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デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

聖徳太子@インドネシア

2023-09-10 02:36:44 | 歴史四方山話
 

聖徳太子@インドネシア

 


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デンマンさん。。。、インドネシアにも聖徳太子がいたのでござ〜ますかァ?


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いたはずがないでしょう!

じゃあ、どういうわけで紛らわしタイトルを書いたのですかァ〜?

ちょっと次のリストを見てください。。。

 


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『拡大する』

『聖徳太子の母親』


 



これはライブドアの僕の「徒然ブログ」の日本時間で8月31日の午前0時49分から午前2時33分までのアクセス者の記録です。。。赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。



8月31日の午前2時33分に https://www.pinterest.com/ からやって来て 聖徳太子の母親 を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。

そうです。。。実は、インドネシアのタンゲラン市に住んでいるミトラ・サチュルディン(Mitra Sachrudin)さんが読んだのですよ。。。

 


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(tangerang.jpg)



 



あらっ。。。インドネシアでも大きな都市なのですわねぇ〜。。。



インドネシアの首都ジャカルタに隣接して、メトロポリタンエリアの一部になっているのですよ。。。

ミトラさんは、タンゲラン市で何をしているのですか?

地元にあるペリタ・ハラパン大学(Pelita Harapan University)で日本文化と日本史を勉強しているのですよ。。。

 


(pelitau.jpg)



 



ピンタレストの どのページからやって来たのですか?



次のページです。。。

 


(mom23-09-08.jpg)


『拡大する』

『実際のぺージ』

『聖徳太子の母親』


 



このページを、ミトラさんは、どうやって見つけたのですか?



次のように検索したのですよ。。。

 


(gog23-08-30.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』

『聖徳太子@pinterest』


 



聖徳太子の母親 pinterest と入れて検索したのですわねぇ〜。。。



そうです。。。すると、157,000件ヒットするのですよ。。。トップに出てきた3つのピンタレストのページは、僕がピンタレストで立ち上げたページです。。。ミトラさんは、3番目のリンクをクリックしたのです。。。すると、「聖徳太子の母親」のページが出てくるのです。。。

 


(mom23-09-08.jpg)


『拡大する』

『実際のぺージ』

『聖徳太子の母親』


 



でも、どういうわけで聖徳太子の母親を調べようとしたのでござ〜ますかァ〜?



ミトラさんのクラスメートが「ネットでサーフィンしていたら、聖徳太子の母親がイスラム教徒らしい写真があった」と言ったのですよ。。。どうやら次の写真を見たらしい。。。

 


(pergal9.jpg)

 



昔のイスラム教徒は顔はもちろん、体全体を隠していた。。。



でも、聖徳太子の母親がイスラム教徒だということはありえませんわァ〜。。。

それはどういうわけでぇ〜?

だってぇ、イスラム教が起こったのは7世紀ですわァ。。。聖徳太子が生まれたのは6世紀ですわ。。。だから、聖徳太子の母親がイスラム教徒だということはありえないのですわァ〜。。。

さすがは、京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・教授ですねぇ〜。。。

おだてないでくださいまし。。。その程度のことは日本人の常識ですわァ〜。。。

日本人の常識かどうか知らないけれど、確かに、イスラム教が起こったのは7世紀で、聖徳太子が生まれたのは6世紀なのです。。。もう一度検索結果を見てください。。。

 


(gog23-08-30n.jpg)


『拡大する』

『現時点での検索結果』


『聖徳太子の母親にはペルシャ人の血が…』


 



僕はかつて聖徳太子の母親にはペルシャ人の血が流れているという記事を書いて、投稿した後でツイッターで その事を呟いたのですよ。。。そのツイートのリンクが紫の枠で囲んだ箇所です。。。リンクをクリックすると次のツイートが出てきます。。。

 


(gog23-08-30n.jpg)


『拡大する』

『実際のツイート』


 



水色のピンタレストのリンクをクリックすると、どのページが出てくるのですか?



