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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



家のパソコンはメールの受信はかろうじてできているが送信はできず。ブログの更新その他、書き込みもできず、調べ事もあるのでネットカフェへ。ついでに『へルタースケルター』を観てしまい朝の6時。 T屋で朝食。柳田國男の手と足用に、常連の80過ぎのMちゃんと、タクシー運転手のTさんの手を、携帯で撮ってくれるようかみさんにお願いする。帰宅後いったん寝て目が覚めると風邪をひいている感じで節々が痛い。そこで寝床の中に布団乾燥機を導入。ダクト部分を抱えて寝る。 何度か着信があったようだが、起こされると母である。思いっきり寝起きの調子で風邪引いて寝ていたといっているのに、長話。しかも今じゃなくても良いだろう、という話である。どれだけ寝こんでいる息子に話す話でないかは書かないが、風邪で寝込むことがない婆様なのでこの辺は無神経である。いい加減にしてくれと電源を切る。 が目が覚めてしまった。制作の続き。だいぶ良くはなったが、このままではまずいと1時間ほどで再びダクトを抱える。昼に目が覚める。完治。布団乾燥機による荒療治は、風邪ひきの場合の最終兵器である。 宅急便で、ヤフオクで落札した柳田國男の翁が持つ油差しが届く。真鍮に銅の持ち手を継いだ20センチほどのもので、イメージ通りである。当初、行灯に使うようなポットのような持ち手の物をを想像していたが、燈籠は背が高い。ひしゃく型でないと油は注ぎにくいであろう。酸化して黒錆や緑青が良い感じでふいている。当然洗ったり磨いたりせずこのまま使うことにする。そこへT屋のかみさんからさっそくMちゃんのシワシワの手の画像が送られてきた。 使え使えとやかましいKさんだが、日本民俗学の祖、柳田國男の手である。読者の中には人の手を見ただけで品性を見抜く人がいないとも限らない。女性の胸や太腿を触る意外使い道のない手など、どうしても使う気になれないのである。

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石の鳥居のあるカット。作中木製と書いてあるのをすっかり忘れていた。過去撮影したデータをひっくり返し、なんとか木製の鳥居を見つけて上からかぶせる。すぐ横に木製であるという文章がくるだろうから、石でもいいや、というわけにはいかないのである。 柳田國男演ずるところの禰宜いでたちの翁。常夜灯に油を注す、灯ともしの翁である。手には油差しと白髪のような灯心の束を持っている。油差しは柳田像にあわせて粘土で作ろうと思っていたが、たまたまヤフオクで緑青じみた、時代がかった味のあるものを見つけ落札した。そこで立ち姿の柳田にただ持たせるだけでなく、油差しを持った手のアップを撮りたくなる。80に近いという翁だが、実際の老人に持ってもらい撮影したらどうか。そこで再浮上したのが、俺を出演させろ、とうるさかった人物である。顔は使い物にならないが、日頃の不摂生がたたり、62歳ですでにしなびた腕をしている。いつも、これじゃ枯れ木じゃないの?というと反論をするが、本当の80過ぎの爺さん使ったほうがいいかな?というとほら皺だらけでしょ?と、いつもと違うことをいうから可笑しい。 今回、作者の泉鏡花は登場しない予定であるが、せっかくあるし、と思っていて、登場させる場面を思いついた。さてどうするか。 午後二時、昨日と同じ喫茶店で、都内某区のミュージアム担当の方とお会いする。数年後の完成を目指しているらしい。河童や妖怪、江戸川乱歩について長話をする。帰りに小津安二郎を展示している古石場文化センターに御案内する。

