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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



昨日と先ほどの区別がつかなくなってきたところで、もう止めようと家を出る。私の作業を待っている面白いシーンがまだ貯まっているので、モニターの前から離れないと作業を続けてしまう。 K本は終っているのでT千穂へ行くと、先ほど完成したカットを携帯に送ったばかりの、笛吹き役のMさん他、K本の常連がいた。当ブログを読んでいただいているMさんには、異界の連中をがんばって作って、と発破をかけられた。 登場人物をお願いしたK本の常連を中心とした素人劇団の皆さんに、ハードルを高くされてしまうとは思わなかったが、これは嬉しい誤算である。つまり使うレンズから色調から区別をし、人間と異界の存在たちにコントラストをつけるつもりでいたが、人間が予定より+方向に振れたおかげで、異界の描き方を当初より-方向に持っていかないとバランスが取れなくなった、ということである。予定より諧調が広い作品になりそうである。 
一人所在なげにカウンターにいるKさん。T屋で朝から飲むことが減ったおかげで、一日中泥酔して鎖骨折ったり額を32針縫ったりすることがなくなった。同じ運送会社の若い後輩に、「荷物運んでた人がお荷物になってどうする」。といわれなくなることを願うばかりだが、それでも行きたいところはあり、二人以上でないと入れない店に誘われた。行ってみると、なかなか演技の達者な娘がいて、Kさん再び「ショック!」同じ冗談に何度でも引っかかれる特異体質のKさんは、ショックを受けた状態が一番面白いので、周囲にいじられないよう詳細は書かないでおく。

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今回女性連は、昼夜で着物を換えるという贅沢をしている。すべて笛吹きの芸人役のMさんの奥さんのご尽力の結果であるが、主にMさんのお母さんから譲り受けたものだそうで、作品として残ることをかえって喜んでいただいている。そういえば、祖父の代からという父親の遺品のステッキを借りた人にも同じことをいわれた。 今回着物に関して勉強になったが、コーディネイトされたものを見れば私でも良さは判るが、バラバラであればチンプンカンプンである。日本女性は着物を着ると歩き方からしぐさから、自動的にしとやかになると良く耳にするが、あれは真っ赤な嘘であった。こんなところも、奥さんが付きっきりで目を光らせてくれていたので助かった。 編集者が人間が強い、というのはまさにその通りである。話のほとんどが梅雨の夕刻で、どんよりとした空模様であるが、晴天の撮影ができなかったので、鬱憤をはらすために、作業はそちらから始めているし、異界の連中と分けるため、コントラストの高い今時のレンズを使っている。そこへもってきて素人劇団の湿度0パーセントの演技が加わっているので、そうとう強く見える。今後この強さに対抗してバランスを取るためには、異界の連中には相当ドンヨリ、ジメジメしてもらわなければならないであろう。こんなことを考えなければならなくなるとは思いもしなかった。

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先日待望の晴天。私としては相当な量のカットを撮影した。待ちに待ったということで、その後の数日、家を出ることなく、房総の海岸や、室内を撮影した背景に、着物姿の3人を合成している。怒涛の勢いといって良いであろう。なにしろ鬱憤がたまっている。 パソコンに取り入れてチェックしていると、素人劇団の皆さん、それぞれがそれなりに役を解釈し、ところどころ妙な小芝居をしていておかしい。中にやたらと目をつぶっているカットが続いているのがある。偶然にしても多すぎる。そうであった。こういう撮影の時、シャッターを切る合図は避けるべきである。目をつぶってはいけないと思うあまり、合図にあわせてつぶってしまうのである。 海岸の松の木陰でセンベイを食べる談笑シーンは、知り合いでないとこうはいかない、という自然な表情が撮れているが、何もそうバリバリと食べ続ける必要はない。一言いっておけば良かった。私のいったとうりにしてくれているのである。 楽しみにしてくれているので、軽くした画像を携帯に送っているが、実際の撮影現場を知っている皆さんだけが面白いことであろう。
夕方本郷の風涛社へ行き、ようやく三回目の打ち合わせである。まだ出版時期など決められる段階ではないが、ようやくどんな本になるのかなんとなく想像できた。  一人自分も登場させろ、といっている人物がいる。あえて登場してもらうなら顔も出ないあの役かなというのがあり、編集者に意見を聞くと、人間が強いので、もういいんじゃないですか?確かに対応すべき河童も姫神様も翁もできていない現状では、素人劇団の皆様、かなりカラフルでお強い。 帰りにT千穂によると、夏の間は毎日避暑のため、ヨーカドー内を一日ただフラフラして過ごすKさんがいたので、残念なお知らせを告げる。「だから眠狂四郎みたいな編集者だっていったでしょ?あれはたぶん泣いて頼んでも駄目だな」。