次のピンタレストのページが出てきます。

 


(pin-mom23-09-08.jpg)


『拡大する』

『実際のぺージ』

『聖徳太子の母親』


 



上のページの緑の楕円のリンクをクリックすると、同じように聖徳太子の母親 を読むことになるのです。。。



。。。んで、ミトラさんは聖徳太子の母親にペルシャ人の血が流れていることに納得したのでござ〜ますかァ〜?

次の箇所を読んで納得したのです。。。

 



聖徳太子のママの謎

 

当時ペルシャ人をハシ人と呼び、波斯人と書きました。
太子の個人教授の一人である覚袈(かくか)がペルシャ系の人ではないかという推測は、太子の母が穴穂部間人(あなほべのはしひと)と書かれている事と、大いに関係があります。
間人(はしひと)とは波斯人(はしひと)でペルシャ人のことではないか!と、いうわけです。

太子が赤い髪の毛をしていたという伝承があります。この伝承に真実が隠されているのではないか?
もしそうだとするなら、太子の母親がペルシャ人であるということも決して荒唐無稽な事ではありません。

 

Family tree of Prince Shotoku (shotoku03.gif--366x617)
(shotoku03.gif)

 

聖徳太子の父は用明天皇、母は蘇我稲目の孫娘です。
この稲目の父は高麗(こま)で、高句麗からやってきたのですが、実はこの人がペルシャのサカ族の出身だと言う歴史研究家も居ます。

しかし、そんな遠いところにペルシャ人を持ってゆかなくてもよいのです。
私はその説よりも、むしろ穴穂部間人の母親、つまり小姉君(おあねぎみ)がペルシャ人の血を受け継いでいるのではないか、とみています。

もし当時、ペルシャ人が日本へやってきて、どの一族を頼りにするかといえば、当然、飛ぶ鳥を落とす勢いの蘇我氏の元を訪れたことでしょう。
その頃、渡来人を掌握していたのが蘇我氏だからです。

ペルシャ人の中には、蘇我氏との絆を確固なものにするために、蘇我稲目に娘を側室として差し出す親も現れたでしょう。
そのようにして穴穂部間人が生まれた、と考えるわけです。

小姉君の父はたしかに稲目なのですが、母親の出自について日本書紀は沈黙しています。
なぜ沈黙する必要があるのか?
その答えを出すには誰が日本書紀を書いたかが分かれば簡単です。
天武天皇の息子の舎人親王が編集長だったと言うように書かれていますが、彼はむしろ発行人であり、実際に編集に当たっていたのは藤原不比等です。

藤原氏は、元、中臣氏ということで、日本古来の氏族となっていますが、不比等のおじいさんの御食子(みけこ)は百済からやって来ました。
従って、自分たちが「よそ者」であるということを書きたくなっかたように、穴穂部間人の出自についても沈黙していたのです。

では、なぜ、不比等は自分の名前を編集長として書紀に書かなかったのか?
それには、これまた事情があります。
そのことについてはこのページ (『壬申の乱』は天智帝暗殺で始まった) で説明しています。

しかし、この説を採ると、飛び越えねばならないハードルがあります。
どういうことかというと、実は、小姉君の母親が物部氏出身と思える節があるのです。

というのは、当時の皇子・皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通でした。
そして育った土地の名前をつける慣習がありました。
飛鳥で育った大王の娘なら飛鳥皇女と呼ばれるわけです。
すると穴穂部間人皇女の穴穂も地名に由来することになります。

大和周辺に穴穂の地名は河内と奈良の石上にあります。
皇女がどちらで育ったか分りませんが、どちらも物部氏の領地なのです。

つまり小姉君は蘇我稲目の娘であると同時に、物部氏の娘でもあったのです。
しかも穴穂部間人皇女は物部の土地で成長しました。
しかし、ご存知のように、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏は対立し、それまでの史上最大の戦闘を繰り広げました。
したがって、このようなことがあり得るだろうかと、あなたは疑問に思うかもしれません。

ところが、それ以前、朝廷で権力を握っていた大伴氏を退けるため、蘇我氏と物部氏は手を握り合ったことがあります。
どういうことかというと、小姉君は、蘇我氏と物部氏が宮中で勢力を伸ばす方策として、互いに婚姻関係を結んでいた当時の産物ということになります。
「友情の証」として、蘇我稲目かあるいは彼の父親の高麗が自分の側室の中から美しいペルシャ人の娘を物部の氏の長者に与えたのでしょう。