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今年に入り、PCに関して色々あり、PCからのメールを一切受け取っていない状態である。よって返事が来ないという方もおられるだろう。申し訳ないが、メールソフトに何か引っ掛かるらしく、一時間かかってもプロバイダには原因が分からない。昨年まで使っていたウインドウズも、壊れたのはインストールが原因であった。近日中になんとかしたい。 先日近所の猛禽類カフェに撮影のお願いに行った。『貝の穴に河童の居る事』は異界の住人が多数登場する。鏡花には妙な物の怪を造形してもらいたいところであったが、ほとんど姿形はカラスやウサギ等の普通の小動物である。主役の河童に関しても、鏡花は特に独創的な造形を試みるわけでもなく、存外そっけないが、唯一独創的といえるのが女顔のミミズクである。千里眼で、旅館に宿泊する人間と、鎮守の森の異界の住人との橋渡しのような役割をになう。よってセリフも多い。早い時期に一匹仕上げていたのであるが、人間部門が当初の予定よりレベルが上がってしまい、上野動物園の金網越しのさえないミミズクでは使い物にならなくなってしまった。時間も経ち、どこまで出かけて撮影すればよいか、と思案していたら、よりによって近所に猛禽類が来てしまった、というわけである。 そこで始めてミミズクの声を聴いた。作中鏡花は“ぽっぽぽっぽ”と鳴かせている。実際聴いてみたらギャアというような声であった。私は岐阜の陶器工場にいたとき、狐の声を一度聴いた。昔のことで記憶は曖昧だが、やはりギャアという感じだったように思う。少なくともコンとは程遠かった。動物というもの、特に美声の持ち主でなければ、とりあえずギャアと鳴いておくものなのであろうか。

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『貝の穴に河童が居る事』は当初『貝の穴に河童が居る』であった。鏡花は何故変えたのだろうと思っていたが、昨年暮れに出た『怪』に理由が書かれていた。特集が『河童の最前線』『文豪と妖怪』『柳田國男没後五十年』という私の都合に合わせたような号である。東雅夫さんの『文豪たちの妖怪小説』によると昭和6年。佐藤春夫主宰の文芸誌『古東多万』創刊号に載るさいに、同時に掲載される谷崎潤一郎の『覚海上人天狗になる事』との重複を避けるためだったそうである。先輩の鏡花が譲ったことになる。 河童の三郎の体色が、あまりにただ緑というのも芸当がない気がしてきたので塗り替える。いくらかスッポンじみたかもしれない。甲羅もスッポン調にしようと思ったが、それも芸がない。一部亀甲を残しつつスッポン調にしようと考えている。 正月に制作した三郎の表情違いの頭部は5種。喜怒哀楽にプラス、人間のステッキで腕を折られた瞬間の表情である。“怒”をもう一種作るつもりだが、これに基本の原型である普段の表情が加わる。立体は角度、光線状態で表情が変わる。よほどの事がなければこれですべての場面をカバーするはずである。 夕方銀座の伊東屋に画材を買いにいくついでに山野楽器でギターのピックを買った。長いこと一人で遊び程度にポロポロ弾くだけだったので、ピックを使わず人差し指で弾く、というまるでゲイトマウスブラウンのような妙な癖がついてしまい、ピックが手に付かず。ゲイトマウスはあの長い指で弾くから画になるのである。

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浜辺の松の木の下でせんべいを食べビールを飲む三人組。すでに完成していたカットを、見開き用の横長の構図に変更する。ロケ地の海岸には都合よく松の木が生えていなかったので、都内で撮影した松を移植した。松の木を移動したら、はるか向こうにサーファーがいた。三島の背景用に灯台を撮影し、作業を大半終えたところで、上で若い男女が抱き合っているのに気づいたこともある。背景を決めるときは、ざっと見てピンとくるぐらいでないと使えないので、すぐに決めてしまうのであるが、こういうことがあるので気をつけなければならない。 先日撮影したカットで、場面の解釈に関し、決めかねているカットがあった。鏡花は読者に任そうと、あえて触れないでいるのであろう。だったら私も余計なことをせず、と考えないでもなかったが、私のやっているのは小説のビジュアル化という、そもそも最初から余計なことをしている訳である。それに迷った場合はやってしまう方を選ぶことにしている。やりすぎて後悔したことは一度もない。 作者の鏡花は極度の潔癖性である。なので当初は考えもしなかったが、ここへきて鏡花の筆の走り方は、完成度より、むしろ生臭くベトベトして幼稚な河童の気分で書いているように思えてきた。こういう作品は、おのれの顔をフィリピンパブのフィリピーナに「苦労ガ足リナインジャナイ?」と評されてしまうような、幼児性を保持した私のような人間こそ手がけなければならない。堀辰雄は『こんな筆にまかせて書いたやうな、奔放な、しかも古怪な感じのする作品は、あまりこれまで讀んだことがない。かう云ふ味の作品こそ到底外國文學には見られない、日本文學独特のものであり、しかもそれさへ上田秋成の「春雨物語」を除いて他にちよつと類がないのではないかと思へる。」と書いている。