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今日は前回撮れなかったカットがあり、一日がかりの撮影になるだろう。しかし天候に対する運の悪さは昨日で断ち切られたようである。中止のところを急遽やることにし、そのフェイントにより肩透かしをくらって土俵下に落ちていった何者かの音を聴いた。昨日とはあきらかに違って爽やかである。
荷物があるということでMさんに車で迎えに来ていただいた。踊りの師匠と師匠仲間の娘役の二人の着付けを待つ。昼夜着物を替えるのだが、前回日中の外での撮影ができなかったので、一日で2回着替えてもらうことになってしまったが、娘にいたっては3回である。おかげで着物に関してすべてお願いしてしまったMさんの奥さんはカーレースのタイヤ交換のような忙しさで、撮影中はちょっとした襟や裾の乱れをチェックしていただいたりして、おかげで撮影だけに集中することができた。 さっそくマンションの中庭に出て、まずは登場シーンである。今回良いのは素人劇団ではあるが顔見知りなので、三人ともよく知っている酔っ払いの話でもしてもらえば、自動的に房総に遊びに来た顔になることである。 次に着物のまま足首あたりまで海に入る。そこで娘の白いふくらはぎを見て河童が『一波上るわ、足許へ。あれと裳(もすそ)を、脛(はぎ)がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、かとも』。とムラッと来てしまう重要なシーンである。鏡花のいうところの“紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走る”様を実見して納得した次第であるが、そんな色っぽい情景も、実際の現場の様子は・・・。これは参加者だけの愉快な思い出としていただこう。 一日様々なことをしていただいて、すべては書き切れないが、私がああだこうだいうよりも、劇団員の皆さんの自主性にお任せしたほうが良い、と丸投げしてしまった河童に化かされ、そして神様を鎮めようと踊るシーンも部屋の内外とも無事に終った。案の定、私が参考に、とメールで送った神楽舞のビデオの予習も充分であった。今だからいうが、私自身はなんとなくしか見ていない。

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やはり思ったとおりである。晴天を想定した正午の撮影は無理のようである。諦めろと雷鳴轟く。電車に乗って来てもらう番頭役のTさんのこともあり、予定の一時間前には中止の連絡をしたが、それならば、と曇天を想定した某所に出かけると晴れるのだろう。と見る間に晴れだした。やはり私の動向に合わせてスイッチを点けたり消したりしている奴がいるのは間違いがない。フェイントをかけ、一時間遅れで撮影を決行。これでずっと続いてきた、天候に対する悪運が断ち切れたのではないだろうか。奇妙な撮影はうちのマンションの中庭で行われた。はたから見て奇妙でも、私の覗くファインダーの中では、思惑通りの画になっている。タクシー運転手と旅館の番頭の撮影、今日のところは終る。悪運が断ち切れたなら明日は晴れてくれるであろう。
撮影に使おうか、となんとなく思いながらそのままにしていた物がある。来週の打ち合わせにそなえて全体を眺めていると、これがないとまずい、という気がしてきた。検索してみると、この生き物の季節は終ってしまっている。諦めずに検索していると、生の物を冷凍して販売している所をようやく見つけた。冷凍物があるなら慌てることはないが注文しておこう、とバスケットに、念のため2つ入れようとしたら、残り1つのため受け付けられないという表示。危ないところであった。