このようなことは、この当時よくあることでした。
軽皇子(後の孝徳天皇)が小足姫(おたらしひめ)を中臣鎌足(藤原鎌足)に与えたのもこのような例です。
このことについては、このページ (藤原鎌足と軽皇子) で述べています。

そのお返しに、今度は、物部氏がペルシャ人の女性から生まれた娘を蘇我稲目の側室として与えたわけです。
その娘から生まれたのが小姉君だというわけです。
したがって、小姉君の体内にはペルシャ人の血が4分の1流れていたわけです。
彼女の娘が穴穂部間人皇女です。

確証があるわけではありませんが、これが事実とするならば、聖徳太子には、16分の1のペルシャ人の血が流れていたことになります。
太子が赤い髪の毛をしていたという伝承は、このことによって説明がつきます。

また、後に推古天皇を生む堅塩媛(きたしひめ)と小姉君の間の確執も、このことによっていっそう良く理解することができます。

つまり、この腹違いの姉妹は共に欽明天皇の後宮に入ります。
ところが、若くてきれいな小姉君へと天皇の愛は傾いてゆきます。
それも分かるような気がします。
エキゾチックなペルシャ人の血を引いている小姉君は、天皇の目には、さぞかし魅惑的に映ったことでしょう。

しかし、堅塩媛(きたしひめ)にしてみれば我慢のならないことです。
このようなことを身近に見て来た娘の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)も、当然、この混血児の叔母のことを良く思うはずがありません。
母親からずいぶんとグチをきかされたことでしょう。
この豊御食炊屋姫が推古帝です。

推古天皇は、後年、この小姉君の血を引き継いでいる皇子(聖徳太子も含めて)が天皇になることを極力避けようとしています。
推古帝の身になってみると、2重の意味でこのような皇子を排除したかったでしょう。
先ず「よそ者」の血が流れているということ。

しかも、この混血児の叔母のために、自分の母親がつらい目にあってきたということ。
このように考えてゆくと、つまり小姉君にペルシャ人の血が流れているとすれば、このあたりの事情が非常にすっきりと説明できます。

しかし、これだけに止まりません。
なぜ、聖徳太子は厩戸王子と呼ばれたのか?
母親の穴穂部間人皇女が宮中を見回るうちに、馬屋の前で産気づき、そこで出産したからという逸話が日本書紀などに見られます。
これはキリストの生誕を彷佛とさせます。
しかし、納得ゆくような説明が見当たりません。

ここで、聖徳太子の母親にペルシャ人の血が混じっていたこと、また彼女の回りにペルシャ人を含めて、多くの渡来人が居たことを考えると、このことも、非常にうまく説明がつきます。
では、次のページでもっと詳しくこのことを見て行こうと思います。




『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人がいた』より
(2003年8月3日)


 



なるほど。。。デンマンさんの説では聖徳太子のお母様のお名前の“穴穂”は地名から取ったと言うのですわね。



そうです。。。当時、そのように皇子や皇女は一定の年齢まで母方の実家で養育されるのが普通だった。 そして育った土地の名前をつける慣習があったのですよ。

つうことは。。。“穴穂(あなほ)”を“うつほ”という齋藤さんの説は、こじつけだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♬~ますか?

 


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Mar 04 2012 / 20:01:10

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hideosaitou71@***.*****.or.jp

Comments :


楽しく読ませていただきました。
ペルシャのことを波斯国と中国で呼ばれたことですが、同じ国名が「うつぼ物語」のなかにでてきますが聖徳太子の母の名が「穴穂」が冠されていますので、穴穂で「うつほ」と著者の源順は充てていると考えています。

これを、引継いで紫式部が源氏物語を書いたと思います。
うつほ物語の中では波斯国の琴が中心に書かれていて「仏教」に掛けられています。

ここを抑えて読まなければ、聖徳太子のことや、うつほ物語、源氏物語も正しい翻訳さえ怪しいものとなってしまいます。


Thank you for using Bravenet Email Form Processing!