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先日撮影したカット。全6カット仕上がる。踊りの師匠の瞬き、さすがに今回はパッチリと見開いていた。踊りの師匠は近所のカミさんK子さんだが、人間どもの撮影は、このカミさんが最初にハードルの高さを決めたといってよい。 河童は自分の腕を折られた腹いせに、三人が宿泊する旅館の部屋に、大魚イシナギを上から放りこんで欲しい、と異界の姫神様に願い出る。しかし異界も人手不足である、と断られてしまう。であるから実際は実現しなかったシーンだが、画として面白いので、最初に制作を決めていた。そこで、このあたりにデッカイ魚が落ちてくるから、といって一二の三!で驚いてもらったのだが、これが実に見事にやってくれ、笑いのうちに数カットで終わってしまった。それを横で見ていた主人役のMさんは、カミサんがそこまでやるなら、とこれもまた運動神経を発揮し、数カットで決めてくれた。 イシナギを運んでくる赤フンドシの漁師二人組は、Mさんの町内会の神輿担ぎの若者を紹介してもらった。その彼に、誰か調達してもらおうと思ったのだが、本人の顔が良いので、出てもらうことにした。Mさんは子供の頃から知っているという。撮影当日、『このMさんがこれだけのことをしてくれているのだ、君等もそれなりのことをしてくれなければ困るな』。とばかりにMさんの出演カットを見せ、それが効いたのかどうか、冒頭、物語中唯一河童と顔を合わせる人間として十分過ぎる結果を出してくれた。 結局人間の皆さんの想定外の演技に、全体のイメージの再考を迫られる、という嬉しい結果になった。河童の毛や甲羅に、今頃になって不満を感じ、作り変えることになってしまったのも、実は踊りの師匠が最初に決めたハードルの高さのせいである。というのが本当のところであろう。



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昨年梅雨時の房総に、撮影に出かけたつもりが一滴も雨に降られず、梅雨時らしくするために夕刻に限って撮影することになってしまった。出発が遅れたのは、岩陰や茂った夏草の中に河童を直接置いて、合成を使わない撮影をするため、せめて2体を、と作っていたせいである。しかしなんとか撮れたのはほんの数カットであった。原因は頭の皿にある。原型となる一体目の頭部は、内部のくぼみに目玉をはめて、ポーズごとに視線を変えられるようにしてあった。ところがあまりに強い浜風に、うっかり瞬間接着剤で皿を固定してしまった。そのとたん目玉が内部で外れた。皿をはずしてやり直すにしても、植えた人毛を皿で押さえ込むようにしていたので、はがせば毛が酷いことになる。河童を作っていて梅雨を逃し、あげくは河童も撮れず、踏んだり蹴ったりであった。 しかし先日書いたが、人毛だと縮尺的にいくら細いものを使っても、針金のような剛毛になってしまう。それよりこの哀れな河童は、雨に濡れた顔面に、毛をべっとりと張り付かせてみたい。もう一つ。甲羅が亀の甲羅に近いのが気に入らなくなってきた。亀の甲羅だと、背負っていればポーズに制限がある。それよりスッポンの甲羅のように、薄くゼラチン豊富で柔らかい物に作り替えたくなってきた。これならポーズがかなり自由になるであろう。 房総で河童の撮影が巧くいっていたら、作り変えるかどうか、ここで私はもだえ苦しむところであった。“良かった、河童の撮影巧くいかなくて” 私は悔しいので、失敗しても都合良く、失敗して良かったというところまで持って行く。

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制作  


昨日撮影したカットの制作。鏡花の描くような背景など現在どこにもない。ほとんどのカットを合成しているが、こんなことまでしたのに。しかし、その努力が見えてしまっては野暮というものである。たまたまこんな場所を見つけて撮影しました。という風にしなければならない。それでも役者として参加してくれた方々だけは、自分達が立っていたのはマンションの駐車場だったのに、と思う存分驚いて欲しいところである。 昨日の撮影は、河童に化かされ旅館に逃げ帰ってきた三人。いったい私たちはシャモジやスリコギを持ったまま街中を踊り歩いてしまい、いったいどうしたんだろう?というシーンである。演技の経験のない素人の方々に、私の思ったような演技をしてもらいたい場合、この場面は、あなたはこんな心持ちであり、などといってもやれる訳がない。それを要求するのは酷である。そこで人間の形を粘土で作り続けてきた私は粘土製の人間、というつもりで、演者が実は腹の中では別のことを考えていようと、そう見えるよう形だけを指示し、その結果、そうとしか見えないような撮影ができた。今回は見た目で選んだ素人の方々を演出しているのであるが、世界の蜷川幸雄も役者時代、子供の私が観ても下手糞でつまらない役者だったから、自分がやることとさせることは別である。