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姫神様乾燥に入る。乾燥機を使うと室内温度が上がるので使う気がせず、久しぶりにベランダに置いている。離れて見ると、神主と花嫁が並んでいるようである。 それにしても、昼間の晴天の海岸シーンを別にすれば、物語のほとんどが梅雨のドンヨリした風景が舞台なのだが、いいかげんにしろ、というくらいずっと雨が降らない。房総のロケでも、夕暮れを待ち、東ドイツ製の陰鬱に写る妙なレンズを持っていってなんとかこなしたが。その後の東京でも、濡れた樹木を撮影したのは一度きりである。それもあわてて現場に着いた時は晴れている有様である。 曇りもしくは雨が降れば、即撮影に出かけなければならない場所があり、台風に期待している。農家の方々にはもうしわけないが、水の精ともいわれる河童を不細工に描いた呪いかもしれない。姫神様を早急に完成させる必要があろう。

ここの所、色々なお誘いをすべて失礼している。何しろ寝心地を悪くして制作時間を延そう、という状態である。1時間もかからない実家にもまったく帰っていない。母が珍しく風邪をこじらせ食欲がなく、3キロ痩せたという。未だに味がおかしいというが、会ってみたらむしろ3キロ痩せたことが嬉しいようであった。私が知るかぎり母が寝込んだのは、私が小学生の頃の神経痛くらいである。実家は、創作用筋肉が緩んでしまう場所である。しばらく帰る気にはなれない。 

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日曜日に撮影でお世話になるMさんと、T千穂で打ち合わせをすることになった。出がけに土曜日撮影させてもらうことになっている、タクシー運転手役のK2さんから明日の打ち合わせをしないで良いのか、というメール。日曜日に河童に化かされ踊ることになっているMさんを考えると、K2さんはただ歩いてもらうだけである。何も心配ありませんと返事。 Mさんは奥さんとみえた。奥さんには着物を拝借し、コーディネイト着付けまでお願いし、大変お世話になっている。昼夜着物を換えるという贅沢な状況になってみると、『貝の穴に河童が居ること』を作品化することを決め、私はどうするつもりだったのかとゾッとするのである。 そこへT屋で飲んでいたK2さん。借りてきた衣装を持っている。大正時代の写真集を見ていて、タクシーの運転手が現代のある服に似ているものを着ていたので借りてもらった。K2さんには大きめであったが、現代の感覚でピッタリである必用はない。今とは違うが当時はこんなだったのかも。というくらいが良い。しかしコピーライターでアートディレクターもするK2さんからすると、着ているところを事前にチェックもしない私が信じられないようである。 私は今回の人選を顔だけで選んでいるといってきたし、それは正しいのだが、先日の意外なほどの好結果に、付き合いも今日、昨日の人達ではない。意識せずに、あらゆる部分をチェックして決めていたのではないか、と思うようになってきた。 K2さんは自前で帽子を買ってもらってしまった。生真面目な性格ゆえ、相当念を入れて選んでもらったのは想像にかたくないが、「俺は帽子絶対似合わないんだって」。 まったく問題ありません。奥さんに「アンタ私が似合わないっていうから嫌味でわざと被ってんでしょ!」といわれているタクシー運転手。あると思います。