 



いや。。。齋藤さんの説がこじつけだと言うつもりはありません。 そのような考え方も面白いと思いますよ。 

 




(utsuho2.jpg)

 

俊蔭の娘は、太政大臣の子息(藤原兼雅)との間に

子をもうけたが、貧しさをかこち、

北山の森の木の空洞 - うつほで子(藤原仲忠)を

育てながら秘琴の技を教えた。



 



空洞 - うつほ と“穴穂(あなほ)”の「穴」は「中が空っぽ」という意味で共通しますからね。 だから、“穴穂”を「うつほ」と読ませても不思議ではない。



じゃあ、『うつほ物語』の作者も、そう考えたのでござ~♬~ますか?

いや。。。『うつほ物語』がマジで聖徳太子のお母さんと関係ある話であれば『宇津保物語』としないで『穴穂物語』としたでしょうね。 でも、実際には『うつほ物語』と聖徳太子のお母さんは関係ありません。

つまり、齋藤さんのコメントは見当違いだとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♬~ますか?

いや。。。全くの見当違いでもありません。 遣唐使清原俊蔭(としかげ)は渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着するのですよ。 唐でもなく、琉球でもなく、お隣の高麗でもなく、ましてや呂宋(ルソン)や越南(ベトナム)でもない。

作者は、どうして波斯国(ペルシア)をえらんだのでござ~♬~ましょうか?

要するに、当時でも遣唐使清原俊蔭(としかげ)が渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着したとしても荒唐無稽な話ではない程にペルシャ人がけっこうたくさん京都に住んでいたという証拠ですよ。

つまり、波斯国(ペルシア)は遠い国かもしれないけれど、ペルシャ人は身近にも居たということでござ~♬~ますか?

その通りですよ。 『竹取物語』には伝奇的性格が強い。 それと比べれば、『うつほ物語』は当時の“世話物語(現実的物語)”ですよ。 そのような現実的な話の中にペルシャが出てくるということ自体、ペルシャ人が当時、身近に居たという証拠だと僕は思いますね。 だから、聖徳太子のお母さんにペルシャ人の血が流れていたとしても不思議なことではないのですよ。


 


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【ジューンの独り言】


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ですってぇ〜。。。

あなたも聖徳太子のママにペルシャ人の血が いくらか流れていることを上の記事を読ん納得しましたかァ?

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。

覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。

女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ〜。。。

 


(shitagi23-06-30.jpg)


『拡大する』

『実際のページ』


 

ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」

貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ〜?

分かりましたわァ〜。。。

じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。

かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。

 





 

子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ〜。。。

ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」

あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ〜?

分かりましたわァ。。。。

では、あなたもビックリするような

忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。

なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!

無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。

つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?

そのへんのところが詳しく映像に残っております。

観るだけの値打ちがありますわ。。。

では、どうぞ。。。

 



 

ところで、どうして小百合さんが

「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?

 


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あなたは ご存知ですかァ?

実は簡単な事なのですわよう。

小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。

小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。

分からない事ではござ~ませんわァ。

そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。

現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。


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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。

そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。

軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。


(hand.gif)


メチャ面白い、

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(linger65.gif)


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


(house22.jpg)

■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


『熟女下着』ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)



(sayuri5.gif)

ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。

卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(zurose2.jpg)



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『キャドバリーチョコ』軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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ヒラリーと塩野七生

2023-09-10 01:39:37 | アクセス解析の面白い...
 

ヒラリーと塩野七生

 


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今日はヒラリー・クリントンを連れ出してきて、また塩野七生を批判するわけぇ~?


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いけませんか?

なんだか、ケイトーは塩野七生を目の敵にしているみたいねぇ~? うふふふふふふ。。。

いや。。。 僕は塩野さんを目の敵にしているわけではありません。。。 むしろ、僕は塩野さんのファンなのですよ。。。

そうは見えないわァ~。。。

あのねぇ~、僕が塩野さんのファンになったのは、『中央公論』に掲載したデビュー作・『ルネサンスの女たち』を読んだからですよ。。。

その作品は面白かったのォ~?