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今年はサンフランシスコから息子を連れた妹が帰ってこないので、久しぶりに母と二人。この歳になってもあれを食べろこれを食べろ、と母親というものは有り難いものである。初夢に猫背であぐらをかいた口の大きな老人がでてきたという。それは私が最初に作った河童の三郎であろう。河童の表情違いの頭部5種類完成。一から作ったわけではなく、基本形を型取り、それを作り替えるので時間はかからない。 帰宅後Mさん宅に向かう。笛吹きの芸人とその妻の踊りの師匠。師匠仲間の娘。これで三回目の撮影である。うち二回は、想定した天気具合にならずに手こずったが、なんとかほぼ予定通り撮影した。問題は踊りの師匠の瞬きである。ユーモラスな表情の場合は大丈夫なのだが、ただ座っているとか、すました顔に限ってすべて目をつぶっている。昔戦闘機の機関銃は操縦席に着いており、自分のプロペラに弾が当たらないよう、同調装置を工夫したわけだが、それにしてもちゃんと目を開いているのが1カットというのはプロペラを狙っているとしか思えず。そこで今日は、いちいち確認したが、いきます、といった途端瞬きを始める。フェイントをかけ早めにシャッターを切っても、それを予想したように合わせてくる。これはもう動物のカンに属するものではないか。画質のことを考えると、シャッタースピードを上げるために感度を上げたくない。そこで目を開けていられると、責任を持てる間声を出してもらい、その間にシャッターを切った。 笛吹きの芸人役Mさんは、真面目くさった顔をするべきところで笑ってしまう。それはそうであろう。会社を定年になったとたん、何をやらされているんだ、という心の声が聞こえてきたが、一、二の三!というショットに強く、今回もイメージ通りの撮影ができた。 来週からは河童の表情に合わせた身体の制作を始める。

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3日  


専門学校の陶磁器科当時、アパートの隣の部屋に住んでいた年上の同級生に孫ができ、ばばと相成り、という年賀状が着ていた。当時鍵がかけてある彼女の部屋に泥棒が入り、開けっ放しの私の部屋は入られなかった。先客が荒らした後だと思われたんだろう、ともっぱらであった。三島由紀夫の『潮騒』を手がけた時、鳥羽に住む彼女が海女の着る“磯着”を探し出してくれた。今は観光用以外であの格好をする人はいない。どうしても使用方法の不明な一布は使わなかった。今はない『元祖国際秘宝館』の初代館長で経営者は彼女の叔父さんであった。

再び実家にもどり河童の三郎の頭部三体目。制作時ブログに書いたが、ハリウッド映画の、かつての悪役リチャードウイドマークのほんの短いシーンをユーチューブで観たせいだと思うのだが、当初考えていた顔と若干変わった。おかげでサッドフェイスがかっており、何もしなくても若干泣き顔っぽい。そこから笑顔に持って行くのは後回しにし、怒りの表情に次いでビックリ顔を作ることにした。 マテ貝の穴に隠れた河童。そこをマテ貝を掘り出そうと、旅館の番頭が客のステッキを借りてグサッとやる。本来マテ貝は、穴の上に塩を置き、塩分濃度の変化に貝は驚いたようにピョコッと頭を出す。そこを素早く摘みだすのである。常に泊まり客を海辺に案内していたであろう番頭とも思えぬ乱暴な方法をとったものだが、おかげで腕を折られた河童の恨みをかうことになる。腕を折られた瞬間の表情はどうであろうか。 この話が面白いのは、人間は河童の恨みどころか、その存在を知らないまま物語が終わることである。その一方で河童はジタバタしたあげく、実に単純に機嫌をなおし、住まいの沼に帰って行く。やはりポイントごとの河童の表情は大事であろう。

