピオンに出て、粘土で何か作ってたのを観たといつもいうが、だいたい泥酔状態なので、面倒でそのままにしていたが、今日は中川昭一ほども酔っていなかったので否定しておいた。 かつて近所に洲崎パラダイスという赤線があった。その洲崎には球場があり、沢村栄治も出場した初の巨人阪神戦をやったと聞いたことがある。地元生まれの小父さんに聞いてみると、満ち潮になると水が出て、カニが歩いているような球場だったらしい。子供の頃パラダイスの女達にさらわれて大騒ぎになったことがあるそうで、あまりに可愛らしかったので連れまわされたそうである。帰ってきたときは、ホッペタが女達の口紅だらけだったという。これはいってる本人の顔を見ながら聞くと爆笑ものの話なのである。「今の不動産屋が昔はボート屋でさ」。川島雄三の『洲崎パラダイス赤信号』(1956)で轟夕紀子がやってた飲み屋千草のことである。映画でも飲み屋と貸しボート屋をやっていたが、あれはそのまま使っていたのだ。
つい午前中であることを忘れチューハイまで飲ってしまったが、このくらいは目覚めに丁度良い。今日はロシアバレエ団を率いたディアギレフが座るソファーを、一歩も外へ出ることなく作る予定である。それに相応しい一日のスタートであった。

01/07~06/10の雑記
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