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ロンドンオリンピックの開会式。日本人がよけいなことさえしなければ、ここもあそこも、どこもそこも、ウチの使用人だったのに、と行進眺めながらお婆さん想ったかどうか。8月15日。
昨日、母は茨城の父方の親類の家に一泊し、帰ったと思ったら神楽坂に墓参りに行くという。炎天下、80過ぎた婆さんなんか歩いていないよ、といっても無駄。受け取る物もあり私も神楽坂へ。昨日から画像から鳥居の撤去その他であまり寝ていない。現場を知っているから違和感があったが、これで小説通りとなった。代わりに植えたのは三重県産の杉の古木。母と長谷寺へ行った時撮った物である。 編集者から電話。先日腸の具合が悪いと打ち合わせをキャンセルしたが。検査結果を聞くと、原因が判らないといわれたそうである。どうせストレスであろう。だから河童に真面目に取り組んでさえいれば、腸が悪くなるわけないだろ。と念を押す。そうしたものである。 三回目の打ち合わせは来週に決まる。とりあえず今ある素材を元に仮組みしてもらうことにした。時間をかけて1カットにこだわった揚句に入らないでは困る。ここで全体像を把握しておきたい。 母は墓参りの後、両国で最近仲がいい年下の女性と待ち合わせている、と別れたが、夜制作していると携帯に電話。出るといきなり二人で大きな声を張り上げカラオケで『銀恋』。1番歌い終ったったところでプツンと切れた。

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何度も書いたが、鏡花はモデルとなった神社をかなり正確に描写している。違うことといったら鳥居の数と位置である。 鳥居はなんと数えるのであろう。作中は二つだが、実際は三つあった。長い石段があり、石段を上がったところに鳥居があり、これが神社の顔のように見える。そこを右に曲がり、さらに左に曲がった所に三つ目の鳥居があり社殿がある。 問題は、もっとも画になる、長い石段の頂上にある鳥居が作中にはないことである。鳥居に刻まれた年月日は、鏡花が訪づれたと思われる時期以前であったと思うのだが。 私は当初からその鳥居を生かそうと考えていた。なにしろ画になる。鏡花は何処の何神社とはいっていないし、そもそも私の作品も創作なのだからかまわないではないか。私は薄目で見るようにしてやり過ごそうと思ったが、鳥居があるなら鏡花は書くはずで、鏡花が書かない物はないのである。『怪しい小男は、段を昇切った古杉の幹から、青い嘴(くちばし)ばかりを出して、麓を瞰下(みおろし)ながら、あけびを裂いたような口を開けて、またニタリと笑った。』。鏡花は何故鳥居を古杉に替えたのか。私はせっかくの鳥居を、泣く々いくつかのシーンから消したのであった。 一つ考えられるのは、石段の上に鳥居があれば社殿はその背後だと普通は思うだろう。そうではなく、そこを曲がってまださらに奥にあることを強調するためか。それとも鏡花は震災前に訪ずれていて、その当時は鳥居でなく杉の古木だったというのだろうか。 

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鏡花がモデルにした神社は海を望んでムード満点で、常夜燈に灯をともす翁役の柳田國男を立たせるのが今から楽しみである。実際の灯篭はかなり大きく、柳田では台がないと届きそうにないが、異界の翁である。そういうことを気にしてはいけない。 本日より柳田國男にとりかかるはずが、地形に関して解釈の誤りに気づき、一日修正していた。草むしりをして石段を取り除いて、と実に厄介である。デジタルならどうとでもなる、と思う人がいるが、そう簡単にはいかない。私のように、天候を変えたり、街をそっくり田畑に代えたりしなければならない場合(鏡花がそう書いていればしかたがない) 肝腎なのは、自分の中にある記憶の蓄積である。つまらないことに限って、意識しないうちに記憶してしまう私のタチが、“見てきたような嘘”を創作することに役立っている。もっともハードデイスクの容量は限られていて、母の誕生日をようやく覚えたと思ったら5日違っていた。  房総では苔むした石段を随分撮影してきた。冒頭、人間に腕を折られた河童が、鎮守の森の姫神様に復讐を頼みに石段を上がる。『しょぼけ返って、蠢くたびに、啾々(しゅうしゅう)と陰気に幽(かすか)な音がする。腐れた肺が呼吸(いき)に鳴るのか――ぐしょ濡れで裾から雫が垂れるから、骨を絞る響ひびきであろう――傘の古骨が風に軋むように、啾々と不気味に聞こえる。』異界への入り口である石段は重要である。 それにしても潔癖症の鏡花は、こんな場面を書く場合、どんな顔をしていたのであろう。原稿用紙をいつものように清めたことは間違いないが。

