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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



最初のジャズ、ブルースシリーズ、そして作家シリーズと続けて来て、寒山拾得以降、幼い頃からのことを何かと思い出し、創作することが、自分とは何か?ということに向き合うことであることが、より明確となった。そう思っていた矢先の昨年の9月に、一休が尊敬した大燈国師が「衣類や食物のために修行するな、理屈ではない。ひたすらに打ち込め。伽藍や経本、熱心な読経や長時間の坐禅、質素な食事などに禅があるのではない。野外でたった一人、ボロ小屋で野菜を煮て過ごしたとしても、自分とは何かを明らかにする者こそが私の弟子である。」と、狙い澄ましたようなタイミングで現れ、これはいずれ意味を持つことになる人物、と建長寺が終わったら作ろうと決めていた。



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表情  


大燈国師こと宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の頭部はおおよそ完成したが、気になるのがおそらく尊敬した一休宗純が真似をしたとおぼしい横目の件である。俗世間を超越した悟りの境地を表現している、ということらしいが、そもそも大燈国師の肖像画を見て、一休と同じ横目だ、と思ったのがきっかけで、一休が汚い姿で歩き回ったのも大燈国師の影響なのか?と興味がわいた。一休は写真でいえばレンズを見ているが国師はさらにそっぽを向いている。眉も寄せ気味、口はへの字、嫌悪にも憐れみとも判断しかねる表情である。『乞食大燈像』の場合は別に構わないが、おそらくそんなものは残されてないだろう、なんて花園天皇と対座する大燈国師を作るなんて気を起こさないとも限らない。そのときは、この表情はまずいだろう。



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大徳寺の開山大燈国師の頭部おおよそ完成。建長寺の蘭渓道隆を思えば早かった。蘭渓道隆は陰影のない平面的という意味では同じだが曖昧なところがない分厄介であった。もっとも出来たと思ったが、だがしかし、とそこからが長いことはよくあるのだが。 白隠の『乞食大燈像』では片手に袋を持っているが好物のマクワウリが入っているのだろう。江戸時代では知られていたかもしれないが、あの袋はなんだ?となるくらいなら、剥き出しで持たせることにした。こういう場合、写真作品としては季節的にも間に合うし、実物のマクワウリを使うところだが今回は作ることにした。 建長寺からの流れのまま返す刀で完成した感じである。そこで部屋の片付けをすることに。なんて考えると耐え難い創作欲が襲ってくることになっている。気◯いに刃物を渡してならないように、粘土を注文してはならない。



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大燈国師の頭部を制作中だが、参考にしている国師の頂相は晩年のもので肥満体であるが、まず作りたいのは物乞いの中で20年の、30歳前後の国師である。当然痩せていただろうが、誰だかわかるようにしたいので、あまりリアルにすることは考えていない。それでももちろん髪や髭はボサボサで汚くするつもりだが、臨済宗中興の祖白隠禅師が恐ろしく汚ない『乞食大燈像』を何枚も描いているので、関係筋から叱られることはないだろう。 作家シリーズ最後となった三島由紀夫を三島作品の中で死なせた『三島由紀夫へのオマージュ 椿説男の死』で三島を汚穢屋にして死なせたが、幼い三島は逞しい糞尿配達人の青年に対し「私が彼でありたい」と『仮面の告白』に書いているのだから喜ばれこそすれ、と躊躇することは一切なかった。


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