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元旦  


正月を実家で過ごすのは何年ぶりであろうか。毎年妹が息子二人を連れてきていたのだが、長男が大学に入り、今年は帰らないというので、そのスキに帰るという次第である。 昼間は一杯やりながらTVを観て夕食の後はさっそく河童の制作を開始する。正月早々何が悲しくて、というむきもあろうが、TVを観たり酒を飲むより、こちらの方が良いのだからしかたがない。 河童の三郎の二つ目の頭部は、腕を折った人間に対する復讐心に燃えた表情を作った。河童の復讐譚であるから必要なのは当然だが、自分が娘の尻を触ろうとして怪我をしたのだから逆恨みも良いところであり、河童が怒りに燃えるほど、身勝手な馬鹿さ加減を表すことになる。「畜生!人間。」「士農工商の道外れた、ろくでなしめら。」「トッピキピイ、あんな奴はトッピキピイでしゅ。」

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朝起きてギターの弦を一斉に張り替える。来年はもうちょっと腕の方をなんとかしたいものである。

『貝の穴に河童が居る事』の今まで完成しているカットをサービスサイズでプリントしてみた。これを原稿のコピーに貼付け眺めてみる。挿絵やダイジェストでなく、たとえ短い作品とはいえ、一作品を全編に渡りビジュアル化するというのは思いの外大変な作業であった。 本来鏡花作品は、具体的な写真という手段で再現するタイプのものではないのかもしれない。本作を私ほど回数読んだ人間はいないだろうが、未だ解釈、表現に悩んでいる場面がある。それでも鏡花の幼児性が滲み出ているような、ビジュアル化して面白い場面も数多い。マイナーな作品ではあるがなんとか完成へ持って行きたい。 来年『貝の穴に河童』が完成した次は、どうせやらなければ済まないのだから、谷崎潤一郎で個展を、と考えなくもないが、昨年の『三島由紀夫へのオマージュ展 男の死』のダメージ?が癒える間もなく『貝の穴に河童』を始めてしまった。返す刀で谷崎を、というのも口でいっている分には良いのだが。 この流れとは別にもう一冊、出版にいたる可能性がある企画がある。本日実家に帰るが、元旦から河童の頭を作りながら考えてみることにする。作るべき物が元旦からある、というのは喜ばしいことである。

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一日  


冒頭の海岸シーン。東京から来た芸人3人組みである。女性2人が可愛らしい羽織を着ているが、直後に足首あたりまで海に入る時は旅館の番頭に羽織を預けて、という設定である。暗くなって旅館から外出するシーンで再び羽織を着て出かけても良かったのだが、昼と夜で着物が違うし、何しろ今年の酷暑の中撮影したので、ただでさえ着物を着てもらっているので、さらに羽織を、という考えが浮かばなかった。結局羽織は海岸を歩く、初登場シーンの1カットだけになってしまった。それがどうにも残念で、もう1カット作成した。見開きという設定である。おかげで出番が1カットしかなかったタクシー運転手の○さんが再登場。私が出演をお願いして回るのが丁度7人で、『七人の侍』の志村喬や『荒野の七人』のユル・ブリンナーみたいだ。といったら「じゃ、俺はジェームス・コバーンね」。という。確かにコバーンが1カットでは申し訳なかった。同じ脇役の番頭は計4カットでている。だからというわけではないが、番頭より前に立ってもらった。 ○さんはKであるが、もう1人のKさんと混同されては大迷惑であろう。山登りをするのでK2としたが、私は良かれとしたつもりが、それでもKさんの2番目みたいで嫌だという。Kさんの日頃の不行状を見ていれば無理はない。
5時にMへ。日曜のMといえば本来T千穂の常連が、パチンコや競馬の後集まって飲んでいたのだが、そちら方面は不調法な私も仲間に入れて貰っている。そんな私から見ても、博才があるのはYさんの奥さんM子さんただ1人に見える。他は“判っちゃいるけど”の口であろう。 YさんとSさんは来春一緒にスタジオを借りることになっている。とりあえずビートルズを一曲やることに決まり、各自練習をしておくことになっている。 M子さんがフルートをやれるというので、2曲目はキャンド・ヒートの『ゴーイング・アップ・ザ・カントリー』はどうか、といってみたが、二人は映画『ウッドストック』すら観たことがない、というのでYさん宅での新年会で観ることにしよう。これから初めて観るなんて実に羨ましいことである。