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なにやら思わせぶりなタイトルになってしまったが、いつもの如く、たいした内容でない事をお断りしておく。 朝8時にT千穂に行き、2階の御宅にお邪魔する。ベランダから神輿を撮影させてもらうためである。昨日母にその話をしたら、そんなことをしたら駄目だという。確かに私の子供の頃は、神輿を上から見おろすと叱られたものである。 昨年の三島由紀夫へのオマージュ展『男の死』には、神輿を担ぎながら恍惚として死んでいる三島を出品するつもりでいたが、震災による自粛で深川の祭りが中止となり制作できなかった。三島はボデイビルを始める前のガリガリの身体で、嬉しそうに担いでいる写真がある。後の三島からすれば、さぞかし残念であったろう。このシリーズは、とにかく三島が喜ぶであろう様々な死に方のパターンを考えている。 撮影はというと、予定通りの角度で撮影ができた。しかし当然担ぎ手に女性が写っていてはならない。 一度帰宅し一休みして、撮影しながら富岡八幡の前を行くと天皇陛下夫妻が手を振っていた。防弾ガラスに囲まれた冷暖房完備の部屋という噂であったが、全く違い、丁寧に作った海の家程度の物であった。  そろそろ鎮守の森の姫神様に仕える、神主姿の柳田國男の制作に入る。もし私が芥川龍之介を作っていたなら、河童つながりで芥川も登場させようと考えたであろう。今は異界の連中は作り物で、人間は本物を使うことで分けて良かったと思っているが、作中に作者を登場させてきた私が、泉鏡花がウチにいるのに、登場させないことに耐えられるのであろうか。

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K本に行くと、タクシー運転手と旅館の番頭役をお願いしている二人が来ていた。二人とも当ブログや、テストプリントを見た人から話を聞いて、先発隊の名演技の件はすでに知っていた。たまたまアクションを伴うカットで、夫婦役の意外な演技力を引きだす結果となったが、この二人は特にそういうシーンはない。 今回漏れ伝わるところによると、もっとも鼻息が荒いのが、小道具の帽子を自腹で用意してしまったタクシー運転手役のKさんである。山登りするのでいやに黒いが、撮影前に山に行くので、さらに黒くなるらしい。オープンカーのタクシーならともかく、私が脱色しないとならないが、デジタル処理は、こういうしかたがない場合だけ使うべきである。飲むにつれ声がでかくなるKさんは意外に神経が細かく、左手と左足が同時に出てしまう可能性があるのもこの人であろう。演技に悩んで真顔になっているところが目に浮かぶが、その点は事前に軽く一杯引っ掛けておいてもらえば問題はない。「たった1カットで終ったりして」。と私は軽く釘を刺されたが、登場シーンが少なく、編集者が眠狂四郎のような冷酷な奴なので、今のところなんともいえない。 番頭役のTさんは、撮影日を考えて床屋にいったという。ちょっとイメージより短かくなっていた。旅館の番頭は、河童が隠れたマテ貝の穴を、そうとは知らず客のステッキでグサリとやって、河童の腕を折ってしまう。これが物語の発端となるわけである。Tさんに入手してあった黒のはっぴを着てもらったら、これを着たまま生まれてきたかのように似合っていた。