面白かったのですよ。。。

どのように。。。?

あのねぇ~、『ルネサンスの女たち』は4人の女について書いたものなのですよ。。。 そのうちの一人、カテリーナ・スフォルツァ(1463 - 1509)について塩野さんは次のエピソードを書いているのです。。。

 



(caterina8.jpg)

 

11歳でリアーリオ家のジローラモ(1443年 - 1488年、教皇シクストゥス4世の甥)伯爵と結婚し、その間にビアンカ(1478年 - 1522年)とオッタヴィアーノ(1479年 - 1533年)姉弟を儲けて、ローマで暮らす。

夫ジローラモはイーモラとフォルリの領主でもあった。

1488年、叔父のルドヴィーコによるスフォルツァ家による援助が意図的に怠ったことが原因で、フォルリに反乱が起こる。

カテリーナと子どもたちは城外で反乱側に捕えられた。

しかし、城の守備隊は降伏しなかった。

そこでカテリーナは反乱側には守備隊を説得してくると言って、子どもたちを残し城に入っていった。

彼女が城に入ったまま出てこないので、反乱側は人質の子どもたちを殺すと脅した。

すると、カテリーナは城館の屋上に立ってスカートを捲り上げると「子どもなどここからいくらでも出てくる」と叫んだのだった。

 



 

これには反乱側もあっけに取られた。

やがて援軍が到着し、反乱は鎮圧された。


ただし実際に城壁の上でスカートを捲り上げたかは疑問も残る。

城壁の上からでは反乱軍まで声が届くはずがなく、また逆に弓矢で射られる可能性もあるためである。





出典: 「カテリーナ・スフォルツァ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



あらっ。。。 カテリーナは城館の屋上に立ってスカートを捲り上げて、アソコを敵の兵士たちに見せたのねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。



そういうエピソードが、イタリアでは古くから伝わっていたらしい。。。 でもねぇ~、よくよく考えてみれば、城壁の上からでは反乱軍まで声が届くはずがなく、また逆に弓矢で射られる可能性もあるから、そんな馬鹿なことを果たして彼女が行ったかァ~?

つまり、カテリーナを女傑にするために、イタリアのミーちゃん、ハーちゃんが わざとデッチ上げたエピソードだと言うのねぇ~?

だから、上の『ウィキペディア』の記事の投稿者はそう考えたわけですよ。。。

つまり、塩野七生は その辺のことをよく検証もしないで書いたわけなのねぇ~。。。

話を面白くするには、そのエピソードは欠かせない。。。 だから、そのエピソードを初めて読んだ僕は塩野さんのファンになったわけです。。。 うへへへへへへ。。。

つまり、エロいエピソードを塩野七生が書いたので、ケイトーはファンになったわけなのねぇ~?

そういうことです。。。

要するに、ケイトーはエロい話が好きなのねぇ~。。。?

あのねぇ~、エロい話が嫌いな人って居ないんだよ!

私は嫌いだわァ~。。。

ネットでは、そのように言うシルヴィーも家に帰ると、エロ本読むよねぇ~? うへへへへへへ。。。

そのような事はどうでもいいから、本題に入りなさいよ。。。

分かりました。。。 実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。

 


日本人へ 164

帰国中に考えたことのいくつか


 

By 塩野七生

 

ヒラリーの敗因


(trump812.jpg)

 

生涯の大勝負に二度も、初回の相手はオバマ、二度目の敵はトランプ、で敗れたヒラリーの政治キャリアはこれで終わりだろう。
それでもなお彼女の敗因を探るのは、野望に燃えている日本の女たちへの参考になるかと。

まず、ヒラリーにとっての最大の敵はヒラリー自身であることへの自覚の欠如。
ガラスの天井とか男社会の壁とか、そんじょそこらのフェミニストが口にする薄っぺらな責任転嫁は、大統領を目指した女ならば口にすべきではない。

第二に、「初めての女性大統領」を強調しすぎたこと。
これをしたことによって、もともとからして自信喪失気味の白人男たちに、これまでは黒人、次は女、その次はゲイか、という恐れを抱かせてしまったのではないか。

敗因の第三だが、何かをやりたいから大統領になるのではなく、何が何でも大統領になりたいという印象を、有権者に与えてしまったこと。
野心的であるのは、悪いことではない。
だが、それだけというのでは男であっても見苦しいし、支持者の拡大にバイアスがかかったのも当然だ。

デンマン注: トランプだって、見苦しいほどに、何が何でも大統領になって見せるという態度だった!