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久しぶりに自作の乱歩作品を眺めたおかげで、頭の中に新たなイメージが沸いてしまうので、なるべく考えないようにしている。何度か書いているが、子供の頃、自分の頭の中に浮かんだイメージは、いったいどこへ行ってしまうんだろう、と思っていた。間違いなく在るのに。それを取り出して、やっぱり在ったと確認したいというのが、そもそも私の制作する動機になっている。そしてすでに亡くなっている作者ではあるが、私はあなたのおかげで、こんな物が浮かんでしまったんです。と見てもらうことを夢想するのである。とにかく乱歩は頭の中にちゃんと在るから今は考えるのを止めろ。と自分を抑えている。いずれ『青銅の魔人』は作るけど。 しかし作りたい物は、たとえばスケッチブック(ほとんど描くことはないが)を広げて、次は何を作ろうか、等と考えてから浮かんで欲しいのだが、こればかりは棚からぼた餅のように、突然落ちてくる。そういう時私は、昔の漫画の表現の、電球が点いた時のような顔をするそうだが、とにかく今は鏡花の河童に専念するべく、他の創作について考えないようにしている。そうはいっても浮かんでしまうものは仕方がないが、私は創作について考えないで済む方法を一つだけ持っている。Kさんというカワウソ風の人物である。この人が横にいる間はぼた餅は落ちてこないは、電球は点かないは、私の創作能力を消してしまう力を持っている。こんな人には生まれて始めて出会った。さらに河童を制作中の私のためにモデルになってくれようと、自らの頭に皿上のスペースを作ってくれようとさえしている。それなのに恩着せがましいことはいわない。私は完璧な皿になることを楽しみに、毎日横目で観察しながら感謝している。

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ギャラリービブリオより柱時計入り夢野久作が帰る。今回は予定通り、時打ちのゼンマイをできるかぎり緩めに巻いてもらい、ようやく制作当時に企んだとおりに時を打ってくれた。作中のぶーーんという表現は、むしろこれから打とうという時に小さくするが、普通に考えればボーン、という音のことであろう。久作のこと、多少なまっているのかもしれない。 六世中村歌右衛門の色紙届く。これで市川右太衛門とそろった。 夕方KさんがR子さんのためにビブリオで購入したプリントをKに届けるというが、ここは二人以上でないと入店できないので付き合う。早めにいって一時間で帰る、といっていたのだが。 先日T千穂で飲んだ後、おとなしく帰れずR子さんが店を終わって来ているのではないか、と永代通りの向かいの店内をじっと眺めて立ち尽くす後姿は、帰らぬ息子を岸壁で待つ二葉百合子の如しであった。その熱心さを他のことに使え、という話である。8時にKに行くと、この時期混んでいる。Kさんは先日来、どういうわけか飲む割には平静を保ち、乱れることがない。ところがシラフだとただシナビタ小父さんで面白くも可笑しくもない。どれだけつまらないかというと、パチンコの景品の小さなサラミをポケットから取り出し齧りながら「外は寒いけど中は暖かいな」。なんだそれは?しかしそれでも周囲からすれば、大人しいほうがまだマシである。結局一時間ということにはならず居続けることに。だったらカラオケでも、ということで久しぶりにKさんの『兄弟舟』。必ず“胸の谷間に”と歌う。私はKさんのあまりに気持良さそうな歌いっぷりに、大嫌いであったカラオケが好きになった。私は『回転禁止の青春さ』。とくに一番は本気で歌う。“俺の選んだこの道が 廻り道だと云うのかい 人の真似してゆくよりか これでいいのさ このままゆくさ ゴーゴーゴー レッツゴーゴー ゴーゴーゴー レッツ ゴー 回転禁止の青春さ”3番は“俺はゆくのさマイペース ひとり唄って ひとりでほめて”昔友人に、せめてお前らだけでも俺の作品をほめろ。と強要したのを想いだす。 結局三人でKへ。このあたりから本来のKさんに戻ってしまった。欲望を限られた貧弱なボキャブラリーで恥ずかしげもなく吐露し続ける62歳。おそらくKさんは“男”高倉健のどこが良いかを解することなく死んでいくのは間違いがない。

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