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異界の住人でない登場人物は総勢5人である。正確にいうと旅館の女中が2人いるし、通行人が少しはいても良いと思うが、全体のバランスを把握していない現段階では、そこまで考えていない。 しかし横で自分を出せ、とうるさい人物が一人いる。その人物は以前、私は一言もいっていないのに、自分も出演する、と某店で女の娘に言触らしていたらしい。私はどうせ嘘をつくなら絶対ばれない嘘か、もしくはばれても恥ずかしくない嘘をつくべきだと思うが、平気でばれる嘘をつく人がたまにいる。それはともかく。 その人物にすると、見知った人達が、なんだかワサワサやっているのが楽しそうに見えるらしく、それが我慢できないらしい。仮に何か役があったとしても、噛んで含めるようにいって通じない人に、私の意図が伝わるとは思えない。百歩譲って横でコップをつかんでいる細くて干からびた腕を見ていて、これに水掻きつけてリアルな河童の手、というのも一瞬考えなくはなかったが、それだったらあくまで私が造形すべきであろう。 しかしそういえば一つだけ役があるといえばある。その役は顔が出ないので、私が危惧する、私が作った河童より、こっちの方がよっぽど河童じゃないか、といわれる恐れがない。

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笛吹きの女房の踊りの師匠役のK子さんは実にノリが良く、そのノリにひきづられるように主人役のMさんまで運動神経の良いところを見せてくれた。これは嬉しい誤算であり、今後の方針を変えようとさえ思っている。 師匠は丸髷姿、と鏡花は書いている。以前、鏡花の背後に日本髪の女性を配したことがある。『江戸東京たてもの園』の依頼で園内の建物を背景に撮影した時のカットである。背景は高橋是清が226の将校に惨殺された部屋で。当時はこの下が甘味処になっていて恩讐の彼方もいいところであった。この時は女性が透き通り気味でもあり、髪の毛は描いて誤魔化したが、今回は師匠の出番も多く、アップになってもらうこともあるだろうと日本髪の鬘を入手した。初めから直接装着せずに合成を考えていたため、サイズなど確かめもしないで入手した。しかしK子さんは被る気満々で、撮影時、私が持ってこなかったことにガッカリしていた。そんな乗り気に今回助けられているわけだが、実は私はその鬘を、取っ手付きの箱を開けてちょっと見ただけで、まだ出してさえいないのである。これは丸髷ではなく独身者用の島田で、いずれにせよ加工修正しなければならないので、よほどのことさえなければ良い、ということもあるが、まずその箱が届いた時に頭に浮かんだのが、討ち取った敵の首を、塩漬けにして殿様に届ける箱である。(どんな物かは知らないが)開けてみれば、人毛で結われた鬘。今回人形に使うために人毛を使い、何度か同じことを書いたが、髪は頭から生えていてこそである。切り離された時点で別な物に変じる。おまけになんともいえない鬢付け油の匂いである。いやこういう場合は臭いと書こう。 私は自分がそんな人間ではないと思っていたので、髪に対する存外なビビリ様に驚いている。

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ついに待望の雨である。なにしろ物語の大半が、サッと雨が降った後の梅雨寒な午後の話なのに、濡れた葉っぱ一枚未だ撮っていない。少なくとも、ここのところの関東地方の天候は、私が左右しているのは間違いがない。 房総に梅雨明け直前に出かけながら、6日間湿り気なし、なのに帰った翌日が雨。一昨日は、ずっと晴れ続きで、撮影した晴天の海岸に合成する人達を撮るつもりで、Mさん邸に向おうとすると黒雲が湧きだし。なのに同じ道を帰る時刻に陽が射すという有様である。 というわけで待望の雨。自分が濡れようがかまわない。濡れた木々や地面を撮っておこうと雨の中、歩いて行ける距離を地下鉄に乗り某公園に向う。ところが到着した駅の出口の階段で私が見たのは、明るく照らす陽光であった。私は『ブーフーウー』に出演している子豚の気分である。お姉さんが舞台の脇でクランク回したり、様子を伺いながら雨降り用スイッチを着けたり消したりしているのではないか?ともかく、私が天候を左右してしまっているのはやはり間違いがない。結局、木立に囲まれた場所など、少しでも梅雨時に見えるような場所を露出不足気味に撮影した。濡れている分、房総よりまだましである。  次回の撮影日も決まっているが、お姉さんに気取られないよう考えないことにする。

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