 

(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




『文藝春秋 新年特別号』
編集人: 大松芳男
2017(平成29)年1月1日 発行
発行所: 株式会社 文藝春秋


 



あらっ。。。 塩野七生はヒラリー・クリントンに対して、かなり辛辣な事を言ってるのねぇ~。。。



あのねぇ~、塩野さんは、同性に対しては、かなり厳しい批判を浴びせるという もっぱらの評判なのですよ。。。

そう言えば、ケイトーは塩野七生がクレオパトラを馬鹿呼ばわりしていたというので、記事を書いて塩野七生を批判していたわねぇ~!

 


(cleo200.jpg)

『クレオパトラと塩野七生』

 



塩野さんというのは、独断と偏見で、こうだ、ああだと決め付けることが多いのですよ。。。 その点、たとえば歴史小説を書く司馬遼太郎さんなどは、文献に当たって小説を書く。。。 資料集めへの執念はすさまじいものがあった。



たとえば。。。?

『坂の上の雲』を書く時には、神田神保町の神田古書店街の古書店主らに依頼し、「日露戦争」という記述のある本を片っ端から買い集め、当時同じ題材の戯曲を書いていた井上ひさしが古書店に行っても資料がなかったという逸話が残っているのですよ。。。

マジで。。。?

この話は、いろいろな所に書いてありますよ。。。 大河小説になると一度に何千万円単位という巨費を投じて買い集めたらしい。。。軽トラックで古本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読購入し、助手と一緒に荷台に乗せて帰ったというのですよ。。。

ホントかしら。。。?

とにかく、それぐらいにして資料を探してウラを取ってから小説を書き始めたのです。。。 ただ面白いからといって、ウラも取らずに書き散らすタイプではなかった。。。 そういうところが元新聞記者だったらしい。。。 ところが、塩野さんは、面白い話を集めて書き散らすというタイプですよ。。。

確かに、上の引用文を読んでみると、個人的な意見を、そのまま書いているに過ぎないわよねぇ~。。。

。。。でしょう!? そういうところが歴史小説を書く作家としては問題があると僕には思えるのですよ。。。 

。。。で、ケイトーはヒラリーの敗因は、何だったと思うのォ~?

メール問題ですよ。。。

 


トランプ大統領を生んだインテリジェンス力


(tejima01.jpg)

 

トランプ大統領誕生の報に接して、「パナマ文書」が秘めていた起爆力に言い知れぬ戦慄を覚えた。
中米パナマに本拠を置いて富裕層をタックスヘイブンへ誘った法律事務所から漏洩した機密情報。
それは世界の大富豪や独裁者が巨万の富をカリブ海の島々などに隠している実態を生々しく暴き出した。

「パナマ文書」こそ、額に汗して働く庶民の怒りに火をつけ、その炎はめらめらと燃え広がった。
超大国アメリカでも、プア・ホワイトと呼ばれる人々が、民主党を見限り、共和党のトランプ陣営に雪崩れ込んでいった。

だが不動産王トランプこそ5000億円を超える資産を持ち、納税申告所の公表を拒み続ける超富裕層に他ならない。
なんという皮肉なのだろう。

一方で国家機密を認めないアサンジの「ウィキリークス」は、ヒラリーの国務長官時代のメール3万通余りを暴露した。
メール問題こそ選挙に弱い彼女を最終版まで苦しめ、敗北の引き金となった。


いまもロンドンで亡命生活を送るアサンジは、人種差別発言を繰り返す暴言王に手を貸す意図などなかったはずだ。
これまた何という皮肉なのか。

これら世紀のリークがアメリカに稀代のアウトサイダー政権を誕生させたことに誰より衝撃を受け、そのインテリジェンス力に当惑しているのも機密を漏らした張本人たちだろう。

 
 
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




3ページ 『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』
著者: 手嶋龍一
2016年12月21日 第5刷発行
発行所: 株式会社 マガジンハウス


 



メール問題ってぇ、それほどの影響力があったのかしら?



あったのですよ。。。

 


ヒラリー・クリントンのメール問題


(hillary08.jpg)

 

2016年3月16日にはウィキリークスが、2010年6月30日から2014年8月12日までにヒラリーの個人サーバが送受信した3万322通の電子メールおよび添付ファイルを公開した。
このうちでヒラリー自身の手による記事は7570件にのぼる。

これら電子メールは夫のビルが署名した情報公開法によりPDF形式で入手できるが、最後にPDF化されたのは2016年2月29日であり、まだ周知されていない事実を相当含むと目される。

選挙戦ではバーニー・サンダースらを破り、2016年7月26日、党内予備選挙を経て大統領候補となった。

しかし秋ごろには、HSBCなどと関連するクリントン財団が先の電子メールを手がかりに様々な媒体から叩かれるようになった。

また、2016年夏ごろから演説中に咳が出て止まらず、9月に行われたアメリカ同時多発テロの追悼式典に出席した際に体調不良で途中退席し車に乗り込む時に卒倒してシークレットサービスに抱えられる所が撮影される等、健康不安説がささやかれた。

2016年11月8日の大統領選挙の結果、得票数ではヒラリーが共和党候補のドナルド・トランプを僅差で上回るものの、選挙人は232人と、306人を獲得したトランプに破れ落選した。
一般投票で勝利し、選挙人投票で敗北したのは、2000年の選挙のアル・ゴア(民主党)以来16年ぶりであった。

 

外交政策

対リビア…2011年にはオバマ政権の国務長官として、リビア内戦を解決するためのリビアへの軍事攻撃を行う様に、オバマ大統領を強く説得した。

カダフィの殺害を聞いて『来た、見た、勝った』をもじった ”来た、見た、死んだ”(”We came, we saw, he died”)と歓喜していたことが報じられている。

鉱産資源を目標にデーヴィッド・キャメロンとニコラ・サルコジを作戦に関係させ、また攻撃に最終的発言権をもったことが、ヒラリーの送受信したメールで示唆されている。






出典: 「ヒラリー・クリントン」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


 



なるほどねぇ~。。。 ネットを調べれば、ヒラリー・クリントンの好戦的な様子が見て取れるというわけねぇ~?



そういうことですよ。。。 だから、同性であるヒラリー・クリントンに対して、塩野さんが同性の目から スカートの丈が短すぎるとか、ジャケットの色がダサいとか、口紅が濃すぎるとか、皺を隠すために整形したとか。。。、そういう個人的なことを問題にするのじゃなくて、もうちょっとジャーナリスティックに、ウラを取るようにして政治的な問題に言及して欲しいのですよ。。。




初出: 2018年9月1日



(laugh16.gif)


【ジューンの独り言】


(bare02b.gif)

ですってぇ~。。。

確かに、個人的な印象や意見で、ウラも取らず個人攻撃・批判するのは、よろしくないですよねぇ~。。。

塩野さんは次のように語っています。。。

 


(shiono7.jpg)



 

ところで、シルヴィーさんが出てくる面白い記事は他にも たくさんあります。。。

次の記事の中から面白そうなものを選んで読んでください。


(sylvie500.jpg)


『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』

『真紀子落選(2013年1月14日)』

『野火(2013年1月18日)』

『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』

『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』


(sunwind2.gif)

『サイバー戦争』

『エロくて、ごめんね』

『モバイル社会とガラケー』

『元老のアメリカ』

『ケネディ家の呪い』

『欧米を敵に回す』

『ソフィアからこんにちわ』

『ドイツが原爆をロンドンに』

『いまだに謎』

『さらば大前研一』

『空飛ぶスパイ』

『愛情はふる星@ベトナム』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。 バーィ。


(hand.gif)



(surfin2.gif)

ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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